信長公のお気に入り、伊東清蔵長久
伊東清蔵長久は、信長公の馬廻で、槍三本のうちの一人に数えられる猛将です。
この方は名前が「堀江」、通称が「七蔵」の場合がありますが、ここではこの名前で通します。
諱が初名が「佑之」
元々北条氏の治める相模の出身で、いつの頃かは定かではありませんが、お父さんの伊東さんやお兄さんの武兵衛たちと一緒に、尾張へ引っ越して来ました。
スカウトされて引っ越してきたのか、引っ越して来たあとスカウトされたのかは定かではありませんが、尾張は前田に引っ越してきました。
【織田信長家臣人名辞典】拠ると
「信長公に召し出され仕えた」
と、書いてありますから、信長公にお声をかけて頂いての出仕ということになります。
信秀公ではなく、信長公に……と言いますから、巡礼から取り立てられた埴原常安と似て、信長公が十代前半の時期に、見かけて取り立ててもらったのかもしれません。
十代前半に埴原常安と会ったのは、鷹狩の休憩で寄った寺であったように、毎朝夕の馬責め、夏場の水練、鷹狩などの鍛錬の場だったのかもしれません。
さて、兄さん共々若い頃から主君である信長公とコスプレしたり個人的な触れ合いが記録されています。
馬廻には、小姓共々「近習」と呼ばれる、実務作業に携わるものと、そういった実務作業には関係ない武者の二種類がいます。
武家は日常生活ではなく、戦さ場が「正式な場」だったので、「馬廻」というのがメインで、その中に実務もする人が「近習」と呼ばれるグループにいるという認識です。
馬廻の近習の代表格が、のちに「近習頭」という新しい役職を作られて君臨する堀久太郎秀政。
近習ではない馬廻では「母衣衆」が設置された時、赤母衣頭に任じられた前田又左衛門利家がいます。
どちらも小姓上がりですが、その適性に応じて振り分けられました。
伊東兄弟がどちらの馬廻であったか明記したものはありませんが、添え状の発行に名前がないことから、多分近習ではなかったのではないかと推測できます。
さて、清蔵がまだ伊東清蔵祐之だった頃の話です。
三本木村の戦いの時と言いますから、場所的に萱津の戦いの事ではないかと思います。
戦史に乗ってない戦いというのは、結構あって、例えば手取り川の戦いは、大きな戦ではありますが、上杉側には残ってるけれど、織田家には残ってない戦いです。
ですので当時、清須織田大和守家と弾正忠家はいざこざが絶えませんでしたから、他に三本木村で兵がぶつかったことがあるのかも知れません。
萱津の戦いならば、天文21年8月16日(1552年9月4日)のことでした。
どうしたことか、伊東祐之は、兜を被る時間がなかったそうで、急遽編笠で戦いました。
普段、兜は鎧と一緒に
鎧櫃に一緒に入れておく春画を、誰かがこっそり見てて返し損なった……?
とにも、かくにも清蔵は、参陣することを優先したのでしょう。
当時は足軽や歩兵は槍は突くのではなく、叩きつける方式だったので、無事で良かったです。
その頃はまだ、そこまで華やかな兜はなかったでしょうから、反対に編笠の伊東清蔵祐之は目立ってしまいました。
これを見たまだ10代後半(萱津の戦いなら十八歳、数えで十九)の信長公は大いに面白く思って「編笠清蔵」とあだ名をつけ、生涯その名前で呼びました。
信長公、あだ名つけるの大好きですから、嬉しかったでしょうね。
さて、なかなか勇敢な清蔵は、永禄年間に設置された、母衣衆の赤母衣衆に抜擢されます。
いよいよ、ただの馬廻から、殿の親衛隊に出世です。
ところが、元亀元年の小谷攻めでこんどは「脇差しも短刀も紛失」したと書かれています。
脇差、短刀と出てくるということは、得物も無くしていたということでしょうか?
この方は信長公三本槍の1人ですので、槍が得物です。
折れた、弾かれたということでしょうか。
現在残っている武将系の言い回しで刀系の言葉って少ないですよね。
「太刀打ちできない」の太刀くらい?
街道一の弓取り
一番乗り(最初に敵城に乗り込む)
戦いの火蓋が切られる(火縄銃の火蓋を開くこと)
盾(を)突く
弓をひく
まぁ、色々ありますけど、基本、戦場は槍と弓、後半になると鉄砲がメインで刀が出てくると首を取るのとられないのの状況、混戦状態です。
さて、兵同士がぶつかっての最終局面に差しかかった場面です。
そこで、どうしたのか、元々差し忘れたのか、落としたのか、取られたのか?
とにかく無くしてしまった。
しかし、敵は容赦なくここぞとばかりに襲ってきます。
「兜首がカモネギ状態!」
出世、御加増のチャンス到来!
そこで編笠清蔵は発止と素手で敵の刀を止め、えいや!えいや!と目潰しを仕掛けたり、体当たりしたり、それはそれは勇猛に戦って、なんと3人もの首級を上げました。
こうして素手で武功を上げた清蔵に、すっとこどっこい系の大好きな信長公は大喜びです。
ついには偏諱を頂戴してしまいました。
信長公横死の後は秀吉に従い、従軍中に病死したと伝わります。
これは私見ですが
次男の清蔵は初期に小姓として出仕していたのではないかと思います。
信長公の元服前後の小姓として記録に残っているのは、桶狭間の戦いで名前が残る五人と池田恒興、前田利家、丹羽長秀くらいです。
しかし、大名家の嫡男の小姓がそんな少数であるはずがありません。
三本木合戦の時、もし小姓をしていたならば、信長公の戦支度を手伝っているうちに、時間が無くなりというのは有り得なくもないのです。
萱津の戦いは、天文二十一年八月十五日(1552年月3日)
例の清須の守護代織田大和守を牛耳って、今川家と繋がっている又代坂井大膳は、信秀公が亡くなって家督を相続したばかりの弾正忠家新当主信長公に打撃を与える為、庄内川を越えて津島と那古野や清須からの中間地点にある、信長公の勢力下の松葉城、並びの深田城を落とし、城主たちを人質に取ります。
この城主たちは松葉城主織田伊賀守と、深田城主、信長公のおじさんの織田孫十郎信次です。
現在はこの二城は堀跡もなく詳細は不明です。伊賀守も不明です。
松葉城の方は元はこの辺りの士郷安井氏を落として手に入れた城です。
この安井氏は尾張の中州に砦城を構え、本願寺と組んで最後まで尾張領で抵抗し続けたと言います。
さて、松葉城跡、深田城跡と言われている場所は非常にちかく、又、深田城の南西、小切戸川を挟んで対峙する形で、桂城」という城があったそうです【七宝町史】
そこには織田弥十郎が城主を務め、城の規模が東西約90m南北72mと書かれています。
これくらいの規模の館城がポツポツと立っていたのでしょう。
織田弥十郎というのは正体不明ですが、のちに「織田弥十郎家」というとなぜか、織田信包の子孫を指すそうなので、伊勢に養子にやられる前はここに入れられていたのかもしれませんね。
ところで深田城の方のおじさんの信次くんは、後の守山城主で、信長公の弟つまり甥っ子を家臣が誤射して主従トンズラをかまし、又探し出されて守山城主に返り咲くという経歴の持ち主です。
信秀公の弟たちが入っていた館城群だったのかもしれません。
さて連枝たちの住む居城を襲われては、信長公も見捨てるわけにはいきません。
翌日の早朝、信長公は那古野城を発します。
普通に戦というのは、数日かけて用意をするものですが、信長公の場合、約6時間で出ていきます。
今の私たちからすると、6時間もかかるの?と思いますが、作戦を立てて、各部署に連絡をして、武具の再点検をし、食糧や荷駄の準備をし、体調を見て連れていく馬の選別をしつつ、所領から主戦力の足軽兵を狩り出して用意をさせた武将達が、大名の城に集まり……出陣式が執り行われ、と。
6時間というのは驚異的で、もっと早く出て行ったこともあります。
公が如何に「手足として動ける家臣育成」に余念がなかったかが分かります。
何が言いたかったかと言いますと、この萱津合戦は、信長公の初期の急襲で、信長公御意志を他の家臣に伝えたり、早馬で叔父の信光公に手合を求め、作戦を伝えと往復しつつ、公のご準備をしつつ自分の準備をしないといけない小姓たちは相当ドタバタしただろうなと。
他の家臣たちがそれでも、皆、兜を着用しているのに、清蔵は用意できなかった。その理由が公には納得いくものだった。
それは小姓だったからだ。
そして編笠を持っていたことから、那古野から離れた所領に戻っていた重臣へ伝令を勤めていた。それはおそらく当時守山城を居城としていた叔父の信光への伝令だったのではないか。
そう思います。
この項の最後に赤母衣衆を載せておきます。
のちに赤母衣衆に言及する機会があれば、移動させます。
【高木文書】という美濃の国人高木氏の文書があります。この中に「渥美刑部丞」という方の文書があり、そこに信長公が永禄後期に設置した母衣衆、のちに入った者を書き出したものがあります。
最初の赤母衣衆は小姓や小姓上がりの馬廻、連枝が多く採用されています。
・頭 前田又左衛門(利家)「馬廻、小姓上がり」
・浅井新八(浅井新八郎正澄)「馬廻」
・織田薩摩守(織田駿河守忠政(中川八郎座衛門重政)、津田盛月(津田隼人正)の弟で後の木下雅楽助、連枝)
・伊東清蔵
・岩室長門守重休(小姓)
・山口飛騨守(小姓)
・佐脇藤八郎良之(小姓・利家の弟)
・長谷川橋介(小姓)
・毛利河内守長秀(元尾張守護大名斯波氏遺児、落城の折、毛利十郎に救い出され養育される)(嫡男ではない)
・飯尾茂助尚清(父親が信秀公の従兄弟で飯尾家の養子になる、連枝)
浅井新八は、伊東清蔵のお兄さんや飯尾直尚清のお父さんの飯尾宗定と仮装盆踊り大会でコスプレした一人ではないか、あるいはその関係者ではないかと疑っています。
母衣衆には信頼できる勇敢な人物を選抜していますが、特に赤母衣衆は比較的年齢の若い(兄弟で母衣衆を任ぜられた場合、前田兄弟以外は弟の方を赤母衣に振り分けている)身近に侍らせていたのではと思えるメンバーのようです。
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