第72話 悪夢の尋問
テムル・ブカは、丞相に上都の城門も通る者達の荷を隈なく調べることを提案し、女官や宦官から使用人に至るまで、部屋の中を徹底的に調べあげ、また、出入りの商人達の荷や長持ちの中も覗きまくり、自らも質屋や骨董品を扱う者の店にも出向いた。
あの〈謎かけ文〉のことは気になったが、本当に、玉璽のありかを示していると思い込むのは馬鹿馬鹿しいことの様に思えた。
もしも、あの謎かけに踊らされてる隙に、犯人が城門をくぐり抜けたらどうなるか。自分達の他にも間者がいるとも思えないが、念の為だった。しかし……
「……テムル・ブカ様、やはり玉璽はありませんでしたね」
綿のように疲れたオルク・テムルは、まるでひじ掛け椅子に引っ張られるかのように、ドスンと腰かけた。
「フフフ…… がっかりしたか?だが安心せい。これで探す場所は一ヶ所に定まったということじゃ。間違いない!やっぱり玉璽はこの宮城内の何処かにある!」
疲労感を滲ませたオルク・テムルの顔が、パアッと明るくなった。
「本当にですか!?」
「ああ!もう一人忘れておらんか?だいたい推理小説なんてのはな、一番犯人らしくない奴が犯人と相場が決まっとる!犯人は……」
テムル・ブカは勝利宣言をするかのように、力強く、それから人差し指をピシッと真っ直ぐに伸ばした。
「……犯人はお前じゃ!!」
と、そこには誰もいなかった。
「って、いっぺんでいいから言って見たかったんじゃ~ ……だがこれはワシの勘なんじゃが、お婆が
トントン……
誰かが扉を叩く音がしたので、声を潜めるが、その心配はいらなかった。
皇太子がおずおずと扉から入って来た。
「ごめんなさい……テムル・ブカおじさんとオルク・テムルのおじさん。あの……印を押した紙はなかったんだ」
皇太子は
「なるほど……きっと同一犯に持ち去られたのです。沐浴に行っている間の時間に、この二つは同時になくなった……
「うん!」
三人は皇太子の居室の前に立った。
「……では実況検分といきましょう!」
テムル・ブカの名推理?が遺憾なく発揮される筈だった。
「ここ。廊下の前でお婆と出会ったんだ。あの時は元気そうだったのにな……」
皇太子の何気ない言葉に、二人は躍り上がった。
「な、なんじゃと!?お婆に?では部屋に入った可能性が!」
「あるかも知れませんな!」
「キーキッキッ!ウキ~!!」
「あ~!だからお婆の枕元で飛び跳ねたんだな!?ごめんよ、
ちょっと悲しそうな
駒の命婦が玉璽を持ち去ったかも知れないという可能性が、一気に確信へと変わった。
「もう言うぞ!犯人は、お婆じゃ~!!」
肝心の駒の命婦に事情を聞くにしても、依然意識が戻らない状態なので仕方なく、そっと部屋の中を探させてもらった。
「……あった!これですな!」
イタズラで押された玉璽の印がくっきり残った紙を、オルク・テムルが敷物の下から発見した。
「やっぱりお婆が持っていたんですな。しかし、肝心の玉璽が見つかりません……」
三人は、命婦の顔を見ながらため息をついた。
「鼻をこちょこちょっとしたら起きんかな?駄目だろな。このままではトクトアがヤバいし……そろそろ〈謎かけ文〉を解かんといかんか。結論からして間違いない!これはお婆が書いたんじゃ!」
テムル・ブカは、懐から〈謎かけ文〉が書かれた紙を出した。
〈伝説の悲しき五つの龍、東宮の水舟にて四神の友と遊ばん。
「東宮とは……皇太子殿下。四神はなんかの神?じゃあ水舟ってのは野菜でも洗う箱かの?」
「箱?水の入った箱?」
首を傾げるオルク・テムル。
「水の入った箱……水槽だよね?四神は方角を司る。青龍、白虎、朱雀、玄武だけど、ああ~!私の飼ってる亀がそれだ!」
飼っている亀の名が〈玄武〉
これで四神になることに気付いて笑顔になる皇太子。
天から光が降りそそぎ、三人は、おお、と
「東宮殿の水槽だ!!」
「キッキ……」
テムル・ブカが心配していたことが現実となった。
高原の諸侯や王族達は、ダウ丞相に圧力をかけたのだ。
「……丞相!真実を明らかにするまでは、我らは一歩も引きませぬぞ!ムスリム人官僚のあなたとは違って、我らモンゴル族は、蒼き狼と白き牝鹿の子孫だ。誇りというものを命よりも尊ぶのが草原の主たる我らだ。さあ、早く本格的に尋問を開始してもらいたい!」
諸侯達は、丞相を壁の端まで追い詰めるが、丞相とて裸一貫からここまでのし上がってきたプライドがあった。
「確かにワシはモンゴル族ではない!されど……殿下を、この上都を思う心は誰にも負けぬ!捜査の権限は、鎮南王テムル・ブカ様にありまする!よって、もうしばらくの猶予を頂きたい!」
丞相はそれだけ言うと、身体中の筋肉を震わせて諸侯達を押し退ける様に、ノシノシ歩きで立ち去った。
今回は、自分のパワーと世祖ファミリー名で押し切った。
諸侯達は一斉に押し黙った。
「……これでしばらく時間稼ぎが出来る。玉璽さえ見つかれば…… 亡き陛下、この臣は、殿下をお守りすると心に誓いました。殿下を大ハーンに!どうかお力を下さいませ!」
ダウ丞相は空を見上げて祈った。
――しゃあないな。いいよ~ん……
「……え?今、返事が聞こえた気がするけど……」
*∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*
石造りと鉄格子の地下牢に入る者は、謀反を企てた重臣が入る所と決まっている。
薄暗い牢内は換気が悪く、いつも湿り気のある空気が充満しているせいかカビ臭くて息をするのも一苦労だった。本当は一分でもこんな所になんて居たくない。
「……トクトアよ。お前を信頼しておったのに…… 口では皇太子殿下を案じておるような口振りであったが、やはり玉璽が狙いだったとはの!!」
騙されたと思い込んているダウラト・シャーの目は、怒りに燃えていた。
「……いったい何故そう思うのか訳が分かりません。何度でも申し上げましょう。私は玉璽など盗んでおりませぬ!」
トクトアは地下牢の尋問室に入れられ、手足を鎖で拘束されたうえ上半身を裸にされた。
丞相は指でトクトアの顎をぐいと押し上げ、
目をギラギラさせて薄ら笑いを浮かべた。
「……美しいものだ。この身体にミミズ腫を生じさせるのは、まことに惜しい気がするが致し方ない!さあ覚悟せい!」
丞相は
最初は歯を食いしばって耐えていたが、激烈な痛みは、幾度も幾度も背中を直撃した。
空から竜巻か、大粒の雹が降ってきたのではないかと思うぐらいの激しい音が、薄暗い牢内に不気味に響いた。
「さあぁぁ!吐けっ!吐くのだぁぁ!!」
血が混じった汗が吹き出始め、遂に背中の皮が裂けた。
身をよじって笞を避けようとしても、手首足首にはめられた鉄製の足枷がこっちが動く度にくい込んできて痛い。
「……くっ!私は……玉璽を盗っておらぬ!」
「うぬ~この場に及んでまだ言うかあぁぁ!」
ダウ丞相の顔は笑み浮かべている。人に苦痛を与えるのがよほど嬉しいらしい。
「それ!何故に
丞相の顔が、夜叉の如く恐ろしい顔へと変化した。
と、次の瞬間、キワどい踊り子?の衣装を着てド派手なピンクの仮面を付け、手には蝋燭と鞭で責め立てた。
意外にも、筋肉隆々の身体は踊り子?衣装がよく似合っている。
ド迫力満点。
でも一番見たくなかったのが、薄絹の腰布を透して見える、筋肉質の臀部が丸見えになる丁字の下着だった。
ピシッ!ピシッピシッ!
「ホハハハハ!どうだい?気持ちいいだろおぉぉ!?快感に感じる筈だぁぁぁあ!!トクトア~!!」
そして今度は、壁に立て掛けていた長い柄の金槌を手に取ると、トクトアの背中に振り下ろした。
「ははははあ――っ!折れてしまえぇぇぇ~!!」
トクトアは寝床からからガバッと跳ね起きた。
「ハァ…ハァ…………ハァ…夢か……」
びっしょりと寝汗をかいていた。
何もやることがなく昼寝をしていたら、どうやら悪夢を見てしまったらしい。
「あ……ある意味怖かった。精神的な苦痛の方が大きい……で、なんであんな夢を見たんだ?あの衣装は梁王が持ってたと聞いていたが……」
ただでさえ記憶力が良いのが仇になった。そう、夢とは記憶で出来ている場合が多いらしい?
ドタドタと階段を降りてくる音がして、テムル・ブカとオルク・テムルが揃って現れた。
「……トクトア、会いに来たぞ。守衛らには退いてもらったからの。玉璽のことじゃが、やっぱりお婆の奴が犯人じゃ!ところがお婆の部屋を調べたが、これが見つからんのじゃ……何処かに隠しとるには違いないのじゃが……ハハハ」
テムル・ブカは頭をポリポリ掻きながら笑って誤魔化した。
テムル・ブカはトクトアに〈謎かけ文〉を手渡し、状況報告をした。
「……駒の命婦が?なるほど……あり得ます。あの老女は
トクトアの言葉に、二人はそれぞれ何か思い当たることがあるのか、あ~本当だ。得心がいく、と言った。
二人は子供の頃、宴のおりに最後に食べようと楽しみにしていた海老天ぷらを命婦に食べられてしまった苦い思い出を語った。
二人は、いたいけな子供に対する命婦の極悪非道なる所業を念に持っている。
食い物の怨みは恐ろしい、というのは本当だ。
「でも、何で印を押した紙を持って行ったのだろう?」
「命婦のことですから、殿下を思う気持ちから行動を起こしたのでしょう。可愛い
――
(差出人不明の文……そうか、あの文の差出人は命婦だったのか)
トクトアの顔に笑みが浮かんだ。
〈伝説の悲しき五つの龍、友と別れを告げ、歓楽の宮の庭にて
いや、これはやっぱり気遣いなんかじゃなさそうだ……翻弄されとる。
そう思う三人だった。
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