首級を改める①首取ったどー!
(グロ注意)
戦さといえば、何と言っても、戦後の
取った首級によっては、出世が見込まれ、人生のターニングポイントになりました。
今回は、首を取って、儀式に臨むまでを書いて行きます。
普通、騎乗の将は首級を取ったら、「
徒士の兵は、腰にぶら下げました。
頸袋が足らなくなると、紐をくわえさせるような形で結んだり、首のご本人の髪の毛を利用し、結びつけました。
首をとる暇がなかった場合、足の裏とかに目印の傷を付けて、側にいる人に確認をして頂き、後で証人になって貰ったそうです。そういう場合は、鼻や耳を削ぐそうですね。ええ。斎藤道三は鼻を削がれました……
普通、足軽などは、数でカウントするので、1個しかない鼻の方が持ち帰り易くて……いいですね。
首は取り次第、クラス分けを致しまします。そして腰や鞍に取り付ける位置が、
このね、首って重いそうです。
江戸中期の、儒学者にして神道家である若林強斎が『雑話筆記』というのを記しておられます。それに『首は米二升余三升ほど也」と書かれています。
ということで、米一升が1.5kgなので、首、お一つ、おおよそ3〜4.5kgということになりますね。
勝手にわけてバランス取ったらダメなんで、大変ですね。
この条、書いているだけで、気が遠くなりそうです。皆さまは大丈夫ですか?
さて、長期戦、短期戦。戦自体は一日で終わったけど、もう夕方になっていたなど、様々な事情がありますので、首級改の儀式がどこでいつ行われるのか、一概にはいえません。
しかし、基本的に現地か本城まで持って帰ってかの二択になります。
現地で直ぐにが一番有難いですが、現地でも、長期戦なら保存しておかねばいけませんし、本城まで持って帰るにしても、一週間はかかる場合は、それなりの防腐処置を施しておかねばなりません。
防腐処置というのは、基本的に塩漬けか酒漬けになりますが、当時、酒は貴重だったので、ごく一部の大将クラスだけだったのではないでしょうか。
このように日が置かれたり、夏場などで損傷の激しい場合は、殿ではなく、軍監が、「実検者」として儀式を執り行うことになっていました。
次に、持ち帰りの方法は色々ありまして……
二つ名のあるようなスター級の将を討ち取った場合、槍に刺してこれみよがしに、おったてて帰る場合があります。
例えば、加賀百万石の前田又左衛門利家公は、「槍の又左」という二つ名を持っていました。
まだこれは可愛いもんで、利家公が犬猿の仲だった十阿弥を斬殺し出仕停止になりましたが、それを解除して貰ったのは、斎藤家重臣、日比野清実の家来の足立六兵衛、二つ名を「
この足立氏、敵の首を素手で取ったそうですよ。素手……どうやったのか、想像もつきませんね。
この方の首級を取ったのは「城一つ落としたも同じ」と、信長公に褒めてもらっています。
こうした他の家にまで鳴り響く二つ名を持ってるのは、極僅かな将なので、「とったどー」と槍の先に立てて触れながら帰ったりします……血抜きしてるのかなぁ〜
桶狭間の戦いでは、義元は首を拝見した後で、信長公がこうやって清須まで持って帰りました。
キモイ……
そうでない場合は髪の毛をまとめて(戦場では髷は結わず、首の後ろあたりでまとめています)、騎馬兵は鞍の
この時も、兜首は左、葉武者は右です。
沢山持って帰る時には大変ですね。あまりに多い時には従者たちが、束ねた槍や木に首を並べてぶら下げて、両端を担いで運びました。
毛の無い入道たちはどうしたと思います?知りたい?
口から食道に紐を通して結んだそうですよ。うう、怖い
さてさて、無事に持って帰ったら、更にその首級改に向けて、準備が必要になります。
『おあむ物語』にこの辺りは詳しく出ていますので、興味がある方は見てみてください。
まず、首は綺麗に洗って血糊や汚れを落とします。
切断面は、米粉を固く練ったもので塞ぎます。
最近は米粉パンとか、フカフカで美味しいパンが売ってますけども、穏やかな顔して米粉くんは、こんな歴史を持っていたんだなとしみじみ致しますね。
髪は水のみで綺麗に櫛削り、新しい元結で髷を結いますが、普段より高めに結います。キュッと引き上げるんですね。
キュッと髪の毛を引き上げて、櫛の峰で立てて、元結を四度叩いてまとめると書いてあります。
普通、首級の場合は水のみで仕上げるのですが、家によっては酒で洗ったり、髪を結ったりすることもあったそうです。
それから、顔はちょっと傷んだとこに米粉を振ったり、抉れているところは米粉を固めたもので補修します。米粉有能ですね。
部将には、戦化粧を施します。白く塗って、描き眉して、お歯黒つけるそうで、白い歯の人を黒くしたりして偽首を作っちゃうのもこの行程ですね。
これを「首装束」(首化粧)と言います。
城まで持ち帰るとこれらは、女性陣のお仕事だそうです。
転生してうっかりお姫様になったら、大変ですよね……
テイクアウトしない時には、そこまで丁寧にはできませんが、綺麗に洗って、髪の毛を軽く結い直したり、化粧を直して、心ばかりの首装束を行います。この過程は、供養の一環ですので、神妙に丁寧に行わなければいけません。
それに前後して、首級にはこれが誰であるか、木の名札が付けられます。これを「首礼」と言います。
基本的に、元結に付けられましたが、髪の毛のない出家している人は、右耳に付けます。この時、木の札の種類も名前を書く文字も身分によって、決められています。また、首をのせる台を「首台」と言いますが、材質も呼び名も形も違いました。
これは後でまとめます。
この台に置くまでに、まだ出血をしている場合は、
また軍監は、捕虜になった御伽衆や近習たちを引き立てて、整えられた首を見せて名前や地位の確認をする作業をしています。
これは「頸注文」という合戦ごとの名簿作りで、その最初には、その合戦での一番槍や一番弓、城に乗り込めば一番乗りなどなど、首に関しては一番首から三番首までが列記されています。
これは、軍監が戦さ場で監視している時に、陣立書に書き込んでいることを写し取ったもので、首級改を経て下記のものを付け加え、清書したものが殿に納められた。
まず、先ほど申し上げました一番槍、二番槍、三番槍などが書かれた後に、「首を取った日時、相手の地位と名前、討ち取った味方の名前、使用した武器」などが記入され、最後に雑兵の首の数が書かれています。
こうして、披露される首級や取り方に相違ないか、丹念に調べていっています。
これは、賞罰に関係しているので、間違いないように細心の注意を払います。
といっても、誰か分からないということもあったそうです。
それは身分が低いから、というのだけでは、ありませんでした。
例えば徳川、武田戦の高天神城の戦い、例の桶狭間で最後まで鳴海城を護って戦った、今川家が崩壊すると、武田家に転仕した猛将、岡部元信が壮絶な討ち死をした籠城戦ですね。
この時に、とんでもない美貌の首級が披露されました。
歳の頃は十五から七あたり。細面、色白で、すらりと鼻筋は通り、閉じられた目元は切れ長で、紅く塗られた唇は柔らかで形もよく、首級になったにもかかわらず、その容色、物語の美姫もかくやな美貌です。戦化粧をしていることからも、それなりの身分の者であることが分かりました。
生きていた頃はどんなにか、美しかったでしょうか。
徳川家康を始め、宿老たちは顔を見合わせました。
「これは誰か?」
家康が尋ねると、奏者が
「捕らえおいた家臣どもも、知らぬと申し候」
と困惑した顔を見せます。
「
「もしかしたら、城主の娘や側室が戦装束で戦い、女とは知られずに討ち取られたのでは御座らぬか」
「確かに。これほどの只ならぬ美貌なれば、男ということは御座りますまい」
「常御殿で大切にされていた姫御か、ご内室に御座いますな。一族の危機に、弓を持て戦ったに違いあるまい。何とも健気なことに御座る」
などと気の毒そうに言い合ったそうです。
ところが、後日、その美貌の首級は、城主、栗田刑部の小姓、時田鶴千代のものだと分かりました。
あまりの美貌にメロメロになった栗田氏は、鶴千代を主殿奥深くに秘蔵し、多くの家臣は、その寵童の容貌を、見たことが無かったそうです。
このように「誰か分からない首級」はあり、偽装工作の余地があったと分かります。
そしてまた、この鶴千代の顔が穏やかで、瞼の奥の瞳が正面を向いていたのを見た家康は、「仏顔である。性根を決めて、首を取られたものと思われる。もしかして男では……」とも言ったと伝わっています。
このように首級の死相というものを見て、吉凶を占ったりしました。
例えば、黒目が上にいき、白目を剥いている場合は、この世に未練を残し、恨んでいるので、念入りに供養をしなければ、祟られるとか。
そういう不吉な死相の首級を取った人は、陣僧にお願いして、お経を詠んだもらいます。
また死相、供養については、後述したいと思います。
長くなりました。
次回は儀式の方に話を進めたいと思います。
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