人生の終わりに舞を舞う
『人間50年、下天のうちにくらぶれば』
桶狭間合戦前のみならず、本能寺の変の折にも、最期に一差舞って自害したとされる信長公。
非常に風流でございます。
さすが!
死ぬかって時に、舞い踊る。どんだけココロに余裕があるのでしょう(怒ってる?)
実際、幸若舞は信長公の趣味の1つで、清須時代にわざわざ松井夕閑さんを招いて習っていたと言われています。
しかし、信長公はこの『人間50年下天のうちにぃ』一本槍で歌い踊ったといいますから、さぞや磨きに磨きがかかったかと思われます。
持ち歌だったんですねぇ(´・д・`)
故に人生の最期の最期に、これを舞いたかった。
気持ちは分かります。
まぁ、これしか舞わなかったというのをまじめに言えば、趣味として舞うが、耽溺はしないということかもしれません。
さて、ただ気になるのが、今川義元も桶狭間の戦いの時に、午後の戦いの前に舞い踊ってるそうなんですね。太田牛一さんによると。
この本能寺の変といい、桶狭間の戦いといい、誰に聞いたんですかね?
と考えると、太田牛一さんの美意識というものに突き当たらざるを得ません。
この人生の終わりに舞を舞う。
こういう行為が意識高い系の大名には相応しい、有終の美を飾る行為であると考えられていたというのは、この時代の1つの文化を示していると思いませんか。
例えば、ある大会社の社長さん、まぁビル・ゲイツさんとかが、失礼ながらテロに遭った。
絶体絶命のその時に、Zayn(ゼイン・マリク)の『I don't wanna live forever』を歌ったとか。いや、Zaynが悪ければ、Queenの『Who wants live forever』とかね?
例がおかしいぞ!麒麟屋!かもですが、当時からすれば、現代では伝統芸能の重々しい能だってミュージカルですから……ねぇ
幸若舞だって……ねぇ?
まぁZOZO前澤氏が火災に遭って、EXILEの何か、こう人生の儚さを歌った歌を歌い踊ってから亡くなった(ごめんなさい)。
それを素敵と思う文化が戦国期であったということです。
さて、皆さんのご機嫌取りに、敦盛を書いときますね!
これは幸若舞『敦盛』ですが、敦盛本人のことを唄ったところではなく、敦盛を討った熊谷直実の出家のシーンです。
『思へば此の世は常の
草葉に置く白露
水に宿る月より
南楼の月を弄ぶ
(ノ・ω・)ノ ̄ハィ!
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