戦国時代の奴隷①

 私たちが「人身売買」や「奴隷」と聞くと、アメリカの南部で綿摘みをしている黒人の方々や、古代ローマのコロッセウムでライオンと戦っている皆様を思い浮かべるかもしれません。

非常に人権を蹂躙され、不自由で不幸なイメージがあります。


 日本も例えば、女郎や安寿と厨子王丸のように人買いに売られてしまう話は、枚挙にいとまがありません。

ということで、今回は、戦国期の売られたり、攫われたりした人々について見ていきたいと思います。


戦国期においての人身売買の発生の最大のものは、やはり戦さでしょう。

戦後の『乱取り』と呼ばれる落ち武者狩り、清掃戦が、勝軍と戦場に集まってきた百姓達の手によって行われるのは有名な話です。


大将や旗頭が余力のあるうちに敗軍をまとめて、うまく撤退すれば良いのですが、それこそ大将が討ち取られたり、バラバラになって逃げ落ちることになると相手方の軍も、百姓たちも敗軍を追いかけていきます。

そしてその略奪されるものの中には、戦地や敵領の非戦闘員である人々も入っています。


略奪のことを意味する「乱取り」の行為の中で、このように人を捕獲することは「人取り」と呼ばれました。


近くに「先発隊」がやってきて陣取りをし始めると、戦地になる場所の近くの人々は、財産を甕に入れ埋め、山や森の中に潜みます。

この自宅から逃げ出すことを「小屋上がり」と言いました。

この後、乱取りが終わるのを待つか、積極的に自分達も乱取りに加わるかします。


また「おあむ物語」という戦国期末期の女性の話がありますが、それを読むと大阪城から逃げ落ちていく人々を人取りする様子が生々しく描かれています。


阿波の蜂須賀家に残る「濫妨らんぼう人の帳」という文書があります。

この濫妨というのは、今の「乱暴狼藉」の元の言葉である「濫妨狼藉」の上の部分ですね。この「濫妨」とは「略奪」のことです。

ですから「略奪された人を記したもの」というタイトルです。

因みに「狼藉」の方が乱暴という意味でした。


その「濫妨人の帳」は大阪城落城の折に、城内から逃げ出してきた非戦闘員を捕獲して、阿波へ連れて帰った人数と性別などを書き記したものです。

蜂須賀隊は、新天下人の徳川家康の公認のもと、濫妨を働いて侍女や小者の彼らを「奴隷」として、自分の領地へ連れて帰り、その記録として文書を作ったということです。


こういう風習は現代から見ると、非常に野蛮な感じがすると思います。

ところが、現代から見ると非常にありえない行動なんですが、平安、鎌倉、室町と時の流れとともに見ると、悲劇といえば悲劇なのですが、そうなるよねという常識があるんです。

これは以前どこかで書かせていただいたのですが、江戸時代より前の常識を理解するのに大事なことなので、書かせて頂きます。


 「ものぐさ太郎」という昔話をご存知の方も多いと思います。

昔、信濃に物ぐさな若者がいて、あまりの役に立たなさに京の信濃守の邸に住み込み奉公(長夫、夫役の一種)へ送り込まれます。上洛した太郎は働き者になり、嫁を貰うまでになります。

しかし、これといってよい相手が見つからなかった太郎は、宿の亭主から不思議なことを言われるんですね。

「供を連れず、輿にも乗らず一人で歩いている女を女捕めとることは、『天下のお許し』である」

そこで清水に行った太郎は、素敵な女性を見かけて攫おうとし、押し問答があった挙句に、和歌を詠みあい妻にするという感じです。

この宿屋の亭主の言ったのは「女捕り、辻捕り」と呼ばれる人取りです。

辻つまり道路を供も連れず、輿にも乗っていない女性を攫ったり、性的な交渉を持っても構わないというとんでもない風習が当時あった訳です。

一応は禁止されてはいるのですが、全く守られていません。

鎌倉時代の貞永元年に制定された「御成敗式目」にも書いてあるんですが、「法師については斟酌あるべし」という添え書きがあるんですね。

身分の低い僧侶はなかなか女性と仲良くできないので、そういうことがあっても我慢してやってくれってことです。

今の政府がそんなことを言ったら、国家転覆の危機ですね。


じゃあ女性はどう思っているのか、という話になりますが、これはまた重複するので端的にいうと、「それを見込んで、女同士で無銭旅に行っていた」というのでご推察を。

現代の女性はそんなことを見込んでいませんから、羨ましいなぁという方は鎌倉、室町時代に転生されるといいと思います。

とかく江戸時代になるまでの女性というのは、元気が良くって奔放です。

その元気っぷりは「アジア一」と宣教師たちを驚かせているくらいです。



 さて、もう一つ例を出します。

その「御成敗式目」の中に、山野、浦浜、市町、道路で起こった人殺しはその場で解決して、「敵討ち」みたいな形で公にしてはいけないという、現代人から見ると言っている意味が、ちょっとわからない制定があります。


つまり、そうした場所は「世俗とは縁の切れた『無縁』」の場所なので、こうしたことは「世俗の場である『生活』とは関係ない」とされました。

これは「無縁の発見」という話になるのですが、この「無縁」という観念が明治時代よりも前の日本人には常識としてあったわけです。


ですから、「無縁」の場所で乱取りすることは、貧しいから仕方なかったで済まされない、昔の日本人にとって、普通の行為だったということです。


続きます。

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