第76話 悪魔
檻車から降りたトクトアは、白昼衆人環視に晒される中、迷いのない足取りで刑台へと進んだ。
階段を上りきったその先、段上の真ん中にあるものを見て首を傾げた。
乙女を象った不気味な金属の人型が置かれている。
「……これは?斬首と聞いておりましたが?」
王族諸侯らがいる桟敷席から、邪悪な笑みを浮かべた遼王トクトアがゆっくりと歩いて来る。
すぐ後ろからダウ丞相が付いて歩くのが見えたが、その顔にはいつもの覇気が見えず、目には悔し涙が滲んでいた。
「ふふふ。これはな、" 鉄の処女 " だ!お前に相応しいと思い、欧州の商人から買ったのだ。まだ新品だぞ。お前は、" 処女殺し "と呼ばれているそうだからな」
(……誰がそんなことを?)
「フッ……確かに私に相応しい。実に素晴らしく美しい乙女ですね……」
「中を見せてやろうか?おい、開けい!」
中身がどんな構造になっているかなんて、別に知りたくもなかったが親切にも開けて見せてくれると言うので、仕方なく目を向けた。
人形の中は空洞。
扉の左右、前面が開くようになっており、その扉の内側、背部の両方にも鋭く長い釘がいっぱい打ち付けてあった。
それを目にした者達は皆、恐怖に全身の毛が逆立った。
まさかそんな美しい人形の内に釘地獄が存在するなど。
闇の中で釘に全身を貫かれ血を流し、長い時間をかけて死ぬらしい。
「ふふふ、驚いたか?内部に閉じ込められた人物は瞬時にして絶命するのではないぞ。そう、徐々に、徐々に、失血死するように作ってある。出来るだけ長ーく、楽しんでもらいたいからな!」
遼王は、バザールで商品を説明する商人のように丁寧な解説をしているが、どこか気取った態度が鼻に付いた。
「全く……ありがたいことです。つまり、この釘は急所を避けて刺さるように設計されているってことで?」
「ご名答。飲み込みが早いから説明の手間が省けて助かる!流石、好みの女を前にすると観察する眼も鋭いとは。いや恐れ入った!」
「お褒め頂き恐縮です。……しかしやっぱり、私は生身の女性がいいですね。血の通わない乙女に抱き締められると身体が凍えそうです」
二人共、名前も同じトクトア。
話の掛け合いも面白いのか、諸侯達はウケたらしく桟敷席からどっと笑い声がした。
激昂しやすい反面、実は陽気で気前が良い民族である。
「ハハハ……いや、お前と話すのは楽しい!殺すには惜しい気もするが、やっぱりそれは無理だな。でも安心しろ。搾り取られた血はな、真後ろにある管を通して刑台の下にある樽へと注ぎ込まれるように細工がしてあるからな」
「なるほど。しっかりその後の環境整備のことまでご配慮下さるとは……どうやら後始末の心配はいらなさそうです……」
また諸侯達が笑った。
「……さて時間が来た。お前が、この世からいなくなるのは寂しいが、これも仕方がないんだ…… はあ、刑を執行する!」
ダウ丞相がすーと側にやって来た。
これから罪状を読み上げようとした時、桟敷席から野次が飛んだ。
「早くせいっ!!」
ガヤガヤ……
「静粛に!!まだ時間が来てませんぞ!鐘も鳴っておりませぬ!それに刑を執行する前に罪状を読むのが当たり前ですぞ!」
ダウ丞相は、なんとしても時間を引っぱる覚悟だった。
かくなる上は、裸踊り・お盆芸でもって引き延ばす。
多分、みんなショック死するかも知れないがそれも致し方なしと腹を括った。
用意は万全だった。
「トクトアよ、先にその衣を脱げ。釘が刺さらぬからな。まあ、下は勘弁してやるか……」
命じられた刑執行人は、トクトアの衣を脱がせにかかった。
(脱がせるのか。まあいいか……)
得意のアルカイックスマイルを拝ませる。
「うっ、この香りは!?」
香りを吸い込まないよう、遼王は咄嗟に袖で鼻を覆った。
誰も嗅いだことのない、鮮やかな芳香が、トクトアの身体から漂った。
肌に温められた甘美な香りは、湿り気のある風に乗って集まった人々の鼻を刺激し、目眩く夢の世界か、芳醇な果物が豊富にあるという、美しい楽園に誘うかのようであった。
(フッ……もう遅い。これは毒みたいなものだ。さあ、好きなだけ酔いしれるがいい)
彼の比類なき美貌も餌となった。
人を惑わせ崇めさせる存在。
「おお!アドニスがいる!」
突然ひとりの修道士が、猛烈な勢いで階段をダダダと駆け上がった。
神からの祝福にかこつけて抱きつくつもりだったが、これが不信心による天罰なのか?長い脚に邪険に蹴り飛ばされた勢い余ってか、無様に階段から転がり落ちた。
「ふん、気安く我が身に触れるな!この生臭坊主めがっ!」
トクトアは顔を
「ワタシは神に仕える身なのにぃ!嗚呼!でも素敵……ポッ」
光を受けてツルピカに輝く
「お願い。もっと蹴って……」
手巾の端を口に咥えている。
気持ち悪い。
だがそれを皮切りに、高原の諸侯らが続々とトクトアの前にひれ伏した。
「お主の美しい肉体は罪を犯す者ではないことの証じゃ!」
「トクトア!我の
「儂もお主のことが好きじゃぁぁ!!儂を好きなだけ○○してくれ~!」
「妻には内緒にするから頼む!」
民の中からも恩赦を訴える者が出始めた。
女達は目をハートにしてきゃーきゃー騒いでいる。
「美しいあの方を助けて差し上げて下さい!」
「あんな優しそうなお方が罪を犯すなんてあり得ません!」
「あの美こそ、善ですわ!!」
群衆はガヤガヤと刑台近くまで押し寄せ、脅威に感じた役人達が押し返そうと動いた。
すっかり手持ちぶさたになっていたダウ丞相だったが、これは仕返しをする良い機会とばかりに、陶酔状態の諸侯達を素っ裸にし、「じゃあ皆さんご一緒にっ!あっ、はい!あっ、ほい!」とお盆芸をやらせていた。
おぞましくもシュールな場面だ。
遼王の顔が歪んだ。
「何なのだ?……いったい何故こうなった?トクトア、お前は……お前は……」
それは悪魔――遠い昔の記憶がよみがえった。
彼は無意識に、父ナヤンの形見の十字の首飾りを握りしめていた。
幸せだった日々――幼い頃、優しい父の膝の上で聞いた話を。
――トクトア、悪魔は人を惑わす。善き
―― はい。父上……
「そう、悪魔だ。お前は、人を惑わす悪魔だぁぁぁ!!」
うっかり香気を吸い込んでしまった遼王は大きくよろめいた。
トクトアは、金がかった榛色の目で遼王を見つめたまま、ゆっくりと側まで歩いた。
「……フフフ、私が悪魔?ほら、お聞き下さい。皆、私が正しいと言っておりますよ。知っておられますか?赤子でさえ、人の美醜が分かるのです。私は、自分の容姿を利用しました…… このように。皆が、私にひれ伏しました…… こうなったら、善も悪も良いか悪いかなんて、実にどうでもいいことのように思えます。……私が罪人か?違います。これが何よりの証拠です」
突然、トクトアはケラケラと笑いだした。傲慢と不遜が入り雑じった笑い声は、まるで天を嘲笑うかの様に辺りに響いた。
「いや……お前は、邪悪な悪魔だ…… 父上、悪魔が!助けて……」
遼王は無様に後ろ向きに倒れた。
父ナヤンが
――やっぱり神はいなかった!
それから神を憎んだ。
母が亡くなり、身寄りがなかった遼王は、親族に預けられるが冷たくされた。
逆賊の息子と。
だから父も憎んだ。
父さえ世祖に刃向かわなければ。
愚かな父は、フェルト絨毯に巻かれた状態のまま無惨にも撲殺された。
手には十字架を握りしめ、人々から嘲笑を受けて。
本気で救い主が助けに来るとでも思っていたのか。
父の信仰が――その神が、父を見殺しにした。
なのに自分は、憎むべき神と父に向かって助けを求めている。
もう耐えられなかった。
「……いや、悪魔は、自分の手で倒さなければ!」
遼王は帯にさしている短剣を抜き、立ち上がって髪を振り乱しながらトクトアに襲いかかった。
「神に頼るなど!父を見離した神に頼るなど!その父も…… 大嫌いだぁぁぁ!!」
トクトアは遼王の短剣をのらりくらりとかわした。
トクトアからすれば、遼王はややこしい人物、面倒臭いことこの上なかった。
だが遼王は、心の奥底では父ナヤンを深く愛しているのは確かだ。
幼い頃、心無い大人達の亡き父への暴言が、彼の人格を歪めたのだろう。
父を誇れる何か、自分が受け継ぐべき使命。
それを知れば、鬱屈した心は晴れ、きっと遼王は、心から上都を守る良き番人となる筈だ。
短剣が腕を掠め、出血した。
「やっぱり痛いですね…………」
「考え事なんかしてるからだ!生殺しにしてくれるわ!」
遼王が逆手にした短剣を振り上げた時、天から微かな風が吹いた。
「天から?この風が吹くのは……」
人が楽園にいた頃、父なる神が人に話し掛ける時に吹く、と父ナヤンが言っていた。
「玉璽は我が手にある!皆の者、道を開けよ!!」
白馬に跨がった皇太子が現れた。
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