戦国大名からの手紙(書札礼)⓵

もしあなたが戦国大名に転生して、信長公と仲良くしたいなぁと思ったとします。

そこでお手紙を出すことにします。


そこで出てくるのが『書札礼しょさつれい』という作法で、それを纏めたのが「書札礼書」と呼ばれる書です。

これは戦国期以前の幕府、公卿などの間でなされていた書簡のやり取りをアレンジしたものを、それぞれが書き記したもので、特に緩やかな西国と礼儀に厳しい東国では温度差があり、一定したものではありませんでした。

それでも、この礼法というのは重要視されていました。


礼儀に則って丁寧なものは『賞翫しょうがん』一般的には『厚礼こうれい』、丁寧ではないものは『薄礼はくれい』と呼ばれます。


先ずは自分と相手の家の家格がどのようなものか、客観的に吟味するところから始まります。この相手と自分の家の家格の差によって、使う料紙の種類、挨拶の仕方、締めの言葉などが異なって来ます。


例えば、今川家は義元在世当時は、戦国期最大級の家格を誇っていました。ところが、桶狭間合戦で義元が討たれると一気に家格が落ちましたが、当主である氏真はそれが分からず、変わらぬ態度で手紙を出していました。

しかし、東国の上杉氏は不愉快に思い、何たる態度!無礼者!と激怒して、今川家から来る手紙や使者に対し、無視をするようになったそうです。

戸惑った氏真は上杉家の取次に「どうしてか」と問いかけると「書礼慮外しょれいりょがい」と返されました。しかし、それでも氏真は「ずっとこの書式で出して問題はなかったのに」と自らの家の家格の下落が理解できなかったそうでです。


このように家格の差を客観視することは、非常に重要な事だったのですね。


大名が直接お互いに文をやり取りするのは、家格が同等な場合の「外交文書」がほとんどです。同じ家中でも、例え大名の息子や娘、或いは奥様でも同等ではありませんから、憚って取次宛に書状を出すことが求められました。

これは大名だけではなく、国衆の当主(大名と契約して証人を出している独自性の高い地方領主。厳密には家臣ではありませんでした。尾張半国時代では林氏、佐久間氏、佐々氏、前田氏、丹羽氏、水野氏、毛利氏、山口氏などがそれに当たります)に対しても、同じ身分かそれより上でないと、本人宛に書状を出すことは薄礼に当たりました。


 さて、こうして自分と相手の家格の差が分かったら、まず書く紙を考えます。文字を書く紙は『料紙りょうし』と呼ばれます。


戦国期に使われていた紙は、五十種類以上あったようです。

麻で作った麻紙まし。これは十二世紀までは上質紙として扱われていましたが、書きにくいという短所の為に、それよりも劣るとされていた楮が原料の「楮紙ちょし」または「殻紙こくし(またはかじかみ)」と呼ばれる紙にとって変わるようになり、こちらが一般的に使われる紙になりました。


楮は様々な植物と混ぜて紙を作られており、米粉を混ぜて作られたものを「杉原紙」と言います。この紙の呼び名は非常に色々で、一定しませんがここでは杉原紙と呼びたいと思います。小説で使われる場合は杉原紙ではなく「杉原」とか「水原すいば」「すい」と呼ばせると、本格的です。

この杉原紙というのが鎌倉以降、武家の料紙としては一般的に使用される紙で、武士の独占紙でもありました。それで武家の献上品の「一束一本」は杉原紙を五百枚(十帖)と扇一本のことを言います。


楮に黄蜀葵おうしょっきの根を混ぜて作ったのが「美濃紙」。白土を混ぜたのが「奉書紙ほうしょがみ」(この分類はなかなか難しいようです)。

「奉書紙」という言葉が出てくるのは戦国後期で江戸以降に広まりましたが、使用自体は古くからありました。これらは長持ちするものでした。

大名文書に添えられる取次の文書(添状、副状)や家臣が代理で出す奉書によく使われました。


まゆみと合わせて作られた縮緬皺のある「檀紙だんし」は「陸奥紙」と呼ばれる高級品で、朱印状などこれで出されることが多かったようです。

古くは公卿たちが懐に入れておき、和歌を読む時に使いました。

この檀紙のうち、薄墨色のものをとくに「引合ひきあわせ」と呼ぶようです。これを鎧の引き合わせ(右脇の隙間)に入れて置きました。辞世の句はこれに書いたのでしょうか?

恋文はこれで書いたそうです。

この小さな小判状のものを「小引合」と呼ぶそうです。


大名が外交文書に使う料紙は別にありました。

それは雁皮がんぴと呼ばれる植物から作られた光沢のある美しい紙で「斐紙ひし」と呼ばれました。その美しさは「紙の王」と呼ばれるほどです。


平安時代には薄様が好まれましたが、武家社会では厚様のものが好まれ、薄い黄色味の強い物を特に「鳥の子紙」として最上級の物であるとされました。

しかし雁皮は生育の遅い植物で、また繊維が短かった為、鳥の子は手に入りづらい物でもありました。また東国では雁皮自体が生えなかったそうです。

その為多くの場合、三椏みつまたを使った「椏紙あし」が使われました。これは雁皮紙に比べれば光沢が落ちたものの、十分代用品になったようです。

椏紙は現在紙幣として使用されている紙ですので、是非ともお財布の中を見てくださいね。


今回は紙のことで終わりそうなので、序でに。

宿紙しゅくし」はリサイクル紙の事で、漉き返し紙、薄墨紙などと呼ばれました。これらは普通に漉き返して、メモや下書きなどに使います。

特殊な例として、親しい人が亡くなった時にその人からもらった文を漉き返して、お経を書いて供養奉納をしたそうです。この場合「反魂紙はんこんし」「還魂紙かんこんし」と呼ばれていました。


最後に紙の大きさを見てみましょう。

紙を漉いた時の大きさは、全紙と呼びますね。これを当時は「堅紙かたかみ」と呼びました。

この堅紙の大きさは、当時のことですので一定しませんが、習字で使う半紙を長い方を横辺にして二つ並べたほどの大きさでした。

つまり堅紙を縦に半分にしたのが現在の半紙です。


そうではなく、堅紙を横半分に切った物を「切紙きりがみ」と呼ばれました。この横長の紙が基本的な戦国期の料紙の大きさです。


しかし、東国では半紙、当時で言う「堅切紙たてきりがみ」で文書を送るのが流行ったり、ばさっと堅紙のまま送っていたりします。


基本はこれだけども、流行り廃りがあったり、切る暇がないと堅紙で送っても良かったりするのかもしれません。

















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