戦国期の住

戦国大名トイレ事情


信長公の話で、トイレの前で、小姓が刀を捧げ持ち待ってた時……というのが残っていますので、戦国大名はトイレ専用の部屋をお持ちだったのか!と感心しました。


考えてみれば、「殺されないこと」を命題の一つの戦国大名としては当たり前のことですね。



武田信玄公の居城、甲斐は躑躅ヶ崎つつじがさき館の、江戸時代に元家臣たちから聞き取って作った復元絵図というものがあります。

(機密中の機密でしょうから、当時そのままではないかもしれません)


その中に、信玄公用の厠というものが書き込んである物もあります。


廻廊はあったでしょうが、ポツンと離れてたっているので、ここまでたどり着くのは大変そうです。


そういえば、安土城は信長公のお住いだった天主には、1階に厠と書き込まれた部分がありました。

上から降りてくるのも大変だったでしょうが、信玄公に比べたら、同じ建物の分マシかも知れません。



さて、大大名となれば、専用厠は十二畳とも、六畳とも伝わります。


厠には香が焚かれ、その中央に樋箱ひばこと呼ばれる、いわゆるおまるが置いてあるか、穴が掘ってあったそうです。


今川義元と秀吉は石を並べて、枯山水を再現し、お寛ぎタイムを演出し、信玄はトイレの穴には樋を通して、お風呂の残り湯を流させるという水洗トイレを実現しました。


すごいですね。

お風呂の残り湯。

残り湯と言っても、当時は蒸し風呂が主ですので、風呂場の下に据えた湯(もう冷めて水では……)を使ったんですね。

合理的……


なぜ広かったのか、というとそれは簡単な話で

「槍で串刺しにされない為」

という単純な理由だったようです。


単純……


勿論、天井も高く、「旗指物そのままで入れるほど高い」そうです。



信長公考案の織田軍団名物「三間半槍」というのは、二階の天井くらいまであるので、これに突かれたらお終いですが、実際には突くのは無理で、ブンブン振り回して相手を叩く武器だったそうなの大丈夫そうです。


そして出入り口は必ず二つ。

敵から襲われた時に脱出できるようになっていたそうです。


殿、厠で討ち死にというのは、風評を気にする戦国期に於いて、不味いかもしれません。

軍神謙信はトイレで病で倒れましたが……




しかし、皆様、非常におくつろぎになられ、そこで政務をとられていたそうなので、落ち着けるいい場所だったのでしょうね!


因みに江戸時代になると、城が残っていることから、トイレの様子も垣間見ることができます。


大奥、将軍専用厠は

総檜造り、総四畳半で、全畳敷き。

お香を焚きしめ、匂い管理もバッチリとか。

奥2畳半の中央に松の葉、杉の葉あるいは、檜の木片などが敷かれた樋箱が置かれています。

前2畳が前室部分にあたり、そこに控えたお女中2名が控え、袴をお緩めになるのをお手伝い申し上げます。


いざ、御用達となられると、暑ければ扇子であおぎ、蚊をおい、寒ければ火鉢で温め、ことが終わると柔らかく揉んだ和紙でお拭き申し上げるそうです。



流石に戦国時代はここまでではないと思いますが……


うわ〜、これだったら、トイレでも一人になれませんね。


戦国時代に何でお尻を拭かれたかはわかりませんでした。


大名のような金持ちでなければ、木片、葉っぱだったそうです。


天下人になれば、柔らかく揉んだ紙でしょうか?


小姓がモミモミしているのを想像すると、心が温まります。


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