第79話 上都脱出 其の三 〈闇の助っ人〉


 遠くで狼の遠吠えが響く。

 限りなく続くかと思われる草原にもなだらかな丘陵地帯が続く。

 トクトアが通り過ぎた後、見晴らしの良い二つの丘の上から黒い集団が姿を見せた。

 

 「ウオォォォゥゥゥ……」

 

 向かいの丘から別の集団が返事をした。

 

 「オウゥゥゥゥォォ……」

 

 闇夜に見えない仲間と連絡を取り合っている。

 そこへ、諸侯が差し向けた兵士達の馬の蹄の音が、静かな草原の夜をぶち壊すかの様に騒がしく響いた。

 

 「よし、ここで間引くかの……」


首領はそう呟くと、首元までずらした黒い覆面を鼻まで引き上げ、馬の腹を蹴った。

 二つの集団は丘から一気に駆け下り、側面から兵士達に襲いかかった。

 兵士達は思わぬ奇襲攻撃に酷く驚き、そしてパニックに。

 首領は輪にした縄を振り回しながら一人の兵士に狙いを定め、見事輪っかを首に引っ掛けるとくらから兵士を引っぱり落とし、そのまま馬で引き摺り回した。


 「どうじゃ楽しかろう?夜の散歩は!」

 

 覆面を取っぱずしたテムル・ブカはガハガハ笑いながら縄を放り投げ、今度は剣を抜いた。

 やっと夜の散歩から解放された兵士は、後ろから来た仲間の馬に踏まれて憐れな最期を遂げた。

 

 「おお!なんとも気の毒にのう。ナンマンダブ…… 人の命は儚いものよ……」

 

 テムル・ブカは片掌を立て念仏を唱えたかと思えば、もう次の瞬間からケロっとしていた。

 

 「ハハハ!これも天の思し召し、悪く思うなよ!さあ、次は誰じゃ!?」

 

 テムル・ブカは剣を振り回して向かって来る敵めがけて突進し、すれ違いざまに剣尖けんさきを一閃、首をねた。

 

 もう一つの集団も、兵士と戦っていた。

 交わる刃、戟音げきおんが響く。

 突如、宙に人の頭くらいの火球が現れ、辺りを明るく照らした。

 鉱物油の匂い。

 見れば、石脳油せきゆを含ませた布と干し草を縄で一纏めに括り付けた物に火を付け、グルグル振り回してから目印代わりに敵の頭上に放り投げている者達がいる。

 

 「我は、弓の名手ジョチ・カサルの子孫なり、自慢の矢を受けてみよ」

 

 もう一人の首領は灯りに照らし出された敵に向かって弦をきりりと引き絞った。剛弓から放たれる矢は、目印が落ちる寸前で敵を狙い撃ち、見事左胸に命中させた。

 

 「流石はオルク。大したものじゃ」

 

 と、褒めそやした時、テムル・ブカの頬を矢がかすめた。

 

 「危な!ワシを狙うとは……」

 

 向こうは諸侯達が差し向けた手練れ。オルク・テムルの家臣達が灯す火が、却って仇となったようだ。

  矢がテムル・ブカに向かって放たれるが、咄嗟に鞍の反対側に身を隠した。そう、モンゴル族はあぶみに片足一つで踏ん張ったままアクロバット走行、爆走しながら馬の腹の下からいしゆみを放つことだってお茶の子さいさい。

 

「おのれ…… ワシの恐ろしさを思い知らせてやる!貴様ら、なます切りにしてくれるわ!」

 

普段から温厚な人ほど怒らせてはならない。テムル・ブカが良い例だった。

 血刀をブンブン振り回して大暴れ。間引くどころか、敵はあっという間に殲滅された。

 

 「テムル・ブカ様、怖いです……」

 

 返り血を浴び、まるで悪鬼の様な形相のテムル・ブカを見たオルク・テムルと家臣達は身震いした。

 

 「クソ生意気にも、このワシをへなちょこ矢で射ようとするからじゃ…… だがこれで終わった訳ではないな。まだ追っ手がやって来る。計画を見に行かなければ。別の道から行くぞい!」

 

 二つの集団は残った馬を頂くことにして、蹄の音を響かせ闇に消えた。

 それほど待たずして、今度は諸侯達が大勢の部下達を引き連れて到着し、目の前の凄惨な光景に絶句した。

 最早、誰が誰の首で、どの胴体なのかも分からなかった。

その時、僅かだが南の方角より、鏑矢の音が聞こえた。

 

 「行くぞ!」

 

 諸侯達は嫌がる部下達に、手柄を譲るから頑張れよ、と先に行かせた。

 

 

 

 目的地、夕陽が見える丘ではお祭り気分から一転、緊張感漂う現場に変わった。

 

 「三回目の合図ですぞ!」

 

全員の耳は一筋の風に乗る、澄んだ音色をとらえた。

 口笛は何故、遠くまで聞こえるの?

 それは口笛、指笛が遠くまで届く周波数域であり、この周波数域が人間の耳に聞き取りやすい為であるらしい。夜、盗賊が仲間との連絡に口笛を吹くのもそうだ。(皆の衆、夜に口笛を吹くのはやめましょう)


 鏑矢ではないが指笛。トクトアからの三回目の合図は、敵の襲来を意味する。

  村長は手に持った松明をクルクル回して干し草に火を付けるよう指示を出し、村の若者が火打ち金と玉随ぎょくずいを使って火を起こした。

 始めは小さな炎だったが、おりからの風に煽られ、一定の間隔で用意された干し草と薪の山に次々と燃え移って行く。

 

♪燃えろよ、燃えろ。炎よ燃えろ。天まで焦がせ~♪

 

 何故か謎の隊商も参加。

 暗がりで、その容貌は分からなかったが赤々と燃える炎に映し出された大きな黒い影を背景に、クッフッフッフ、と薄気味悪い笑い声を上げ、手に持っている何か黒い石の様なものを火に投げ入れ、吹き上げる様な紅蓮の火柱に成長させた。

 

 「この匂い、燃え石ですな」

 

 村長は呑気に火に手をかざしている。

 隊商は別名黒いダイヤと言われる石炭を持っていた。

 どれどれ、と座長は近付く。

 

 「あっつ、熱っ!こりゃメラメラどころじゃありませんよ!」

 

 「ちょっと~!燃やし過ぎなんじゃない!?これじゃトクトアにいちゃんが通れないわ!」

 

 ヌールは心配そうに炎の壁の向こうを見つめた先の直ぐ近くで、馬のいななきと蹄の音が聞こえた。

 待ってました、と全員、にわかに色めき立つ。

  

 「トクトアにいちゃんよね!?」

 

 ヌールは声を大にして呼び掛けた。

 

 「……その声はヌールか?なんでこんなに燃え盛ってるんだ?」

 

 懐かしいトクトアの穏やかな声音に、ヌールはウキウキして答えた。

 

 「あのね、石炭なんだってっ!」

 

 「何、石炭だと!?まあ……仕方ないか。おいっ!今からこれを馬で飛び越える!みんな退いてろ!」

 

 トクトアは炎に怯えて嘶く馬を御しながら一旦炎の壁から離れ、馬の気を落ち着かす為、巻き乗りをするかの様に数回ぐるぐる歩かせるが、その間も敵が間近に迫っていた。

 

 「覚悟は出来たか?行くぞ!」

 

 トクトアは馬首をめぐらせ駆け出した。

迫る火柱の手前で馬は、勇気を振り絞るかの様に高く嘶き、後ろ足で地面を蹴って馬体を空中に押し上げ炎の上を飛越、曲げている前足を伸ばしてゆったりと着地した。

そして 続けざまに後ろを付いて走っていた二頭も炎の上を飛越する。


「トクトアにいちゃん!す、凄い!」

 

 「お見事!流石、バヤン将軍の甥御様だわい!」

 

 「若様!素敵です!」

 

 「流石は同族!」

 

 全員がやんやと拍手喝采。

 トクトアは馬達を褒め称えた。

 

 「お前達は素晴らしい名馬だな」

 

 嬉しいのか馬は鼻をブルルルと鳴らした。

 

 「では伝説…… いえ、蒼き狼の神話を再現しましょう!」

 

 トクトアはヌールが刺繍したおマヌケ顔の白烏シロカラス、いや、白鷹の御旗を掲げた。

 

 「おお~!」


みんな心は一つ、諸侯達に敢然と立ち向かう。

 ……が、その筋書きは、監督であるトクトアが考えていたシンプルなものではなく、壮大なアレンジ?アドリブ?が加えられていることを彼は知らない。 そして終始顔をひきつらせたまま、全てを見守ることになるのである。

 

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