戦国期の妊娠、出産

戦国大名、子が出来たで御座る(妊娠編)

武家において、殿の御内室の皆様に子供ができるというのは、大きなプロジェクトの達成であり、更なるミッションの始まりでありました。


今回は、今から千年以上前に編まれた、日本最古の医術書『医心方』と、織豊時代の名医、曲直瀬道三の書いた『啓迪集』を軸に、当時の妊娠、出産、育児を追っていきたいと思います。


戦国当時、武家にとって、殿のご内室の方々が子供を産むというのは、とても大切なことでした。

その為に、正室、側室ともに、当家にプラスになる家柄の娘で、なおかつ、子供を産めそうな女性を選ぶことが、傅役の重要な仕事でした。

江戸期とは違い、戦国期においては、正室はお飾りではなく、次代様を産む権利と義務を担っていましたが、初婚の場合、婚姻前に子供を産むかどうかまでは、分かりません。

ですから側室の方は、一度嫁いで、子を産んだことのある女性というのが、とても好まれました。


また、そうした場合、連れ子に当たる先夫の子供達は、離縁であれば先夫の家に残されますが、先方の家が潰れたなどという場合には、お母さんが子供を産んだあかつきには、その子の異父兄弟として、召し出され、家臣として吸収されることが多かったようです。



さて、このようにして、ご内室様たちは選ばれ、お輿入れをなされます。


せっかく室に入れたのに、ご懐妊の様子がない、というのは、嫁ぎ先の家臣の皆様も、ご実家の皆様も、気が揉めるものだったことでしょう。

こと、それが殿の第一子、あるいは嫡男待ちであれば、一家をあげて、ご内室様の様子を伺っていたことと思われます。

なかなかプレッシャーですね。


現代であれば、ご内室様に、アレコレ圧がかかりそうです。

しかし、「啓迪集」に、不妊というのは、女性のせいではなく、多くは男性の気の不足にあると書かれているのが、印象的です。

なかなか、子供が出来ないと、殿は「気を充実されませ!」などと、傅役たちから言われていたのでしょうか。


また、太った女性は、脂肪が子宮を閉塞するし、痩せた女性は、子宮が乾いているので受胎できないとあり、様々な漢方薬の投与や、湿布などの治療法が講じられています。


さて、殿の気が充実して、ご内室様の体の太さが整えられますと、ご内室様の乳母たちは、ご内室様の脈を診るようになります。

脈が整うと、妊娠できるよ!という合図になるそうです。

ところで、脈が整うってなんでしょうかね?そこはもう、常識の範疇なのか、書いていません。


準備万端となると、気になるのが、男女、どちらが来てくださるか、ということになるかもしれません。

現代では、男女産み分けというのがありますが、戦国当時にもありました。

月の使者殿がお帰りになられ、そこから奇数日に交わると男児、偶数日に交わると女児が出来るそうです。しかし、妊娠のチャンスは、一週間の間だけで、この後、ことを致されても、妊娠はしないとされていました。


このように、細心の注意を払いつつ、ことを致し、殿のお子様の到来を待ちわびます。


 さて、現代では、おおよそ、致すことを致した。月の使者が参られない。

「これヤバくね?」

となりますが、『栄花物語』『吾妻鏡』『宇津保物語』などを見ても、奥様のご様子がどうも悪さげで、

「余が室は、いかがした」

と、旦那様の殿が問い合わせると、

「実は、先月、先々月と、来たるべきものは来ましたが、今月はまだで、でも、まだ二十日ばかりなんで、もう少ししたら、お知らせしようかな、と思っていました」

などと、ご内室様の侍女から言われて、

「やんなるかな。さすれば、病気平癒の儀を、いたさなくても良かろうか?」

「おそらくは」

などと受け答えがあり、気の揉める月日を過ごした後、四ヶ月か五ヶ月頃になりますと、ようようと

「やっぱりでした」

と、なる様子が、描かれています。


おおよそ、月の使者殿が参られなくなるというのは、昔は結構あることだったようで、原因は血が少ないせいとか、消化不良のせいとか、心を煩わされているせいとかいう話が載っています。

ということで、どうやら殿の子供をご懐妊遊ばされたとなるのは、古来より、胎動が感じられる五ヶ月の頃だったようです。


さて、産み分け方法もありましたが、現代でも、100%とはいきません。況や、戦国をや。

ですから、男の子か、女の子か、というのは気になるものだったようで、左の脈が早かったり、大きかったりすると男の子、その反対は女の子とされていました。

また、トイレにご内室様が立たれた時に、殿が声をかけて、左に振り向いたら男、右に振り向いたら女、とされていたそうです。

気が揉めることですね。


 さて、さて、こうしてご内室のお侍女より

「どうやら、御方様におかれましては、ご懐妊のご様子」

と、お知らせが上がってきますと、殿は重々しくも、晴れがましく、臣下の皆様に

「余が室が、懐妊したぞい」

と、我が手柄を、披露します。

と、同時に神仏の方にも、丁寧にご報告を申し上げて、無事に生まれるように、献金をして、強くお願いいたします。


何しろ、身重のまま亡くなるというのは、生きている間に、知らず知らずのうちに犯した、重い罪の結果だと考えられており、地獄に堕ちることを意味していました。

ですから、連絡を受けた殿も、ご内室の実家も、心を尽くして、無事なる出産を、神仏にお願いすることになります。


ご懐妊遊ばされた妊婦殿が、正室の場合、これは、もう、公式行事ですから、お産の一切を仕切るのは、当家の重臣で、殿の信頼も厚い、万事慣習に通じた教養人の家臣でありました。

そして彼の指揮のもと家をあげて、いざや、いざや!ということで、一大イベントになります。

プレッシャー半端なさそうですね。


そして、殿よりお手柄の告知と共に、重々しくも勿体無くも、選ばれた戌の日(5ヶ月目の15日前後)に、着帯の儀が、執り行われます。

この帯は、懇意の神主が、念入りに祈祷しまくったもので、恭しく神社より届けられます。


さて、いよいよ、お腹に巻くぞ、という日が来ますと、蟇目役の家臣が白装束で、鏑矢をヒュンヒュンいわせて妖魔を撃退します。

これは出産の時も同じですが、畳を横にして立てまして、その普段下になっている方に、白地の扇を七間開いて、折り紙とともに挟み、そこへ向けて射ます。

こうして、妖魔を撃退しつつ、この帯を奥様の腹へ巻きつけるのは、胎児の父親である殿の役目です。


この儀式は、胎児の親権が、殿にあることを内外に示し、家の権力の継承を現す、社会的認知を促す手段でした。


殿も失敗しないように、結ばないといけませんから、練習をされたのでしょうかね?

この帯は妊婦を護るとともに、子供を胎内に鎮めておく役割があるとされ「鎮帯」とも呼ばれました。


この帯のことを、イエズス会のヴァリニャーノが「妊婦の腹が千切れそうにきつく締める」と心配そうに、書いています。

待て待て、妊婦が着物の下の腹に晒しを巻いた姿を、宣教師さんが見ることができた、というのも、現代ではなかなか驚きです。

いかに、夏場に薄着だったのか、わかるエピソードですね。


また、この帯は、入浴中も締めていたそうです。

流石に、洗い替えの帯があると、思いますけども、ねぇ?夏場は勘弁してほしいものです。

この帯は、出産後、浅葱色に染めて、産着にしたそうです。


この日から、妊婦殿は物忌みの生活に入り、様々な禁忌が課せられます。


現代でも胎教というものが、盛んに行われていますが、この戦国時代に於いても、非常に重要なものだと、真剣に取り組まれておりました。


体を安静にし、心穏やかに、飲食も節制して過ごすのは、まぁそうだよねという感じですね。

具体的には、人の悪口を言ったり、聞いたりしてはいけません。悪事を見てはいけません。そんなことをしたら、短命で愚鈍な子供が生まれる!と警告をしています。

淫らな音楽を聞かず、奢った言葉を口にせず、夜に盲目の人に詩を読んでもらい、正しい話をさせて聞いていれば、容色の麗しい、才に恵まれた子供が生まれるようです。

淫らな音楽って、どんなものか、聴いてみたいですね。

もちろん、殿との夜の部はなしです。

事を致せば、生まれてくる子供の頭に、白い膜が乗って出てくるそうで、したわね?と皆様にバレるらしいです。


さて、ご内室様は、夜、ぐっすり寝てはいけません。少しだけ運動をして、あとは静かな部屋で、おとなしく平静に過ごし、だからといって、ウトウトお昼寝などするのはよくありません。

こと、風に当たって昼寝なんて、とんでもなく、春から秋にかけて、のんびりと縁側で、ウツラウツラは厳禁というのは、寝不足になってそうなご内室様にとって、厳しそうです。


冷たい水は飲まず、食べ物は暖かいものや乾燥したものは良くなく、冷えたものを召し上がることを勧められています。

食べていいものは厳重に決められています。

例えば、肉類、魚類は良くないそうで、たんぱく質は、大豆類から。そうでないと、お腹の中で胎児がなくなってしまうと忠告をしています。

或いは羊の肝を食べると、生まれた後、災難が多い子になるとされています。

食べ合わせの禁忌もあり、トノサマガエルと生魚を食べ合わせると口のきけない子になります。

むしろ当時の食生活がわかり、非常に興味深いですね。


おそらく、優れた子供を無事に産んだ先人の知恵が、山のように積み重なった結果なのでしょう。様々な忠告が、ここでは書ききれないほど並んでします。



さて、このように、ご内室様が良い子を産むように励んでおられるころ、殿の意気込みが強い、或いはご内室様のご様子がお悪い場合は、罪人を放免してみたり、神社仏閣の整備をしてみたり、神様へのアピールが多岐に渡ります。

勿論、妊婦である御内室様ご本人も参拝をしたり、代参させたりします。


無事に出産し、子供が成人するのが難しい当時、今の常識では考えられないほど、神頼みにつぐ、神頼み、まじないに次ぐ呪いの世界でした。


何しろ、「人口から見る日本の歴史」によると、この当時、死産率は10〜15%。無事に出産しても、6歳までは30%以上、元服まで生き延びられるのは、50%程度でした。


何とか、お家の為に、無事に子供達を産み育てるのは、大きな仕事だったことが分かります。


さて、次回は、妊娠後期に入り、乳母の選出や出産を支える人々の様子をお伝えしたいと思います。



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