第60話 戦慄の軍事訓練!


 

 目の前にいる兵士志願者達は どう見ても採用試験を通ったという感じはしなかった。


「この方達…… 大丈夫なんですか?けっこう痩せてる人がいますけど」


 バヤンはため息混じりに答えた。

 

「ああ。ほとんどが骨皮筋衛門ほねかわすじえもんさんばかりだ…… しかし、これでも随分マシになった方だ。最初見た時は、髭ぼーの顔と頭髪。私が試験官に怒鳴った理由がこれだ!勿論、一旦解散を考えたんだが、丞相に頼まれたら断れなかった……で、仕方なしにやってるんだ! あの時は、ボロ服とノミとシラミばっかりに気を取られていたが、衛生面を整えてやったら今度はえらく痩せてるってことに気付いてな、今は仕方なく食わせてる訳さ。酷いのになると、いきなり飯を食ったから死にました、ってのもいる…… でもな、食えるってのは幸せなことなんだぜ。さあて、まずこいつらをどうするかだ……」

 

 バヤンは部下に命じて男達を整列させるが、皆ワイワイガヤガヤと好き放題しゃべってばかりで、なかなか思う様にピシッとしなかった。


「右に向けって言われたが、右は箸を持つ方で左は茶碗。だから……こっちに向くだな?」

 

「お前、馬鹿だなぁ。そっつは反対だ!」

 

「いやーお前が間違ってるぜよ!」

 

「ワスは、右も左も箸を持てるだに!」

 

「スゲーな!ワシは左利きだ!」

 

「腹へって駄目だな……」

 

「おらもだ……」

 

「三食昼寝付きって聞いたけどよ!」

 

「おーい!話が違うぞー!」

 

 ガヤガヤ……ペチャクチャ……

 べらべら……ワイワイ……

 

「こら、皆の者!!静かにしないか!」

 

 コルゲン副官が怒鳴ったが、まるで効果がなかった。

 雪花シュエホアは唖然としていた。

 バヤンは背を向け、苦虫を噛み潰した様な顔をして言った。

 

「駄目だ……訓練は中止とする。コイツらを兵士にするなど時間の無駄遣いだ。おそらく、立札の文字が読めなかったんだろう。何をするのか意味も分からずにのこのこやって来たってことだ」

 

 クソッとバヤンは手に持っていた馬の鞭を腹立ち紛れにそこいら辺に投げ捨て、そのまま去って行こうとした。

 シュエホアと金さん銀さんのコンビが慌てて引き留めた。

 気を取り直したバヤンは、際限なくべらべら喋りまくっていた男達をたった一声で黙らせた。

 いやこの場合は、雷鳴がとどろく様な声と言った方が合っているかも知れない。

 流石は軍閥の長だけのことはある。

 辺りはシーンと静まり返った。


「私はバヤン将軍だ!お前達を使える兵士に育て上げる為に来ておる!コルゲン副官、軍令を発表せよ!」

 

 副官は赤い色の巻物を広げると、声高々に読み上げた。

 

「ハッ!!兵士志願者は、これより軍の規律に従い、三ヶ月の軍事訓練に参加する。その後は戦闘に参加する義務を負うものとする。 なお、戦闘にあっては南人なんじん(江南に住む人々)は……」

 

 ここでバヤンが口を挟んだ。

 

「その部分は飛ばしても良い。次からを読んで欲しい……」

 

 副官は別に異存なし、という感じで再び読み上げた。

 

 「はっ!コホン。え~と……」

 

 しかし、シュエホアはさっき副官が言い掛けた所が、どうにも気になって仕方がなかったが。

 

(でも、今はしっかり聞いていよう……)


「……兵士は、出身地と身分によって優劣を決める。モンゴル人、色目人以下の異民族は陣地の構築と労役に従事する事。次、軍の支給品、及び軍糧について。モンゴル人と色目人の両精鋭兵、異民族からなる兵士は配給を異にする。軍律を犯した者、脱走を試みた者はその場で処刑とする。以上」

 

 今までポカーンと聞いていた者達は、流石に処刑の言葉には驚き、抗議の声を上げる者もいた。

 軍令の異民族という箇所が、を指していると知って、シュエホアは嫌な気分になった。

 

(これって差別だわ!あれ?コルゲン副官は何処に行っちゃったのかしら!?)

 

 さっきまで近くにいた筈の副官は、いつの間にか消えていた。

 いぶかしく思ったが、金さん銀さんのコンビが近くにいるので安心した。

 

(御手洗いに行ったのかしら!?)

 

 バヤンは顔色ひとつ変えることなく、皆の様子を眺めていたが、突然手に持った乗馬用の鞭を振るってビシッと音をたてた。

 彼は、何の感情も読み取れない様な顔をし、冷たく言い放った。

 

「静まらんか。お前らみたいな穀潰ごくつぶし共が生きる場所は、この地上でここしかないのだ……」

 

 今の言葉は、現世の罪で審判を下す冥界の主ではないかと思う程に恐ろしかった。

 男達は、誰が言ったかは分からないうまい話の " ちょっと重労働だけど三食昼寝付き "が、いい加減な夢の話だったことにようやく気が付いた。

 そうと分かれば、早くここから逃げなければ、と。

 

 「こ、こんなことは聞いてねえだ!オラは行くぞ!」

 

「そうだ!そうだ!」

 

「こんな所にいるよりは飢え死にした方がいい!」

 

「みんな!出ていくだ!」

 

 男達は我先にと、門へ向かって走り出した。

 しかし、この遁走劇とうそうげきは直ぐに終止符が打たれる。

 バヤンは冷たい笑みを浮かべ、むちを上に向かって振り上げた。

 

 ピュィィィ―――ッ

 

 突然、鏑矢かぶらやの音が鳴り響いた。

 その直後、門扉が開け放たれ、外側から弓矢を持った部隊が現れて男達を押し戻した。

 アスト(アスとも)親衛軍の精鋭だ。

 門楼と城壁からも姿を見せ、コルゲン副官が指示を伺う。

 バヤンが鞭で肩を叩き始めた。

 精鋭は一斉に弓に矢をつがえ、弓を起こす機会を待っていた。


 「……構えろ」

 

 精鋭達は弓を起こし、弦を引き絞る態勢に変わった。

 恐ろしく任務に忠実な、情け知らずの戦士達。

 恐怖で固まる男達を、バヤンは射る様な目で見た。

 

「逃げられると思うなよ。軍律を犯した者は、処刑と言った筈だ」

 

 志願者達に背筋が凍らせる程の戦慄が走った。

 今一度、バヤンが指示を出せば全員が射殺されてしまう。

 止めなくては。

 シュエホアはバヤンの元まで行こうとするが、金さん銀さんに引き留められた。

 それでもシュエホアは前へ出ようとしたが、武官である彼らの力の方が強くて振り切れなかった。

 

「離してちょうだい!これは酷過ぎるわ!閣下!死なせてはなりません!!」

 

(まだ訓練なのに…… こんな非人道的なことは許されないわ!)


 精鋭達は、バヤンの一挙一動を見逃すまいと、次の指示を待っている。

 声を限りにシュエホアは叫んだ。

 

「お願い!!殺さないで!」


 泣きじゃくりながらも懸命に足で突っ張っていたが、従者二人が両脇を持ち上げ、とうとう両足は地面から離れてしまった。

 

「お嬢様、さあこちらに!」

 

 鼻水髭面のお嬢様を、金さんと銀さんが、矢が飛んで来ない所へと運んで行った。


「いや――っ!殺さないで!!」

 

 このシュエホアの悲痛な叫び声のせいで、全員の死への恐怖が最高潮に達した。

 皆、一ヶ所に集まり肩を寄せ合い泣いていた。

 

「し、死にたくねぇ!!」

 

「おらもやっぱり死にたかねぇよ~!うぉ~ん。お~ん!」

 

「泥にまみれてもいい!泥水をすすってでも生きて~!!」

 

 誰かが言った、泥水をすすってでも生きたい、の一言にバヤンは懐かしさを覚えた。

 

(若い頃を思い出すな…… あの頃は必死だった。たとえ泥にまみれても、泥水をすすろうとも……) 

 

「弓を下ろせ……」

 

 音吐朗々おんとろうろうと響く声でバヤンは言った。

 

「これが私が率いるアスト親衛軍の一糸乱れぬ集団による戦法だ。お前達もこれに倣うのだ。軍律によって統制がとれた軍隊は、最も素晴らしい働きをする。美しい陣形は戦場の芸術である。その為に必要なのが軍令、軍律を遵守そんしゅすること!軍律こそが、秩序であり軍の推進力でもある!!如何に、兵力や軍勢で優っていようが、軍の秩序が乱れていれば、たとえ勝てる戦であっても、たちまちにして総崩れとなるからだ! ではこうしよう!お前達に、二つの選択肢を与える!その中から何れか一つを選ぶのだ!どれを選んでも自由だ!!」


 どれか好きに選べる。

 皆、単純に喜んでいた。

 

「生きたいと願う者だけが、この場に留まれ!!勿論、出て行きたい者は遠慮なく前へ出るが良い!強制はせぬ!ただし、即刻あの世行きだ!!さあどうする!?」

 

 結局、バヤンの出した選択肢はどちらを選んでも最悪だ。

 再び精鋭達は弓を起こし、出て行こうとする者がいたら射殺そうと待ち構えていた。

 ずらりと並んだ鈍色にびいろに光る鋭いやじり

 先端恐怖症の人が見たら発狂しそうになるだろう。

 他に選択肢はなかった。

 全員、残る方に決めるしかなかった。

 この賢明な判断に、バヤンはこの上なく満足した様子を見せた。

 

「よし、 退去だ!」

 

 アストの精鋭達は静かに弓を下ろし、その場から立ち去った。

  門楼と城壁に待機させていた精鋭達も副官が退去させた。

 バヤンは副官に目配せし、上手くいったな、と互いに笑顔を見せていた。

 全ては二人が仕組んだ芝居で、そうとも知らないシュエホアは無駄に涙を流していたことになる。

 

「えーん、閣下!どうしてあんな……」

 

「……最初から殺そうなんて思っとらんよ。つまり脅しだ。こうでもしなければあいつらは逃げるだろう?どちらか好きなのを選ばせたのだからありがたく思ってもらわねば困る。どの道を選ぶのも勝手だが、むしろこうなるほうが幸せだ。奴らを解き放ってどうなる?そのまま自由の身になるとでも?答えは否だ…… ここを出れば駆口くこう(奴隷、奴婢)の身となり、生涯強制労働を強いられる。しかし、兵士となり戦場で生き延びれば、奴らは立派な精鋭であるという証明をしたことになるのだ。失われた尊厳を取り戻せるのだぞ。これを覚えておくんだ。 強い者が生き残こるんじゃない。

のだ!」


 何も言い返せなかった。

 それは若い頃から戦場を経験し武功を立て、多くの部下達を率いている者の確固たる自信だった。

 

 初日がこんな感じなので、次からは、さぞかし苛烈を極めた訓練に違いないとそう誰もが思っていた。

 しかし、バヤンが考案した訓練は、大変奇妙というかユニークな内容のもので、聞いた者全員が自分の耳を疑った。

 バヤンは真剣な顔をして言った。

 

「今から〈達磨だるまさんが転んだ〉をやってもらう!」

 

 全員、唖然とした顔をしていた。

 

「その顔からして知ってるな?説明する手間が省けると思ってたが念の為だ。手短に言うぞ!コルゲン副官が鬼を務めるから、皆、初めの第一歩の後、達磨が~、と言っている間に各自好きなだけ歩を進めよ!鬼が振り向いた時に動いてるのが見つかった奴は、コルゲン副官と手を繋いでもらう!仲間が助けに来るまでそのままだ!じゃあ始めるぞ!準備はいいか!?」


「は、はい……」


「声が小さいぞ!!もう一度聞く!返事は?」

 

「はい!!!」と、 みんな命が惜しいから必死で声を出した。

 

「達磨さん~が……」

 

 もう始まっている。

 

「ちー坊も参加しろよ!私も参加するんだからな!」

 

「えー!?私、集団の遊びは……」

 

「はあ?遊びだと!?これは遊びなんかじゃないぞ!立派な訓練だ!!」


「わ、分かりました。そんな鬼瓦みたいな怖い顔しないで下さい……ちゃんとやりますから!」


「誰が鬼瓦だ!真面目にやらんと怪我するぞ!!」

 

「はい。すみません……」

 

 こんなの何の効果があるのか分からなかったがとりあえず参加した。

 途中フェイントや早口もあり、次第に全員が笑顔になっていくのが、端でも見ていて嬉しくなってきた。

 そして、この達磨効果は思わぬ結果を生み出した。最初はペチャクチャと喋ってばかりで、締まりがなくなかなか整列出来なかった者達が、今は指示通りに動く様になり、そして自らが進んでとりことなった仲間達を解放していた。

 

「凄い!これは本当に効果がある訓練ですね!」

 

「だろ!今の体力がない連中にはこれが最適だ!しかしそろそろ本格的に始めなければな。もう後には戻れない!三ヶ月だ!それで結果を出さねばならない!これで、こいつらとは……いや何でもない」

 

 流石に一蓮托生だなんて考たくないとバヤンは思った。


 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 大都宮城、高麗王子の離宮

 

世子アニキ!そそそれ、その頭!!どどどどどうしたんですかい!?」

 

 衝撃の余り、腰巾着のチャンディはどもってしまった。

 

「えー!?嘘でしょ!?ヤバいですよ!

 その頭、なんか三國志に出て来そう……」


 シュエホアによって後ろから棒切れで殴られ、危うく別の世界に行きかけたナギルも、驚いて後退りしたその拍子に、また頭部を壁にぶつけかけた。

 

世子アニキ!エル・テムル丞相に叱られますよ!その昔、我が国もそんな風にしておりました。でも、今はなりません!!」

 

 高麗組の一番の頭脳派 !?タスルは、目を三角にしてプンプン怒っていた。

 

「ふっふっふ!その丞相からも、ちゃーんと了解をもらっている!丞相でさえ、あんなダサい頭をしてないんだぞ!なら俺だって髪型くらい自由にしてもいいだろ?ってゆーかみんな自由にやってるし!俺はもっと素敵な男になるんだ!お前らも髪型変えろ!ダサい頭は女に嫌われるぞ!俺は恥を忍んで、あの傲慢で恥知らずで、女を侍らせて遊んでるハナタレのケシク四人組に頭を下げ教えを請うたのだ!!そうまでして俺は何をするのか?全ては、我が願いを叶える為だ!!雪花…… あの女の心を掴む為だ!!」

 

 はーそうですかそうですか、と三人は言い、馬鹿馬鹿しくて聞いてらんないという態度を取った。

 けれど、王子の演説はまだまだ終わらず、

 この髪型にした時の周りの反応と称賛について、延々と従者ら話して聞かせるのであった。


 で、どんなヘアスタイルにしたんでしょうね?


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