信長公と尾形光琳

尾形光琳は、ご存知のように元禄時代を代表する有名な工芸家です。

今回は尾形光琳と信長公との縁を辿ります。



尾形光琳の実家は「雁金屋」という京の有名な呉服商でした。

今に「雁金屋注文帳」が残っているそうです。



では、雁金屋の注文帳をパラパラとめくってみることにしましょう。


さて、ここに東福門院の名前があります。

ご存知のように、東福門院和子とうふくもんいんまさこは、後水尾天皇に入内した、二代将軍徳川秀忠の五女です。


そして、注文帳には、お父さんの秀忠、お母さんのお江与の方、そしてそれのみならず、大御所、徳川家康の名前も見ることができます。


お江与の方は、浅井三姉妹の末の姫君ですね。


次姉はお初の方です。

お初の名前もあり、そして仲良くご主人さまの京極高次も連なっています。


お江与、お初とくれば、勿論お茶々ですね。


そういえば、武家の男性が元服を機に名前を改めて、通称と諱が付くのは有名です。

実は当時の高貴な女性も、幼名と呼ばれる通称から、例えば嫁ぐ際に名前が変わります。


信長公の本妻は、美濃の方、鷺山御前と呼ばれましたが、これは生地の名前から取った名前になったわけですね。

その他、三の丸殿とか住んでいるところの名前が付くこともあります。


位階を受ける事があれば、諱を使います。

これは幼名に子をつける事が多いようです。

秀吉の奥様の寧々の寧子は、なんて読むのか……という話になったりするやつです。


茶々さんは、幼名が茶。

お初さんは、なべ

残念なことに、お江与さんの幼名が残っていませんが、御徳という説もあります。

あの信長公の娘の五徳と同じならば、囲炉裏の中に置いたりする、調理器具ですね。

案外信長公の絶好調な名付けも、そんな奇抜なわけではないのかもしれないという気になります。


注文帳に話を戻しますと、そのお茶々さんこと、淀の方の名前もあり、息子の秀頼、そして、夫の太閤秀吉。

その正室、北政所寧々まで名前を連ねているようです。


三姉妹が、雁金屋に御用を申し付ける切っ掛けは、お市の方からのようです。

ご存知のようにお市の方、市姫は信長公の妹です。


雁金屋の主、 尾形伊春は元々、足利家最後の将軍、義昭の上級武士だった説があります。

義昭と信長公との関係ご存知の如くですね。義昭さんを見限って、商売繁盛の織田家に鞍替えした人も、結構多いようですね。

さて、出仕をした後、武士を捨てて、何がどうなったのかは定かではありませんが、雁金屋二代目道柏は信長公の御用染師をしていたということです。


残念ですが、織田家臣団の人名辞典には名前がありません。

多分、家臣といっても城郭内に町屋を構えている御用商人の1人だったのでしょう。


天下人から天下人へと乱世を見事渡り切り、内裏まで手を伸ばした雁金屋ですが、盛者必衰の理の如く、東福門院の薨去と共に家業も傾いていき、光琳の兄の藤三郎は、元禄十年(1697)家業を畳んで、旗本川口家に仕官しました。


あの時代、色々な商人が信長公と共に発展し、世間に出ていっています。

竹中工務店の普請奉行竹中氏、松坂屋の伊藤蘭丸(森乱丸と違い、こちらは蘭だったそうです。風流ですね)。

まだまだ、沢山の人達がいそうですね。


それでは、また。




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