戦国時代で着物を洗う

戦国時代の皆様は、どうやって洗濯していたでしょう。


戦国時代の一般的な洗剤は、灰汁はいじるです。


庶民の皆様は、竈や囲炉裏などから取った灰を詰めた灰汁桶あくおけに水を入れ、桶の下に開けた口から出て来た灰汁や、普通の桶や大きめの陶器に灰と水を入れ、その上澄みを掬ったものを洗剤として使いました。


これはアルカリ性で、現在も石鹸などの原材料になるものです。


平らめの岩に洗濯物を置き、薄めた灰汁をかけます。

そこで足踏み式で着物を洗います。


着ている物は基本的に麻なので、濡れているうちに力一杯伸ばし、竹を裂いて組み合わせた物に、皺をよく広げるようにして干しました。

あっという間に乾くので、乾きすぎないように気をつけないとゴワゴワになって着にくくなります。


大名を始め中級以上の士分の人たちは、竈の灰の利用ではなくて、藁やすすき、茅などを焼いた物を使用していました。

特に藁を焼いた灰から作る灰汁は良質の洗剤でした。


しかし、藁は非常に利用価値の高いもので、草履を作ったり、冬場に布の間に入れて寒さよけにしたり、敷物にしたり、その他でも砦や城屋敷を作る時に俵土嚢という俵の中に土を入れた物を使っていたり、最終的には田畑に埋めて肥料にしていた事から、大名や宿老、武将クラスではないとせいぜい草履を作った時に出た藁屑を利用するのが精一杯だったかと思います。


それ以外ではエゴノキの若い実、サイカチのさやの煮汁、ムクロジの樹皮や実を水につけて洗剤にしていました。


灰汁に比べていつも手に入る訳ではありませんし、一手間かかりますが、こういったものも利用していたと思われます。



大名や武将たちやその家族の着物は絹織物です。

普段は着た後に、汚れを確認して布で拭いたり叩いたりし、風通しの良い場所に干して、香を薫きしめて仕舞います。


絹織物の着物を洗う場合は、木綿の着物と一緒で糸を全部解きます。

丁寧に手洗いをした後、裾を縫い合わせて一反の布に戻します。

それを洗い張りの一種、「伸子張しんしばり」と呼ばれる干し方で乾かします。


布の短い方の両端を「張り木」と呼ばれる手棒で挟みます。

張り木には綱を通す穴が両端にあります。

それをピンと張れる場所に、穴に通した綱でハンモックのように吊します。

ハンモックと違って遊びを作ったらダメです。綱をしっかり引っ張って、ピン!と張ります。張りすぎると高級な殿の着物がメリメリと破けるかもしれないので、塩梅が必要です。


さて、長細いハンモックが出来ましたら、裏から「伸子しんし」と呼ばれる竹ひごの両端を尖らせた物(もしくは真鍮の針をつけたもの)を、布の左右の端に刺していきます。


なんだか魚の骨か、あばら骨のようですね。


気をつけないと大方様の高価な着物がビリビリと破れるので、丁寧に刺していかねばなりません。


張り木で挟んだ上下に平行して、布の左右を竹ひごを刺して伸ばしていきます。

一反に対して三百本の伸子を刺したそうです。


これ以外では、乾かした後、布の両端を縫い合わせて輪っかにし、二本の巻き棒を使うか、二人掛かりで引っ張りながら、湯のしと呼ばれる蒸気をあてて伸ばしたそうです。


大名クラスになると、簡単な下着類は、勿論お端下の女達が洗っていたのでしょうが、当主家族の着物は城下町の家臣の染物屋に出していたかもしれません。


天然の素材の布は、縮緬などの特殊な織でない限り、何回か水を通すとあまり縮まなくなるそうです。


それにしても重労働ですね。


木綿が普及したのはよく分かります……






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