仙石秀久の家紋

戦国時代が好きな方には城好きな方も多いでしょうが、この家紋好きの方も少ないのではないでしょうか。


家紋というものは主君から頂いたり、上司や友人から譲り受けたり、曰くがあり、そこにエピソードが発生するところが好きです。

馬印や陣旗もそうですね。


そのエピソード満載なのが、この仙石秀久です。

仙石権兵衛秀久

「センゴク」という漫画があったそうなので、ご存知の方も多いでしょうか。


美濃の士豪仙石氏の傍流の出です。

秀久が生まれる前の話になりますが、非常にざっくりと言うと、本家の仙石氏の当主のお母さんが守護大名土岐氏の流れの人だというところから土岐氏の花桔梗、「土岐桔梗」の家紋を拝領しています。


いわゆる土岐氏の家紋と現在言われている「土岐桔梗」は、江戸時代に作られたものなので、土岐氏の本来の家紋は、私は確認が出来ていません。


さて、土岐氏が没落すると、仙石家は斎藤家に鞍替えします。

秀久が元服し、初陣をする頃というのは丁度、斎藤家は道三を滅した義龍も病没し、秀久の四つ上の龍興が若き主君として美濃軍を率い、織田家の美濃侵攻を食い止めている頃でした。

四男だった秀久は他家へ養子に出されていましたが、兄たちが相次いで亡くなったために実家に戻り、織田軍との戦場へ参陣します。


この戦いで十四歳の秀久は敵大将信長公に見出され、スカウトされます。

凄いですねぇ。


曰く、「面構えが気に入った」


「容貌、勇壮なるを賞する」

勇壮な面構えというのは、どんな顔でしょう?

目はキリッとしていそうですね。


信長公は、若き日の槍の又左の前田利家、鬼武蔵の森長可など、ぶっ飛んだヤンチャ系の将にやや甘い傾向があるように思います。

腹に二物がなさそうで信頼できたのかもしれませんね。

単純?

もしかしたら、そうしたすっとこどっこい系の影を見たのかもしれません。


そうして気に入られた秀久は、信長公から有名な「永禄通宝」の銭紋を下賜され定紋にします。


織田家家臣となった秀久は、台頭してきていた秀吉の与騎になります。

替紋は秀吉から拝領した「五三桐」


もう一つの替紋は「丸に無文字」。

信長公の使用紋「無文字」を少しシンプルにしたものです。

家紋を丸で囲ってあるのは、傍流、支流など、オリジナルがあって、それを模している事を表していると聞きます。

信長公の物を拝借したので、丸で囲っているのでしょうか。



それから「九曜桜」という家紋も使用しています。


 桜というのは元々京都の平野神社が平安時代に使い始めたと言われているもので、今や2万とも3万とも言われる桜の家紋があります。


仙石氏の九曜桜紋はその一つに数えられています。


ですが、桜の家紋は、ほとんどが公家系の家紋か江戸以降の武家が家紋として採用したものです。


桜紋はそのイメージから、家紋として持つ戦国時代の武家は珍しいのです。


 仙石氏以外では細川忠興が使用した例があるくらいです。

明智光秀の娘 細川ガラシャの旦那様ですね。


細川氏の元々の家紋は下賜紋で五三桐、丸に二引両ですが、憚って独占紋の松重菱を使用しています。


が、忠興は別に自身紋を持っています。

一つは信長の小刀の柄模様が気に入って、それを信長公に申し上げたら、家紋として下賜されたという九曜紋を自分の定紋として使用していました。

そしてそれと桜紋。

細川忠興の桜紋と九曜紋の合体した秀久の九曜桜紋かな?と考えると面白いです。


さらに面白いのが、馬印です。

忠興の馬印は「有」、秀久の馬印は「無」


1552年生まれの秀久と1563年生まれの忠興。

ここに友情はあったでしょうか。


また作り物の馬印の方は柴田勝家をリスペクトして、勝家の金の御幣をシンプルにした物です。


一体、元々の仙石家の元々の家紋ってどうだったんだろう?と思います。




忍びだの、野盗だの酷評も多く、ルイス・フロイスからもボロクソに言われている秀久です。

情報戦に強く、民に混じり彼らに不利なことを色々調べあげる事が出来た故の酷評かもしれません。


少し後の話になりますが、石川五右衛門も捕縛したのも、この人と言われていますね。


そんな秀久ですが、九州攻めで失敗して、改易されてしまいます。

高野山へいけ!は、信長公譲りの責めでしょうか?


資料を読む限りは、どちらかと言うと、第二次世界大戦における大本営の、前線の実態を顧みない、机上の空論に近い秀吉たちの失策の気がします。

この時期、秀吉は体調を崩していたそうですので、策を献じる側近の戦下手のせいかもしれませんね。


しかし、野にさすらっていた秀久は、小田原攻めの時に20人程の元家臣をかき集め、家康の陣を借りて、陣羽織に鈴を付けまくり、シャンシャンと人目を引きつつ軍功を上げて大名に返り咲きます。


秀吉が亡くなると、政権内での対立が起こってきます。秀久は家康に接近し、徳川家に転仕し、二代将軍秀忠の代まで仕え続けます。


そう言えば名乗りも、秀康やら盛長やらとその時の主に合わせて変えていきます。



なかなか処世術を身につけた個性的な仙石秀久の家紋は、リスペクトの結果で面白いなぁと思います。


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