戦国期の子育て

武家の息子の教育事情(校正、追加)

(以前の項を二つに分け、書き直し、書き足しを致しました)


 戦国当時、武家の息子が教育をつける「学校」は、基本的に禅宗のお寺でした。

嫡男たちは、自らの居城の二郭、三廓などにある禅宗のお寺に、小姓や馬廻に付き添われながら、毎日通ったとされています。

嫡男以外の息子たちは、そのままお寺にお預けになる場合と、嫡男たち同様、通いになる場合がありました。


 寺で習う事の初級としましては、読み書きです(基本的な読み書きは、通う前に教えられています)

禅宗ですから、仏教の経文を読みます。

そして、室町時代の初期に纏められた『庭訓往来ていきんおうらい』という、手紙のやり取りの形式をとった教科書です。

内容は、まず手紙の形式をとっていることから、「書札礼」に基づいた文書の書き方を学べます。

出した手紙と返書が一対となって、一ヶ月に一往復の手紙を読んで学ぶというやり方で、身につけておくべき様々な一般的な教養を身につけることができるという優れものでした。


一月の項目では、新年の会遊、招待状の出し方も学べます。

二月は、花見詩歌。歌も唄えないといけません。

三月は、領国統治について。館の作りから農産物について学びます。

四月は、商業的な繁栄について書かれています。領地を豊かにするための為政の心得、様々な優秀な職人たちを如何にして招致するか。城下町の運営。商取引について。諸国の特産品について。様々な施設や名前も覚えます。

五月は、家財道具について学びを深めます。台所の調理器具まで覚えることになります。この知識をもとに、鍋とか五徳とか子供の名前を考えるのでしょうか……

六月は、戦について出てきます。出陣の手順や命令系統の確認と心得。武具や馬具などの名称も覚えます。

七月は、催し物の衣装、それに使う様々な道具について。

八月は、司法制度、司法機関の組織、役職。実際にどういう形式、手順で訴訟を起こし、解決をしていくか。

閏八月は、行列の威容

九月、仏教について。寺の伽藍や仏像、諸道具、僧侶の役割。法会の式次第。

十月、僧侶の位や呼び方、布施物、点心用の食材、菓子、そのための道具の名称。

十一月、病気の種類と治療法、病気の予防、健康維持について。

十二月、地方の行政の具体的なやり方。離着任のしきたり。


『実語教』平安時代に成立したと言われている仏教系の修身書

『童子教』鎌倉時代に成立したらしい子供用の素養集。

以上は、ベストセラーで江戸時代の末まで寺小屋で使われました。


ちなみに、この手紙のやり取り形式は大好評だったらしく、江戸時代には、商人のご子息用には「商売往来」、百姓の皆様用には「百姓往来」とシリーズ化されたという大ヒット商品?でした。


 さて、戦国期の武家の少年たちは、これらを無事に修めますと、次は中級の教育に入ります。

まず『四書』論語、大学、中庸、孟子

『五経』易経、書経、詩経、礼記、春秋

『兵法書』六韜りくとう、三略、孫子


次に上級になると

書道の草書、行書

日本の古典 万葉集や古今和歌集、平家物語、源氏物語、伊勢物語


 戦国当時、連歌というものが非常に盛んでした。

普通の武家でも月一で近所の武将たちと集まって、例会と呼ばれる連歌会が行われましたし、殿の元に連歌師が訪れると、その会に参加して歌を詠まなければなりませんでした。

文化的、社交的な意味合いも有りますが、戦勝祈願にも連歌がなされるようになりますから、当時の武家の息子にとっては和歌を習うのは、必須であると言っても過言ではありません。


この連歌は、前の人の句を受けて自分の句を作るというもので、一種の連想ゲームのような側面があります。

つまり前の人が何かを下敷きにして作っていた場合、それを瞬時に理解して作らねば恥をかいてしまいます。

その為、非常に教養が必要で「古今集」「万葉集」「源氏物語」「平家物語」「太平記」辺りは暗記するほどに覚えておく必要がありました。

武将によっては、ここの教養が充分ではなかったと、自ら師を探して教えを乞うていることが記録されています。


その他、武芸四門

乗馬、兵法(剣術)、弓、鉄砲

これらをそれぞれ師匠をお迎えして、学びました。


鍛錬、勉学はいつまででお終いということはなく、一区切りつくのは元服あたりだったようですが、それ以降も上手な人がいる、精通した人がいると聞けば呼び寄せて、教えを請います。


信長公も「公記」によると家督相続前の頃の話ですが、「弓は市川大介、銃は橋下一巴、兵法は平田三位」について習っていたと書いてあります。

そのほか、毎朝夕に馬術、三月から九月までは川で泳ぎ、兵の動かし方が身につくと言われている鷹狩りをしたとあります。


 その他、蹴鞠などを嗜んで教養を高めて、公卿と親しくすることも政治的に必要なことでした。


 

 また面白いことにこの教養部門では、料理という部門もありました。

当時、調理は中級以上の家臣の仕事です。

普段の料理もそうですが、客人を招いての御膳、戦に赴いた折にも腕を振るうことになり、験を担いだり、古典を下敷きにした料理を出したり、なかなか教養と工夫のいる部署でした。



 彼らの教育のやり方については宣教師のフロイスや「日本王国記」の著者である16世紀末から長崎に滞在していた商人のベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロン、「日本大王国志」のフランソワ・カロン(十七世紀初め長崎に渡来、日本人と結婚し、通訳などの仕事をする)も皆口を揃えて

子供がどんなに癇癪を起こしたり、泣き叫んでも、叩いたりせず穏やかに譴責するだけであり、非常に注意深く柔和に教育したとあります。


その結果

「子供は非常に美しく愛らしく、六、七歳で道理をわきまえるほど素晴らしい理解力を有している」(ヒロン)

「七から十二歳の子供が賢くかつ温和であることに驚くべき程で、彼らの知識、言語、応対はまるで老人のようだ。」(カロン)

十歳でも使者の役を務める思慮のある点では、五十歳にも見える。立ち振る舞いも落ち着きがあり優雅で、公衆の前でも堂々としている(フロイス)

という仕上がりになっています。
















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