知ってるようで知らない戦国期の下着のお話…いや、知らないことばかりだ!
とても面白かったです。
毎日お洗濯できる現代の環境が有り難いと思えてきます。
薄黄色の麻の褌オススメとしていた家康公。
汚れが目立たないから、あまり洗濯をしなくてすむって…実に家康公らしいエピソードに膝を打ちました!
こうも立派なケチ精神!
三河は家臣との団結力がすごいということ『戦国徒然』で読ませてもらいました、が、こういう時の家臣たちの本心ってどんなだったんだろうと想像します。
でたよ、ケチ。
吝嗇発動。
とか思われてたのかな、なんて笑
作者からの返信
コメントありがとうございます(平伏
家康公は、最早、ここまで来ると立派だよっ!って感じが…
一体、当時の皆様は、どんな頻度で下帯を替えてたのか、気になります。
戦が終わるまでは、なかなか下帯を緩めるのも難しいような経験があれば、普段でも、一週間位なら、下帯付けっぱなしでも、平気になるのでしょうか…
絶対、戦国期には行きたくない…
特に家康公には、近寄り辛い気持ちが、増し増しです。
家康公は、勝者の歴史に包まれ、実態が霞みがちですが、それでも溢れ出る、このアクの強さは、流石に戦国期の三英雄の一人であられますね…
軍神謙信公といい、家臣の皆様のご苦労が偲ばれます。
こんばんは。とても勉強になりました。
『「大坂の役」と呼ばれるそれで、鹿垣も結わえず、壕も掘れず……見るに見かねた家康公が御自ら鍬を持って掘ったという話が残っています』
真田丸にこのシーンがありましたけど、史実からの引用だったんですね。
中国史もそうですが、(特に庶民は)何を履いていたのかよくわからない。
他の記述もそうですけど、当時、当たり前で誰でも知っていることは、あまり書き残してくれないんですよね。
書く身になれば、理解できますけど、後世の我々を悩ませる問題ですね。
作者からの返信
返信が遅くなり失礼しました。
それなんですよね…
当時の常識的なことは、ほぼ書いていない。
学者さんの論文でも、案外先入観で書いてあることもあったりして、難しいですよね…
今、「洛中洛外図屏風」の読み方を学習中なんですが、前後の時代の絵画作品を見比べろとか、参考史料は複数用意しろとかで、震えています…つらし
家康さんの逸話は、山岡氏の小説が通説として幅をきかせて、例えば桶狭間の後の岡崎入城の牛歩や旗印が事実として論じられていて、微妙な感じですね。
しかし三方ヶ原の敗戦の逸話もしかみ像を含め近年覆されかけていますし、大河ドラマの家康が少し楽しみかな。
まぁ当時の日記やら記事も改竄やら、伝聞でほんまのことか分からないとこもあって…
日帰りタイムマシンがほしいかな。
青切さんは行けるとしたら、どこへ行かれますか?
私は信長公推しなんで、安土城見学ツアーの日に行って、観覧料を渡しついでに公の手を握ってきます♡