戦国期のお酒(2020 6、5酒名を追加)再掲

訂正後、公開するの忘れていました(脂汗


戦国大名は朝、重臣を集めて会議である「評定」をしつつご飯を食べて、お酒を飲む習慣がある方も多かったと聞きます。


戦国期の逸話で百杯呑んだとか、五合一気に呑んだとか、色々書いてあります。

みんな酒豪なのでしょうか?それとも、アル中?


 以前、傷に焼酎を吐きかけるようなシーンを取り入れたくて、資料を漁りました。しかし、調べる限りは、焼酎や消毒できるほど、アルコール度数の高いお酒は、戦国期には存在していませんでした。


この頃、よく呑まれたお酒は、あまりアルコール度数が高くなく、白酒や白濁した味醂みりんのような感じだったということです。

特に、足軽から大名まで、普段のお酒というのは買うものではなく、味噌と同じように、自分たちで米から作るものが殆どでした。

長期間の陣になりますと、まとめて渡すとお酒を作ってしまうので、毎日配給すると書いてあります。


ほとんどが、自家製の濁り酒ということになります。


しかし、清酒も中期あたりから、次第に流通するようになってきました。


 戦国期の大名は、儀式と儀礼を重んじておりました。

他所の家と親しく付き合い、折に触れて、贈り物をし合い、また、権力地盤が江戸期と違い、緩やかだった為に、領地内の国衆、有力な直臣たちと、頻繁に宴席を設けたり、祝い事があれば、こちらも贈り物をしました。

その為大量のお酒が必要となり、城下町には酒屋が出来、そこは柳町と呼ばれ、現在でもその名前が残っている所もあるでしょう。


しかし、高価なものだったようです。


有名なものをいくつか列記させていただきます。


京の都で造られ、酒の別名にもなったのが「柳酒」です。最盛期には、造り酒屋が軒を連ね、その数、百とも二百とも言われています。

古都といえば、奈良ですね。こちらは寺で酒が造られました。寺で造られた酒を「僧坊酒」というそうですが、こと興福寺で造られた僧坊酒は、有名で「奈良酒」の代表格だったそうです。

京、奈良といえば、河内も古都です。こちらの真言宗金剛寺で造られた、僧坊酒も有名で、「河内天野酒」と言い、特に太閤秀吉が愛飲したということです。

その他、関東の名家、北条氏に献上されていた、伊豆の江川氏の「江川酒」も有名どころだったそうです。



さて、信長公はワインを飲んだと記録に残っていますが、このワインの種類は、いわゆる甘い果実酒のポートワインだったそうです。


ポルトガル語の「ヴァニョ・ティント(赤ワイン)」から「珍陀酒チンタしゅ」と呼ばれていました。


宣教師から勧められた信長公は、

「まるで血のようだ……」と言われて飲まれたそうです。

信長公と赤い珍陀酒はよく似合うイメージではありますが、その後、愛飲した記録はありません。


そもそも、信長公は、普段、あまりお酒を召されることがなかったようです。

強い方では無かったのかもしれませんし、自制をされていたのかもしれません。

ただ、全くの下戸ではなく、宴席でほろ酔いになられ、ご機嫌に自作の小唄を唄ったり、ほのぼのとした想い出話をしたりした、逸話が残っておられます。



ウィスキーやバーボンは、ペリーと共に来日した物で残念ながら洋酒は、珍陀酒だけのようです。



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