戦の準備をするでござる

さて、取次を通じて戦を何とか回避しようとしましたが、もう開戦しかない。


そうなるとまず、軍備を整えなくてはなりません。

軍備は当時「御備おそなえ」と呼ばれました。

お供えではないです。

御を付けないそなえになると、布陣の時の団体の事になるので、上品に御をつけて御備と呼びます。


まず「戦評定」と呼ばれる会議が執り行われます。

一段高くなった所に御屋形様がお座りになられ、そこを中心に円を描くように丸く円陣型で座ります。

御屋形様の近くに座れるのは、親戚関係の連枝、一門衆と呼ばれる人達、それから重臣です。

信長公であれば、兄弟やおじさん、それから乳母子の池田恒興、宿老衆は一長いちおとなの林、それから柴田、佐久間、滝川、丹羽などの家臣。

御屋形様の後ろには勿論、太刀持ちと露払いの小姓が侍っています。


円陣の中央には絵図が置かれ、様々なことが検討されます。


他の大名と連携を取るかどうか。

参陣をして貰わなくても、他所の領土を通るときにはそこの大名の了承も必要ですし、場合によっては、印判を出して貰ってそこの領民に伝馬を出して貰ったりします。

誰が参陣して、誰が残るのか。

足軽大将、侍大将など役割を決めます。

それから、そこに付ける人数割をしていきます。

目的地、進軍ルート、滞在予定期間。

作戦を練り、先鋒を決め、陣割りをしていきます。

決めることは多いですね。


長期化しそうな場合は、どう兵糧を送るのか。

戦にどう参加させ、また後方支援体制をどう整えるのか、大名たちは考えます。

何しろひと戦で何百億ものお金を動かします。


このような計画は「陣立」と呼ばれ、その備(部隊)にどの武将や兵が配属されるか書いた図表や文書を「陣立書」と呼びます。



また、ここには修学旅行の時のプリントのように、どういう順番で城から出て、現地に着くかという行軍の隊列の組み方から書かれています。

通常、そのまま速やかに陣展開できるように、備(部隊)単位で隊形を組んで行軍します。

戦場についてから陣を組んでいますと、運動会の演技のように『あれ?俺の備どこやった?』とウロウロしているうちに、敵がやってくると困りますもんね。


陣立は、その大名たちの動員兵力によって異なりますが、だいたい一般的には、一番備・二番備・前備・近習備・左備・右備・後備の7段構えに分けることが多いようです。


それらの備を何処にどういう形で構えるか、いわゆる「陣形」ですね。

「魚鱗」「鶴翼」「雁行」「長蛇」「偃月」「蜂矢」「衡軛」「方円」の八陣で、どれかを取っていたと言われています。


この図表の書き込みは、戦さ、大将あるいは軍師の性格によって違います。

その陣形で、どの備がどこに配置されるかを大まかに示したものもありますし、個々の構えごとに作成して細々とそこの備にどの武将や兵力を配置するかを具体的に示したものまであります。


残されている陣立書には、軍監が観察していて書き込んだのであろう、一番槍、一番乗りなどの功名が書き込まれているものもあり、なかなか趣き深いものです。



さて、攻めるばかりではなく、攻め込まれる場合もあります。

戦うのか、降伏するのか。撃って出るのか、籠城するのか。

また援軍を乞うのか……


籠城するためには、食糧を掻き集めないといけません。

普通の城は臣下の職人や商人たちも住んでいる惣構えの形式ですので、その人たちの分も確保が必要です。


また援軍を御願いするなら、いつどれぐらいで来て貰えるのか、確認もしなければなりません。


決めることはこちらも多いですね。



さて、戦をすることが決まると、小者や足軽くん達を掻き集めるために、領地の村々に着到状と呼ばれる、修学旅行のしおりのような物が一村に1つ配られます。

配るのは触頭と呼ばれる人でした。

口頭で説明もしたそうです。


数合わせや、三日後からの給食の配給を目的に、女子供も連れてくる領民たちもいましたので、「若衆」がくるようによくよく言い聞かせておかねばいけません。


村の参加人数、持ってきてもらうもの、おおよその出発日などなど。

それを見て、鉞もっていくだなぁとか、今回は鍬いるんだのーとか言い合いつつ、9食分の水と食糧を斜めにかけ、3日分の草鞋と薬とか荷物を腰に巻き、背中に茣蓙とか菰とか背負って城へ向かいます。

鎧兜に足軽槍はレンタルです。


たまに連絡がつかなくて(!)知らなかった……ということもあるそうです。



また城では


食糧、酒、薬、馬の食糧、炭、鍋釜など煮炊き用品、木材(旗指物用)、幕、草鞋、法螺貝に鉦、太鼓、御屋形様の座る床几、御屋形様の軍扇、御屋形様のお着替えセット(たまに褒美で上げちゃいますから)、御屋形様の文具セット、勿論現金も必要です。

得物、旗や馬印の点検

御屋形様の武具のお手入れ。

兵粮米などの支度。

連れていく馬の選別

御屋形様の替え馬は、馬備と呼ばれてそれ専用の一団が形成されます。




こうした準備が急ピッチで進められます。


また遠征の場合は兵糧担当の家臣は、集まった食糧や炭、また替え馬などを通り道に家臣の城や砦があれば先に送っておきます。


先陣の一団は戦場になる所へ先乗りし、よくよく検分をすると共に、本陣を張る場所、御屋形様の休憩所にする寺や神社を見繕います。

勝った場合、ここで首実検するかもとか、考えることは多いですね


また1泊以上する場合は、御屋形様や重臣たちの泊まる寺や神社、武将クラスが入る家を押さえます。

陣取りですね。

押さえられた寺や神社、庄屋は、酒肴や武将への添い臥しの女の手配をします。

出陣するまでは精進潔斎してるのにね。


民家にもどやどやと失礼するそうですが、足軽くんたちは基本外で寝るそうで大変ですね。


これを他所の大名から、派遣されている家臣たちが見ているわけです。

なんか、木材沢山持って入ってるとか、人が集まりだした……とか、ジーッと見て本国にご注進します。


ほうほう、武田家では戦の支度かー。

なるほど、街道を西に向かう予定かー。

バレバレじゃないでしょうか……


これを逆手に取ったのが信長公で、足軽も専業にして囲い込み、尾張一国の頃は奇襲のように、いきなり討って出るスタイルも多かったようです。


織田家には大きな戦の史料しか残っていませんが、今川家には小さな小競り合いの史料が残っていて、突然襲われている義元の姿が記録されています。


秀吉が出世したのも、実はこのあたりに秘密があるのでは、と思っています。

頭の回転の早い秀吉は、信長公やその周辺に気を配って、出陣の法螺貝が響けば我先に部下を引き連れて走ったり、奉行人となってからは、抜かりなく常に出陣の準備を整えておいて、「既に準備は整っております!」とすれば、目に留まるのは間違いありません。


そんなこんなで戦の準備は整っていきます。


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