第75話 死刑宣告!刑場へ


  「罪人トクトア。汝は、大ハーンの権威を貶め、王族諸侯の名誉を著しく毀損せる行為を成し、又、宮廷に従事する女官らと淫らな行いに及んだ事、誠に許しがたし。よって明日の羊の刻(午後2時頃)、都大路の広場にて斬首に処す。遺骸は四肢切断、梟首きょうしゅ(晒し首)とする」

 

 捕吏達から罪状を聞かされた時、あまりにも強引過ぎて、最早笑うことしか出来なかった。玉璽のことを触れていないのが気になったが、こっちが盗ったという証拠がないからだろう。

 それにもかかわらず処刑だから堪らない。

 こんなことは到底受け入れられなかったが、女官長が代わりに受けるくらいなら、自分がそうなった方が遥かにマシだと考えた。


(連中にとって玉璽など、大して意味がないというのか?皇太子殿下で充分という訳だな……)


 探している人物がいる以上、いずれ失せ物も出てくる、というのだろう。

 あの痛くも痒くもなかったは、処刑までの手続きみたいなものだ。


 「ではお願いが。せめて最後に香油が入った風呂に入ることと、死に装束くらいは豪華な織りの納石矢なししにして頂きたいのです。陽光の下で白地に金糸は、さぞかし映えるでしょうから……」


 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 (さて、どうしたものか。多分、テムル・ブカ様はお怒りになるであろう……)

 

 案の定だ。寝床でのほほんと本を読んでいる所へ、目を血走らせたテムル・ブカが、ドタドタ派手な靴音と一緒に現れた。

 後ろからオルク・テムルも付いて来ている。

 

 「トクトアっ!この馬鹿もんがぁ!!なんで早まったことを……お主は、わざわざ死にに来たのか!?そんならワシの手で殺してやる!!」

 

 怒りで興奮状態のテムル・ブカは、檻の中に両腕を突っ込むが相手が手の届く範囲にいなかったので仕方なく檻を掴んで暴れた。

 これじゃ、どっちが檻に入ってるかわからない。

 今度はオルク・テムルが、テムル・ブカを羽交い締めにする番が回ってきた。

 

 「テムル・ブカ様!落ち着いて下さい!!」

 

 「……申し訳ございません。あの時は、ああ言うしかなかったのです。女官長を死なせたくなかった……ですが、私とてそう簡単には死ぬつもりはありません。これを香調合師に頼んで頂けませんか?」


 ついさっきまで怒り狂った猩々しょうじょうみたいに暴れていたテムル・ブカが、嘘みたいにピタッと止まった。

 トクトアから必要とする香料が書かれた紙切れを素直な態度で受け取っている。

 

 「なになに、香料の処方箋ってか。肉桂にっけい香花こうのはな白檀びゃくだん霍香カッコウ茴香ういきょう香水樹こうすいじゅ茅根香ウサル石竹せきちくあんず麝香ジャコウ胡荽こすいか…… はあ?こっちはカメムシ草だな?なるほど!最後に臭い匂いで全員巻き添えにするのか?やるな~爆臭暴力主義者!」

 

 嫌な暴力主義者テロリストだ。

 

いたちのすかしっ屁?異臭騒ぎか!?うわ~街中カメムシ臭そうですな。トクトアはカメムシが好きなのか?」

 

 オルク・テムルは、鼻を摘まむ仕草をしている。

 

 「え?いえ…… カメムシ草?そんなものを書いた覚えはありませんが……」

 

 二人共、「この最後の。絶対カメムシ草だぞ。よく道に生えてるの見るよな」と、言った。

 

 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*


 宮廷はしっちゃかめっちゃかになっていた。

 母后はショックで倒れ、女官長は怒り狂って丞相に訴え、皇太子は泣きながら、自分が悪いのだ、と従兄のオンシャンとエセン・テムルに訴えたが、この二人、皇太子のからの信頼を得るチャンスだというのに、王族諸侯を説得するという偉業を達成出来ず仕方なく皇太子と一緒に泣くぐらいしか出来なかった。けれど皇太子が泣くと、主人を心配したのか、庭から雅眉亜瑠ガビアル君が現れて辺りを騒然とさせた。

 残されたただ一つの道は、一刻も早く、玉璽を見つけることだけだ。

 テムル・ブカは、トクトアに〈謎かけ文〉を見せた。

 

〈伝説の悲しき五つの龍、遊び疲れて巣に戻る〉

 

 「ワシは玉璽が箱に戻っておると思う。お主はどう見る?」

 

 「……私も同じ意見です。これで命婦が政務室の前で倒れていた訳がわかりました。多分、命婦が玉璽を元に戻した可能性があります。灯台もと暗し、ということです。まあその後、誰も箱を確認しなかった。ってのもおかしいですが」

 

 「……え?じゃあ、お婆も、鍵を持ってるってことか!?」

 

 「おそらくは。命婦が持っているのがで、丞相の持っている方が、だと思います。やれやれ…… 命婦もまさか自分が倒れるとは夢にも思ってなかったと思いますよ……」

 

 「では早く玉璽を見つけて約束通り、丞相の真ん前に置いてやらねば!」

 

 「今は、その時ではないかと…… 今頃、街のあちこちに私の罪状を書いた立札がある筈。連中の真の狙いは、上都での発言力と縮小された勢力の拡大、ダウ丞相を始めとする色目人官僚達の力を抑える為。だから玉璽がなくなったのをこれ幸いと思い、無理やり私と結び付けたのでしょう。まあ、これはあくまで、私の推測に過ぎませんが。しかし彼らの私に対する敵意は拷問の時にひしひしと感じましたからね。で、これを黙らせるにはが必要です」

 

 「確かな証人?ということは……大勢の民の前で玉璽を見せつけるのか!だが、ビビらすには今一つ何か決め手に欠ける……」

 

 「はい……ですから亡きイェスン陛下と遼王が交わした誓約書、事件の一部始終を明確に記録している日録のどちらかを、遼王に見せてやった方がいいでしょう。オルク・テムル様の話。五年前、遼王が引き起こした忌まわしい事件〈親族殺し〉民衆はどんな反応を示すやら…… 本人に思い出させてやるのもいいかと思います」

 

 テムル・ブカは、呵々かかと笑った。

 

 「いや~恐れ入った!ワシも気を付けねばの。お主は人の弱みを握るのが上手いからな!」

 

 テムル・ブカとオルク・テムルは、機嫌良く去った。

 


 そして運命の日を迎えるが――

 

 「クソ!なかなか見つからんではないか!うっ…… カビ臭っ!」

 

 「小さい書庫なわりに冊数が膨大過ぎますな……」

 

 それぞれの家臣を引き連れた二人は、問題の日録を探す為、夕べからカビ臭いクモの巣だらけの書庫に入り浸ったままだった。

 これでは到底間に合わない。

 この場は斉王とその家臣に任せる、と命を下したテムル・ブカは、急ぎ母后と皇太子を政務室に呼び出した。

 丞相も呼ぼうと考えたが、〈皇太子が作った合鍵〉の存在を知られると、余計ややこしくなると思い直し、彼には時間稼ぎを頼んだ。

 再び絵画を前にしたテムル・ブカは、幼い頃の記憶、亡き世祖そふの言葉を思い出す。

 

  ――テムルや、そう泣きそうな顔をするでない。絵が落ちでもして、その可愛い頭に当たったらなんとする?

 

 「……なんとする?そうだなっ!一度は壁から離れたかろう!?」

 

 突然、意味不明な叫び声を上げたテムル・ブカに、一同はびっくりした。

 何かに憑かれたように、壁から絵画をどかしたテムル・ブカは、壁際の本棚から狼と牝鹿の置物オブジェを使い、隠された棚から見事玉璽の入った箱を取り出すことに成功する。

 箱を揺すってみると、中からそれらしき物音、ガタゴトと角ばった物が移動した。

 

「フッフッフッ、よっしゃー!じゃあ開け~ゴマ!」

 

 テムル・ブカは、合鍵を勢い良く鍵穴に差し込んだ。

 

 ガキッ…… とても嫌な音がした。

 

 「…………ごめん。回す前に鍵折れちゃったみたい………」

 

 「ぎゃぁぁ――っ!嘘―――!?」


 一同は悲痛な叫び声を上げ、そして泣いた。

 各々の顔に、焦りの色が見えた。

 もうこうなったら、ガチャガチャと大層にもったい付けたこの箱を、斧か金槌でぶっ壊すしか手がないと思い詰めるところまでいったが、そんなことをすれば、中の玉璽もただではすまないと、それだけは思いとどまった。

 処刑の刻限が、刻一刻と迫っている。

 今から箱を携えた早馬が刑場へ飛び、その場でダウ丞相に解錠させるしかないだろう――とまで考えた時、歩調も確かにこちら向かってやって来る者を見た全員が仰天した。


 「命婦!?大丈夫なの?」

 

 「なんと!」

 

 「お婆じゃ!」


「わーい!元気になったんだね!」

 

 「キキッ!」

 

 命婦は、優雅に拱手拝跪きょうしゅはいきをした。


 「皆様、誠に申し訳ございません。この命婦が致したこと、深くお詫び申し上げます。お猿さん、ごめんなさいね。ご推察の通り、玉璽はこの命婦がこっそり箱に戻しました。ところが玉璽を持ったら久しぶりに悪戯心が出まして。やっぱり罰が当たったのでしょうか。政務室の前で突然気分が悪くなったと思ったら意識が…… 本当に、ご迷惑をお掛け致しました」

 

 命婦は、首から掛けていた金の首飾りを取り出した。

 長方形型の飾りにある突起物を押せば飾り蓋が開き、中から阿古屋珠あこやだまが輝く金の鍵が現れる。

 

「殿下、この鍵は、命婦が世祖様からお預かりしました。どうかこの鍵をお使いになり、玉璽をご覧遊ばせ」

 


 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 豪華な白色の衣装を着たトクトアは、牢から出された。

 

 「陽光が眩しいな……」

 

 照りつける陽光に思わず手をかざし、それからゆっくり下ろす途中、指の隙間から女官長がこちらに向かって走って来るのを見た。

 

 「待って!トクトア様!あたくしが軽はずみなことを言ったから……あなたは」

 

 トクトアは、手をかざしたまま笑った。

 

 「いや……あなたは美しい!今日も眩しいくらいにね……」

 

 女官長は少し腹が立った。

 こんな時でも、呑気に冗談を言う神経が信じられなかった。

 

 「では、行ってきます……」

 

 まるでちょっと出掛けて来るかのようだ。

 

 「……行かないで!!」

 

 スレンはトクトアの背後からしがみ付くが、無粋にも捕吏によってすぐに引き離された。


「無礼な!手を離しなさい!」


 女官長は暴れたが、直ぐに取り押さえられてしまった。

 

「……女官長、私はあなたの為に死ねるなら、こんな嬉しいことはありません……どうか、幾久しゅうお健やかに……」

 

 トクトアは、女官長に向かって精一杯笑いかけると、大きな水牛が引く覆いの付いた檻車に乗った。

 後ろから恋人の泣き叫ぶ声が聞こえた。

 

 「離して!!嫌ぁぁ!!あの人をあの人を、連れていかないで!!」

 

 「……さようなら……」

 

 彼はそう呟いたきり、もう何も言わなかった。


 城壁の外から砂嵐の音が辺りに不気味に轟き渡たる。

 しかし、それは城門の前に集まった群衆の声で、わざわざ諸侯達が先導してやって来た者達だ。

 この善良だが何の情報も知らされていない民衆らは、「お気の毒な皇太子殿下を悪名高いバヤンの甥トクトアから解放して差し上げろ!」と、口々に訴えていた。今や彼は、完全に諸侯達の都合の良い怒りの捌け口、つまり生贄スケープゴートにされてしまったという訳だ。

 

 檻車は宮城の城門を出て都の大路を進んだ。

 

「逆賊は早く死ねってんだ!」

 

 「そうだそうだ!早く殺せー!!」

 

「そんな奴は凌遅刑りょうちけい(最悪な極刑)にしろ!」

 

 「早くぶつ切りにして漢方薬にしちまえ~!!」

 

 トクトアは、うるさく檻車の周りで囃す群衆に目もくれることなく、まるで他人事の様に自分に対する罵詈雑言を聞いていた。

 

 香調合師に頼んだ香料は、もう身に付けている。

 あともう少しで、体温に温められた匂いは衣を透して立ち上る計算だ。


 (でも、カメムシ草ってなんだろう?まあいいか)

 

 我ながら胸の中は穏やかなもんだ、と笑った。

 こんなガタガタ揺れ動く檻車だが、気分の持ち方次第では象に乗ってふんぞり返っている世祖フビライ・ハーンだ。

 目を閉じ、遥か南の大都に思いを馳せた。伯父の屋敷の赤毛の子。

 

(……雪花シュエホア、今は、お前のことばかり思い出す……)

 

 初めて出会った日、まるで空から降って来たかのような不思議な登場の仕方をしてこっちを驚かせた。

 もう一度だけでいい…… 会いたいと願った。愛くるしい笑顔が見たかった。

 自分の表情が前よりも豊かになったのは、あの娘のお陰かも知れない。


「雪花、琵琶は弾かぬのか?」

 

「私はあの弦楽器はちょっと難しくて…… 聴くのは好きですけど。あっ、名曲〈十面埋伏じゅうめんまいふく〉を弾いて下さい。あの♪チャララン、チャララン、チャラランって!」

 

 「はあ? ……チャララン?チャラランってなんだ?」

 

 「チャラランはチャラランですよ!前奏がチャラランから始まって段々チャラランが速~くなっていくんです」

 

 「……ああ、兵達が進軍の太鼓を打ち鳴らす場面か。なるほど、確かに琵琶で表現したら、チャラランだな」


 〈十面埋伏〉項羽と劉邦の戦いを表した名曲。

 

 「ねえ、早くチャラランして~早く~トクトア様の絶技は凄いんですよね……ため息ついちゃう。本当にチャラランが上手なんだから!」

 

 雪花は、トクトアの袖を引っ張って催促した。

 

 「……ハァ、わかったよ。チャラランだな、はいはい。全く」

 

 「ねぇ~早く~して~チャララン!」

 

 「……やめろ。そんな甘ったるい声を出すな。トゥムルや海藍ハイランが聞き耳立ててるぞ。変な事をしてると思われたらどうするんだ」

 

 「変な事って?どんな?」

 

 「……もういい。お前には早過ぎる。もっと大きくなったらな!」

 

 「それって、……む、胸が小さいから!って意味ですか?」

 

 「はあ?なんでそうなるんだ?」

 

 (そうだ、また弾いてやらねば……)

 

  *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 

 政務室は驚嘆と歓声で占められた。


 「やったー!!玉璽だ!!!」

 

 「ウッキッキー!!」

 

 「誓約書も戸棚にあったしのう!フフフ、遼王め、胆を潰すぞ~!」

 

 五つの龍が彫られた伝国璽が輝いて見える。

 

 「私が丞相に見せてくる!!」

 

 と、言うが早いが皇太子は玉璽を掴んでぴゅーと走り去った。

 あの首飾りを身に付けている。

 

「いや~早いもんじゃ。どれ……ワシらも行くか!ワトソン、行くぞ!」

 

 「はい!」

 

 オルク・テムルの頭にはクモの巣が貼り付いたままだったが、その手にはしっかりと日録が握られていた。


 事件の詳細、〈泰定元年(1324年)遼王トクトア、親族バリヤ大王及びその家族・妃を殺し、その財産を接収する。これに対して官僚の多くは反発し、遼王トクトアから王号を剥奪し別の当主を立てる、もしくはオッチギン王家そのものを廃止すべし、との声が上がったが、大ハーン・イェスン・テムルは、遼王トクトアを処罰することはなかった。代わりに誓約書に遼王の金印を押すだけにとどめた〉


 「お二人共、お待ち下さい。実は気になる記述があるのでございます。是非ともこれをご覧下さいませ」


 命婦は戸棚の隅から、別の日録を取り出した。

 ページの日付は、至元二十四年(1287年)六月○日、乃顔大王ナヤンだいおう処刑、と記されており、そこにはナヤンの世祖フビライ・ハーン直筆と思われるものが一筆書き添えられていた。

 

〈クソガキと罵ったが、乃顔ナヤンに敬意を表す。余を相手に天晴れである〉

 

 「……これを遼王が知れば、あのねじ曲がった心は癒え、あるべき姿に目覚めさせることが出来るかも知れぬ!」

 

 二人は皇太子を追った。

 あとに残された母后と命婦は、祈る気持ちで刑場の方角を見ていた。

 

 

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