戦国時代に体と髪の毛を洗う

 戦国期のシャンプーとボディシャンプーについて考えます。


大名の皆様は、午前三時ごろから起きて、夏場などは井戸端で体を拭いていたそうですが、こういう時には水拭きでしょうね。


戦国時代のお風呂は蒸し風呂で、下でお湯を沸かして、板間の隙間からその湯気がモウモウと上がってくる中に座り、浮いて来た脂や垢をこすり落としたと言います。


お客人や部下を風呂振る舞いに招待するのは、社交的に大切なことでしたので、上級武士(宿老など拝領屋敷で接待をする可能性のある者。城持ちの者は本城にも設置)と大名は、立場上、こうした専用サウナルームを持っていることは有名です。


明智光秀も在京中、公家屋敷の風呂にちょくちょくお邪魔しているようで、日記に『きた』『来た』と書いてあります。

またその光秀の訪問を受けた一人である山科言継卿も、薪を持って、よそのお風呂にお邪魔している姿が日記に記されています。

お公卿さんたちは貧乏だったので、薪を持ち寄って、皆でお湯を沸かしていたんですね。

奥様たちはどうしてたのか、気になるところです。残り湯ならぬ、残り湯気でしょうか……


さて、こうした時には平安時代には、麻の単衣の湯帷子を着ていました。

鎌倉時代には女性は湯文字という腰巻、男性は現在で言うところの褌で入るようになり、安土桃山時代にはスッポンポンで入るようになったと書いてあります。

すっぽんぽんは良くないのか、一般的に小説では、武将は平安時代のように湯帷子や褌を着ていた設定が多いですよね。

確かに大名たるもの、すっぽんぽんのところを襲われては、防御力が低そうです。


ただ、裸を晒すということへの羞恥心は、今の私たちにくらべて、どうも薄いようです。

夏場は大名の御内室の皆様と言えども、上半身はうっすい衣でお胸は、スケス〜ケ、丸見え〜の、モロ見え〜のだったそうですが、問題なかったようです。

下半身は打掛を腰で結んで、ナイナイだったそうで、隠し所は一箇所!というシンプルさを誇っていたようです。

いわんや、男性をや。

日本は高温多湿ですからね。仕方ありません。

殿の下帯も夏場は粗い織り目の麻で、スケス〜ケの丸見え〜の、モロ見え〜でおあいこですね。


 しかし、褌はまだしも湯帷子を着て垢をするのは至難の業です。

そこは有能な侍女や小姓が、あっちやこっちから手を入れて、何とかしたのでしょうか。

なかなか妄想が膨らむことです。

公家や僧侶や民衆たちは、スッポンポンでしたでしょうがね。


まぁ、このあたりは、史料に出会いましたら、加筆訂正をしたいと思います。



さて、で御座います。


今回はお風呂の時に、何を着ていたかではなく、何で洗っていたのかです。


体が先か、髪の毛が先か、というのもさっぱり分かりませんが、ハレとケの思考から、髪の毛が先だったのではないかと推測します。


 明治天皇の生活をまとめた本がありますが、それによると上半身がお清、下半身が穢(現在手元に本がなくて確認できず、言い方が違うかもと思います)と呼ばれて、体を拭く布も上半身と下半身は別だったそうです。

ですから、下半身が浸かった同じお湯に、お清の上半身が浸かるのは甚だ好ましくないことになります。

それで半身浴で上からザバー、ザバーと、湯文字をお召の天皇に、ぶっかけてたと書いてありました。


夏はそれでいいでしょうが、冬は寒くてたまらなかったそうで、天皇はあんまりお風呂は好きではなかったそうです。

確かに、それはちょっといやだなぁと思いますね……


その徹底ぶりたるや、お侍女さんたちは、天皇のお食事のサーブ中にうっかりスカート部分に手が当たらないように手を外に向けて軽く握り、万一ちょっとでも触ってしまうとそこから退出してお清めをしないといけなかったそうです。


かと言って、武家がお湯に入らなかったかというとそういう訳ではなく、湯治として結構温泉に行っていました。

信玄の隠し湯や、秀吉が秀長が体調が悪いとなると温泉に行くのを勧めたりしていますね。


信長公も秀吉や利家、丹羽長秀たちを引き連れて、下呂温泉へ出掛けたそうです。


その時には下帯をつけたか、どうかきになるところで御座います。


いや、だから、何を着たかではなく、何で洗ったかでした。


ということで、何はともあれ、まずは髪の毛を洗いましょう。


史料に残っているのは

灰汁(洗濯物と一緒ですね)シャンプー

お酢シャンプー

泥シャンプー

小麦粉シャンプー(ふのりと混ぜる)

米のとぎ汁シャンプー

と色々あるようです。



灰シャンプーはアルカリ性なので、肌や髪の毛のタンパク質が、汚れとともにさよ~なら~~~という感じです。

今回、朝、洗面器に灰と水を入れて、夜まで待って使ってみました。

薄めて使ったように書いてあったのですが、残念ながら割合を書いてある資料には出会えず、テキトーに水と灰汁2、8ほどにしてみました。


それが〜、皆様。少なくともこの割合は不味かった。

脂分の多い方はいいかもしれませんが、毎日は洗いたくない感じです。

まぁ敵は、いや戦国期の皆さんは毎日洗っていないので良かったんでしょうけども、キューティクルが一揆を起こしても仕方ない感じです。

麒麟屋はどちらかというと、乾燥系なのでウッという感じでしたが、「いい!」という方もおられたので、案外良いのかもしれません。

下級武士や庶民の皆様は、そもそも行水が主流なので、こちらがおすすめです。



お酢は……臭いです。

洗面器に大さじ二、三杯程度の米酢を入れてみました。


突然、お風呂が臭くなります。

締め切って蒸し蒸しして、暖かいので余計臭いです。

えいや!と髪にかけます。

残念なことに顔には鼻があるので、世界がお酢臭くなります。


どうしようか悩みますが、とりあえず髪の毛を揉みます。

髪自体は……乾かすとふっくらした感じがします。何となくですが……

しかし、正直に言うと、なんだか翌日もお酢臭い気がしました。すすぎ方がたりなかったということは無いと思いますので、これはもう気持ちの問題だったのだとは思います。

リンス代わりにはいい感じですが、洗った!という気はしませんでした。




泥と小麦粉は試すと排水溝が詰まりそうなので……試しませんでした。


米のとぎ汁は……なんかよく分からなくて、乾かしたあと、洗ったという気持ちがしなくて、悩んだ末に普通にシャンプーしてしまいました。が、髪の毛には良さそうでした。


ちなみに、お米のとぎ汁は、「ゆする」と呼ばれ、髪の毛のお手入れや髷を結う時につかいました。

相性がいいのでしょうね。

栄養もあるので、続けると髪の毛もピカピカになりそうな気持ちになります。

ゆすると酢だったら、ゆするを絶対オススメします。



個人的には、布海苔ふのりを煮出した物を麻布で濾して液を、揉み込むようにして洗ったという説が一推しです。

しかし、これはもう庶民や下級武士の皆様では、ちょっと無理かなという感じがします。宿老、大名クラスの殿やそのご家族ご使用のセレブシャンプーではないかなと推測します。


なんというのか、布海苔シャンプーは、お酢臭くもないし、なんだか仕上がりが重い感じはするのですが、ねっとり艶やかな感じで、ここから髷を結うのも簡単そうです。

灰シャンプーに比べて、汚れが取れているのがどうかは、疑問です……



至れり尽くせりの現代の私たちには、どれも帯に短し、タスキに長しな戦国時代のシャンプーです。


髪の毛を洗ったら、次には体を洗いたいと思います。


体を洗うのにも、上記の灰汁や米のとぎ汁を使ったともあります。


灰汁と布海苔はシャンプーからの流れで体を擦ってみました。

擦るのは、麻布にしました。手に入らなかったのですが、ヘチマは良いですよね。

サウナ状態にはならないので、いまいちでしたが、浮いた脂を落とし、垢を落とすという気持ちで考えると〜

灰汁は、頻繁にお風呂に入る習慣が無い戦国期には、いいかもしれません。


布海苔は、反対になんというのか、滑りが良くなる?みたいな。ジェルで洗うイメージを持ってもらえると良いかもしれません。


米糠は平安時代から使用していたと言われています。

ただ糠がこぼれないような目の詰んだ麻布をお使いになられることをお勧めします。平安時代や尊いお公卿の皆様は、皮膚病が蔓延していたそうなので、低刺激の良い方は絹をお勧めします。


もしかしたら、大名クラスになると、灰汁でさっぱりした後、米糠で仕上げをしたかもしれません。


庶民の皆様には、江戸時代とは違い、米自体口にするのも難しかったので、川で洗濯や水浴びのついでに、ムクロジの皮や灰汁で洗ったかもしれませんね。


しかし、都会(奈良、京都)の庶民の皆様には、なんと銭湯が古くからありました。

奈良時代から、焼けては再建されの東大寺の大湯屋や、京の都の銭湯など、流石都会は凄いですね。


 

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