第77話 救済


 「殿下~!!お待ち下さい!!」

 

 宮城から飛び出した皇太子を追って、大勢の臣下達も付いて来た。

 

 「あの御方が、皇太子殿下!?」

 

 「おお!まだ幼気いたいけな方でおわすが、なんと凛々しい!」

 

 「可愛らしいお猿をお供になされて!」

 

皇太子の登場に辺りは騒然となった。

 民の中には感激の余り、涙を流す者まで現れた。

 香気を吸わなくする為、鼻栓をしているダウ丞相は、速やかに皇太子の下馬を手伝った。

 そこへテムル・ブカとオルク・テムルが一足遅れて到着した。

 二人は遼王と目が合うと、ニヤニヤしながらそれぞれが懐から誓約書と日録をこれ見よがしにちらつかせたので、遼王の顔は瞬時にして色を失い、それから目を反らした。

 

 「丞相、見つかったよ!」

 

 「おお、それはまさしく玉璽!殿下、ありがとう存じます!」

 

 「私だけじゃないよ!みんなで見つけたんだ!」

 

 ポンッと地に軽やかに降り立った皇太子は、真っ直ぐ刑台の階段をトントン駆け上った。

 

 「遼王、玉璽だ。済まぬ……実は、私が悪いのだ。正直に話せば……」


 「皇太子殿下!」

 

遼王は話を遮った。


 「罪人である者に、その様なお気遣いはご無用に存じます!満場一致にて、トクトアは有罪。この者の常日頃の行い。これは皇太子殿下を蔑ろにしているとしか思えませぬ。皇太子殿下は、偉大なる太祖チンギス・ハーン様が興された、モンゴル帝国の大ハーンに即位される御方!その御方が、たったひとりの重罪人を庇うなど、あってはならぬと存じますが?」

 

 「遼王トクトア様、無礼ですぞ!」

 

 ダウ丞相は怒りで今にも爆発寸前だったが、皇太子の表情にある静かな中にも怒りの表情を見て、ただならぬもの感じた。

 

「遼王よ、ならば尋ねるが、私は…… 私とは、誰なのだ?」

 

 これを聞いた遼王は、内心腹立しく思った。

 この皇太子は、ガキのクセにもう権力を振りかざすのか?ならばこちらも乗ってやるまで……

 

「……殿下は、この世を統べる徳の高き一天万乗いってんばんじょうの天子!人にあらず!!」


 どうだ、と遼王はニヤリと笑った。

 

「ちが……違う……」

 

 皇太子は頭を強く振った。

 

「違う…… 違うのだ!」


 遼王は皇太子が言わんとすることがわからない。

 

「殿下、いったい何を仰せに?」

 

 皇太子は遼王を真っ直ぐな目で見つめ、見つめられる遼王は戸惑った。


「違う。私は…… 私は人だ! 私はひとりの人なんだ!私も笑うし泣くんだ!イタズラだってするんだ!」

 

 ――自分は人だ。

 この言葉に、諸侯達は天地がひっくり返かえるのではないかと思った。それほど皇太子の言葉には帝国の根幹を揺るがし兼ねない破壊力があった。 至高の存在が、大勢の民の前でそんなことを言うなどあり得なかった。

 

「殿下、なりません!!その様なことはおっしゃっては!どうか、皆の前で威厳をお示し下さい!」

 

「ひかえよ遼王!私は、ひとりの人として思ったことを言ったんだ!それに、それに私は間違いを犯した!だからトクトアはこんな目にあったんだ……本当に罰を受けるのは私の方なんだ!」

 

「殿下、なりませぬ!よくお考え下さい。トクトアは女官と……」

 

 遼王は口をつぐんだ。

 まだ幼い皇太子に向かって男女の不倫の事など、畏れ多くて口にすることも憚られた。

 これを母后が耳にしたら、こっちの身が危うくなる。しかしこっちが考えあぐねているその隙に、皇太子に王手をかけられてしまった。

  

「何が……何が、一天万乗いってんばんじょうの天子だ!天が定めし徳を持つ天子だ!たったひとりの天子の為にひとりの人が死なねばならぬのか?では本当の徳とは何なんだ?たったひとりの忠臣の命を犠牲にしてまで守らねばならぬ身なのか? それなら……私は、帝位なんて欲しくない!!」


「殿下っ、もう、もう、おやめください!」

 

 廃太子になど、こちらは望んでおらぬのに……


 耳を塞いだ遼王は、おののき身体を小刻みに震わせていた。

諸侯をはじめ、臣下も顔面蒼白になっている。

 

「どうか、どうか!お考え直しをっ!」

 

 「玉璽を隠した謀反人には死を!」

 

 「殿下は、蒼生の上に立つ方ですぞ!人であってはなりませぬ!」

 

 諸侯と臣下達は、皇太子の今の発言を撤回するように騒ぎ立てたが、同じ言葉の繰り返しばかり。

 玉璽を眺める皇太子は、馬鹿馬鹿しい、と呟いた。

 

 トクトアの目から涙が溢れた。

 

「殿下……」

 

 三年前、皇太子は自分との別れを惜しんで泣きじゃくり、何度も何度もトクトアの名前を呼んでいた。

 その皇太子が小さな身体で精一杯の勇気を示し、自分を庇ってくれている。

 臣下としてこれ以上にない喜びだった。

 皇太子はトクトアに向かって天使の様な笑顔を見せた。

 

「私が人でない?私は生き物が好きだ。草花も好きだし、それに友達もいるんだ。なのに…… 人らしい感情を捨てなくてはならぬのか?全部手放して?それが名君なのか?その名君のせいで、人は大勢死ぬという。国の為なら、平気で人の命さえ踏みにじるなんて。私は、そんな君主になんかなりたくない!なりたくないんだっ!」

 

 艶やかな翡翠色の玉璽を撫でながら、皇太子は淋しげな顔をした。


「これは人の命よりも重いというのか?尊いと?こんなものがあるから、 人は争う……私は知っているんだ。この玉璽は……」

 

 (悲しき五つの龍は、だから…… なのに、こんなものでも争いが起こるというのなら……)

 

 皇太子は多くの者が見守る中、玉璽を宙に向けて放り投げた。


「いらないな……」


 (私には、帝位なんて、荷が重すぎる……)

 

 王族諸侯を始め、丞相と臣下達も、玉璽を受け止めようと必死だった。

 

 「おわぁぁぁー!!」

 

 「ギャァァー!なりせぬ!!」

 

 その様子は実に滑稽だった。

 上を見上げて右往左往している者達は、今度は下に落ちていく玉璽を目で追いながら前方不注意で互いにぶつかり合って転んだ。

 中には将棋倒しに合う者、ひっくり返った亀みたいに手足をバタつかせている者もいた。

 皇太子は刑台からその様子を、どこか冷めた目で見つめていた。

 幸い、玉璽は割れることも欠けることもなかったが、皇太子の言葉は臣下達の心にかなりの打撃を与えた。 王族諸侯らは悲惨な姿を晒し、まるで牛が吠えるかの様な声を上げ、両手を耳に当て悲しみに身をよじらせて泣いていた。

 

「殿下あぁぁ!!!なんということを――っ!」

 

「我らをお許し下さい!」

 

 「どうか我らをお見捨てにならないで下さい!!」


 皇太子は声高に宣言した。

 

「玉璽は見つかった!トクトアは無実である!!」

 

「し、しかし……」

 

「そうか。ならば私が牢に入ろう」


「殿下!?どうして、どうして、……殿下にその様なことが出来ましょうか?」

 

「我らに死ねとおっしゃいますか!?」


「では、一旦は独房に。それなら良いのだろう?もし、死なせたら…… わかっておるな?」

 

 「はい!」

 

 「承知致しました!!」

  

 遼王は雷に撃たれたかの様なショックを受けていた。皇太子の勇気と真心が、臣下と諸侯達の心を動かした。

 それにくらべて、自分自身の心を支配しているどす黒い感情の渦をどうすることも出来ないことに、例えようのない惨めさと羞恥心を覚えた。

 いや、移ろいやすい民衆の心など、如何にあてにならないものか思い知らされた。


 「負けた。なれど……」 

 

そう。真心……

 人は、真心で動くのだ、と。

 遼王は両手を地に付けて嘆き、それとは対照的にダウ丞相は、玉璽を握りしめたまま目を潤ませ空を見つめていた。


 「……イェスン陛下。ご覧になられていらっしゃいますか?皇太子殿下は立派な大ハーンになられます!」

 

皇太子は帰ろうと踵を返した時、

目の前の光景に驚いた。

 民は平伏していた。

 この御方なら、と。

 

「みんな……」

 

「殿下、これこそ殿下が示された徳に応える民の心!」


  トクトアは丞相が差し出す玉璽を手に取り、皇太子の小さな掌に乗せた。

 

「……これは大ハーンとなられる殿下にこそ、ふさわしい物です。悲しき五つの龍は、殿下が真の意味で本物になさるべきです。たとえ本物でも、使い方を誤れば、ただの石ころになり果てるのですから。そうなったら権威など、いったい何処にあるというのでしょう。どうか、これを民の為に正しく使い、親政を!」

 

民の中から万歳の声が上がった。


 「皇太子殿下、万歳!!」

 

「万歳!!天から来られた御方に!!」

 

 雨出乎アメデオは白馬の上で踊っている。


「ウッキッキ~!」


 

 皇太子の見事な活躍を見たテムル・ブカとオルク・テムルは、互いに顔を見合わせ喜んだ。

 

 「立派じゃ。のう?そう思わぬか?」

 

 「はい。ですが、この誓約書と日録。使うことはありませんでしたな」

 

 「いや、持っとるだけで効果はあったじゃないか。そうじゃ、これを遼王に見せてやらねば……」

 

 群衆が去った後も、遼王は寂しくぽつねんと佇んでいた。

 

「遼王よ、お主の親父殿は " 真の英雄 " じゃった……」

 

 テムル・ブカは命婦から預かった日録を遼王に手渡した。

 

 そこに記された内容は、〈 ナヤン王は " 自分ひとりが首謀者。全ての罪は私に " と。そして彼だけが処刑された。後日、" 彼の神は、信奉するナヤンを救わなかったではないか " と嘲笑った者達に対し、グラン可汗カーンはこう諭された。" 神は、公明正大な御方である。ナヤンは重罪を犯したのは明白。神がナヤンをお助けにならなかったのは仕方のないことである 。だが神を信じるナヤンは、いつの日か楽園での復活を待ち望んでいるに違いない。信仰に救われたのである " 私マルコ・ポーロは、大可汗の言葉に深い感銘を受けた。宗派は違っていたが、大可汗は神の真の教えを理解されており、ナヤン王の死を悼み、神を誹謗する者達の発言を止めさせた。それもその筈、大可汗の生母ソルコクタニ・ベキは、敬虔なエルケウン(十字教)の信徒であったというのだ。おそらく大可汗は母后から……〉

 

 「これは……『東方見聞録』の写し!?この下に大ハーンの直筆が…… 父上!大ハーンに天晴れと言わしめた!父上!!」

 

 日録だと思っていたのは『東方見聞録』だった事に、テムル・ブカとオルク・テムルは目を皿の様にして驚いた。

 遼王は見聞録を胸に包み込む様に抱き締め、嗚咽を漏らした。

 流す涙は後悔というより、亡き父との再会に喜んでいる様に見えた。

 テムル・ブカは、その背中に向かって強く語りかけた。

 

 「遼王よ、お主の使命はなんだ?チンギス・ハーンの母ちゃんホエルンみたいに家族を温かく見守る者にならんといかんぞ。炉は食事を作る為の火、厳冬の寒さから家族を守る団欒の火、その近くには家を守る母がいる。真のオッチギン(炉の番人)とならねば!」

 

 「真の炉の番人……」

 

 「そうじゃ!テムゲ・オッチギンは末っ子。末っ子はモンゴルの風習により、母の財産と家を継いで炉を守る役目だった」

 

 幼い頃、父ナヤンもそう話してくれた。

 良き炉の番人となるのだ、と。

 

 「そうでした……これより私は、殿下を!上都を守る者となりまする!!」

 

 「うむ、頑張るのだ!」

 

 遼王は憑き物がとれたかの様にすっかり見違えた。四十後半は過ぎていたが、青年の頃に戻ったかのような、爽やかな笑顔を二人に向けて。

 遼王が去った後、オルク・テムルはため息をついた。


 「……間者の私達がこんなことして。エル丞相が知ったら怒るでしょうな」

 

 「ははは、良いではないか!敵が弱っている所を攻めて勝っても、ちっとも嬉しくないじゃろ?あれ!?なんか見たことあるのがおるぞ!」

 

座長が舞姫の少女と一緒に大泣きしていた。

 

 「オロロ~ン、若様ぁぁ!」

 

 「えーん、トクトアにいちゃん!!」

 

 「おい!お主ら、トクトアは無事じゃぞ!なんでわざわざやって来たんじゃ!?あの計画を進めたんか!」

 

 トクトアが無事。それを聞いた二人は一辺に泣き止み、抱き合って喜んでいた。

 

「な~んだ!泣いて損しちゃった!」

 

 「ほんとに!……って、これ、ヌール!あんたは反省しないといけませんよ!お蔭でこれからとんぼ返りです!」

 

 座長はヌールの頭に軽く、コツンとげんこつ。

 

 「あ痛!……ごめんなさい。だってあの時、本当にトクトアにいちゃんが死ぬと思ったんだから!」

 

 おじさん三人は大笑いした。

 そこへ、もう一人姿を見せた。

 

 「女官長ではないか!無事で良かった!」

 

「母后様の使いで参りました。どうかお力をお貸しください。トクトア様を上都から出して頂きたいのです。今夜……南門から」

 

 暗く沈んでいる女官長を余所に、全員心底喜んでいたが、「実は前から考えてました」なんてことは流石に言えなかった。

 

 「わかった、わしらに任せておけ!」

 

 

 

 

 

 ※モンゴル人の昔の風習・伝統について。

 高貴な人は血を流さないで死ぬとと言い伝えがあった。高貴な血には霊力が宿るので、霊力の強い人の血が地面に流れる(落ちる)と、そこに霊が留まって障りがある、つまり祟りをおこすとも言われ、大変恐れられた。それで処刑の時は、血を流さないような方法を考えなければならなかったという。

 前のお話で、遼王の父ナヤンはフェルト絨毯に巻かれたのも、高貴な生まれのナヤンに対するモンゴル伝統、の意味も含まれていた。(それなら絞首刑もあるのに)日本でいう切腹みたいなもの?両国互いに、あり得ない風習だ!と言う合うだろう。でもどっちもあり得ないと思う(泣)

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