第56話 これも武術修行!? 雪花、王子に説く



 

 尭舜ぎょうしゅんは穏やかに問うた。


「高麗の王子よ、降参するか?」


 王子は痛む脇腹を押さえて喘いだ。


「ま、 まだまだだっ!」

 

「ワシの方は嫌だなっ!嬢ちゃんよ、もう、行くか。こんな連中を相手にしてたら身が持たんわい……」


「はい。そうですね」


 尭舜がスタコラと去った。

 雪花シュエホアは慌てて棒を拾い、師匠を追った。

 途中ポケットから、例の硬い木の実を取り出して道にバラ蒔いておいた。


「おい、こら待て!俺のおんなよ!早くお前らも追いかけい!!」

 

 「え…… は?はい!」

 

 「わ、わかりやした!」

 

 従者らは、本当は気が進まなかったが、王子の命令だから仕方がない。

 そしてこの従者らは、シュエホアの狙い通り、道にバラ蒔かれている硬い木の実を踏んずけて無様に転ぶのである。

その様子を尻目に二人は笑った。

 目前には区切りを示す瓦葺きの塀が迫って来た。


「知ってるかい?この先のは立派らしいぞ!」 

 

  尭舜は棒を地面に突き立て、棒をしならせ、塀の上に飛び乗った。

 同じくシュエホアも。

 

 「――!」

 

 師匠に倣い、棒のしなりを利用して塀の上に飛び乗った。

 

「眺めは良いの~!でも、思ったより低いかな……」

 

「やったーい!……あら本当、それほど高くないかも。頑張ったら登れそう……」

 

 王子は悔しげに見上げた。


「おい卑怯だぞ!降りてこい!」

 

「……やなこった!そうゆうお前さん達には言われたくないのう。自分の地位や権力を振りかざし、悪事を働く奴は最低の人間がすることじゃ。なあ?嬢ちゃんや」

 

「その通りよ。知ってるかしら?みんなが怖いのは元の力よ。あなた達は虎の威を借る狐も同じ。そんなことにも気付かないなんて、お馬鹿もいいとこだわ」

 

「うるさい!お前達に何が分かる!!馬鹿な奴らの政治のせいで、高麗の国土の一部は元の植民地になった!反抗した精鋭部隊と元親派は同じ高麗人同士なのに殺し合わされた!しかも貢ぎ物に加え、若い女子も献上しなけりゃならない!親父は国王だが各行省長と変わらない!腹が立つのが元の使臣だ!大ハーンの名代だかなんだか知らんが偉そうにしやがって…… 国王はそんな奴らの機嫌を取らなけりゃならないんだ。婚儀だってそうだ。元との繋がりを強める為、元の公主を嫁に迎えなければならない!俺はフビライの娘の血を引いているが、元は傀儡くらいにしか思ってないんだ! 俺は高麗なんてちっぽけな国に生まれたばっかりに一生涯、元の犬になるしかないんだ!!」

 

 なるほど。フビライの血を引いていても、統治を任されただけの都合の良い操り人形―― これが王子の心を荒ませていた原因らしい。

 確かに王子の気持ちは分かるが。


(だからって、元と同じことをやるなんて。決して許されるもんじゃないわ!)


「だから……だから何なの?同情されたいの?憐れみの視線が欲しいわけ?本当にこれでいいの?こんな風に腐って、あなたはこれからもそうやって生きていくの?いい加減目覚めたらどう?今はこの国にいるけど、ここでの暮らしと文化やまつりごとを学べば、将来きっとあなたの役に立つわ。あなたは高麗の王様になるのよ!」

 

 まるで自分にも言い聞かせるかの様に話していた。

 自分も元の恩恵にすがり生きている、から。

 

(私に何が出来るだろう?)

 

「……王になどならぬ!!」

 

「いいえ、あなたは王になるの。立派な王となり、国を良い方に導くのがあなたの務め。為政者は民に養われているということを忘れてはならないの。あなたのやっていることは元を喜ばせている。この意味が分かる?元は言いがかりを付けてもっと高麗にタカりたいのよ。あなたは元の力を利用してしたたかにならなくちゃ。だってそうでしょ?やられてばかりじゃ堪んないわ!人が一度は夢見る立場にいるあなたは選ばれた男!選ばれた王! 王の苦労は人一倍多いけれど、それがあなたの定められし運命よ!」

 

「俺は選ばれた男…… 選ばれた王なのか……」

 

 王子が、今の話をどこまで理解したのかは甚だ疑問に思う。

 

(まあいいか……サブリミナル効果みたいに、何回も繰り返すのが大事ってことで)


「そうよ頑張ってね!」

 

「そうか……選ばれた男か」

 

 尭舜は愛弟子の話にうんうんと頷いてみせるが、王子がしゃべり出すと露骨にだるそうにした。

 

「……疲れたのう。帰ろう」

 

「そうですね。私も帰らないと……」

 

 そこへガヤガヤと何かやって来るのが見えた。

 

「あっちです!私達を助けて下さったお嬢さんが大変な目に!」

 

 さっきのカップルだ。警巡院の役人を連れて来てくれたらしい。

 

「嬢ちゃん、面倒だから逃げるぞ!」

 

 いかにも厄介事が嫌いな尭舜の言葉らしい。

 

「はい!!」

 

 先に塀の反対側に飛び降りた師の後に続こうとした時、待て、と王子に呼び止められて振り返った。


「お前の名は?」

 

「人の名前を聞く前に、まずは自分から名のるのが礼儀でしょうに……」

 

 こっちの言い分は最もなのに、それが気に入らない、と怒る二号と腰巾着。

 

「無礼だぞ!高麗の世子せじゃ様に向かって!」

 

「そうだ!そうだぜ!」

 

「こらよさぬか!!確かに、お前の申すのも最もである。我が名は王禎ワン・ジョンいう」

 

 シュエホアはどうしたものかと迷った。

 どうせ二度と会うことはないと思ったのだが。

 

「素敵なお名前ですね。私は……シァンいえ、あなたの好きな呼び名で……」

 

「じゃあ、俺の愛妾そばめで!」

 

 どうしてそうなるのだろう。

 でもちょっとランクが上がった!?

 

雪花シュエホア……それが私の名前です。もう二度と、お目にかかることはないでしょう。数々のご無礼お許し下さい。さようなら王子様。どうか立派な王となられますように」

  

 身を翻したシュエホアは、軽やかに塀の反対側へと飛び降りた。

 

「俺は選ばれた男!素敵な男か…… あれは私を探して!って目をしていたぞ。ああ言って、俺の本気度を試してるんだ!」

 

「いや、そんな。自分の都合の良い解釈は……」と、二号。


「俺との別れが辛いんだ。寂しい目をしていた……」

 

「いや、気のせいですぜ…… さあ帰ろ!って喜んでましたぜ」と、腰巾着。

  

 王子は、素晴らしいくらいの上昇思考と勘違いの塊だった。

 二号と腰巾着はため息をついた。

 

世子せじゃ様!詳しいお話を伺いたいと存じます。御同行願えますでしょうか?」

 

 三人は警巡院の役人に囲まれたが、王子は素直にそれに従った。

 そこへ目覚めた一号が、フラフラと歩いて来た。

 仲間思いの二号が肩を貸す。

 

「あ……ここは何処だ!?戻って来れたのか?なんかな……でっかい輪っかの星や目の模様の星があったよ。他にも氷の星に赤い星もあって…… きれいな女神が現れて言うんだ。って力を授けるから異世界って所に行かないか?って。でも、みんなの声が聞こえてさ……」

 

「それって……かなりヤバかったな。でも意識が戻って本当に良かった。後ろから棒を持った山猿みたいな女に頭を殴られたから無理もない。……さあ帰ろうぜ。お説教あるだろうけどな……」

 

 

 高麗の王子が街で問題を起こしたという事は、直ぐにエル・テムル丞相の耳にも入った。

 丞相は反省を促すという意味で、四百字詰め原稿用紙十枚に反省文を書くのを条件に、父王には報告しない、と王子に告げた。

 ホッとした一同だったが、これに納得出来ない、と泣いている者が腰巾着だった。

 

 「オイラもなんて……トホホ」

 

 王子の心は晴れやかだった。

 

「この俺を本気にさせるとは…… 待ってろよ!お前の望み通り、必ず!探し出してやるからな!俺の深い愛に感動させてやる!雪花シュエホア!」

 

 超・桁違いに勘違い王子、王禎ワン・ジョン

 彼の今後の活躍に乞うご期待!?


 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*


 その頃、屋敷に帰った雪花シュエホアは、おやつタイムを前にウキウキしていた。

 飲茶ヤムチャ――沢山の種類の菓子、点心がお皿にてんこ盛り。

 家人達も一緒に楽しむ至福の時。

 スキップしながら母屋へ向かう途中、急に鼻がムズムズし出した。


「ふ、ふ、ふえぇぇぇぇ――っくしょん!しょん!!ひきつけみたいなくしゃみが出たわ。ブルッ。なんだか悪寒がする……」

 

 雪花シュエホア王禎ワン・ジョンの愉快な?恋の攻防戦が始まる!?



 そして上都では――

 

 トクトアは長椅子でお昼寝中。

 でも顔が険しい。きっと悪夢にうなされているのだろう。


 トクトアは大都に帰って来ていた。

 玄関に入るなり、白い衣装を着たシュエホアが出迎えてくれた。

 

「トクトア様。私に好きな人が出来ました。明日……その方の所へお嫁入りに…… 本当に、今までありがとうございました。バヤン伯父様は養父。あなた様は兄上様。こんな心強いことはございません。これからは夫に従い、良き妻良き母となり、民の模範となる様心掛けたいと存じます」

 

 久しぶりに我が家に戻って来たばかりというのにいきなりそんなことを告げられ、流石の彼も、これには面食らった。

 トクトアはシュエホアの肩を掴んで問いただした。

 

「は?シュエホア、お前は何を言っておるのだ?そんな大切な事を……今まで黙っていたのか!?それに好きな人が出来ましたから明日結婚します?おい!早過ぎだろ!?許さぬ! 絶~対に!許さぬぞ!!相手は誰なのだ!?八つ裂きにしてくれる!申せ!いったい誰なのだ!お前を連れて行こうとする奴は!?」


 そこへバヤンが現れた。

 

「おおトクトア、帰って来たか!ちー坊は高麗の世子に輿入れが決まったんだ。だからお前も祝福してやってくれ……う……うう」

 

 バヤンは涙を流していた。

 その姿は娘を送り出す父親そのもの。

 

「伯父上、高麗の世子とは?まさか…… まさか!王禎ワン・ジョンでは!?私は断固反対です!シュエホアを逆・王昭君※みたいにしてはなりません!可哀想ではありませんか!はっきり言わせてもらいますが、あの粗野な王子とシュエホアの婚礼は、我が大元の国益になりません!そもそも何でシュエホアなんですか!?訳が分かりません!」

 

「……お前ひとりが反対してもなあ…… 当人同士が決めたのだ!ちー坊も嫁に行ってもいい年頃だぞ!」

 

「……私は認めぬ!」

 

 次の日、花嫁の輿は出発した。

 阻止しようにも身体は鉛みたいに重く、思う様には動かせなかったが、それでも彼は必死に馬で後を追いかけた。


「おのれ!!」


 トクトアは諦めない。

 高麗に向けて船が出航する手前、彼は見事花嫁をかっ拐い逃亡した。

「あれ~助けてけれ~」と、花嫁は口ではそう言っているが、顔はとーっても嬉しそうだった。

 

 数年後、二人の間に子供が生まれた。

 可愛く美しい我が子。

 彼はとても喜んだ。


「おお。天地玄黄てんちげんこう宇宙洪荒うちゅうこうこう。天はくろく地は黄色。宇宙は果てしなく広い。一郎はまだ四つだが、字が上手だな!」

 

「父上!ありがとうございます!」

 

 一郎君は手習いで褒められ、子供らしく喜んだ。

 そこへ妻が現れるが、その姿にトクトアは驚きを隠せなかった。

 

「……お、お前!随分と身体が横に大きくなって…… ドスコイって感じじゃないか……」

 

「きっと、幸せ太りですわ!オホホホ!」

 

「ま、まあ……痩せれば良いだけだしな……なあ?今宵は?」

 

 トクトアは妻の衿の中に手を差し込もうとして指でぎゅっとつねられた。


「まあ!あなた様は子供のいる前で。もう!!でも……ちょっと控えた方が……」

 

「……???」

 

「かかさま!お腹すいたの!おっぱい!」

 

 いきなり四人の小さな女の子が現れた。

 四ツ子なのかみんな同じ容姿。

 

「……シュエホア、これも?ま、まさか私の……」

 

「まあ、これも?って。あなた様によく似ているのに」

 

 確かに、自分によく似た美しい子達だ。

 

「ととさま!抱っこ~!抱っこ~!」

 

 四ツ子はトクトアの膝に乗ってきた。

 

「おお、よしよし。なんと可愛いのだ!」

 

 やっぱり我が子は可愛い。

 

「おーい!大きな猪が捕れたぞ!子供達に食わせてやりなさい!!」

 

 バヤンが部下達に命じて大猪を目の前に置かせた。

 すると廊下からピッピッと、呼子の鳴る音がし、赤毛の二郎君がまだ這い這い状態の子を先導して現れた。

 一番最後尾には狸の赤ちゃんも付いて来ていた。

 シュエホアは「まあ~みんな可愛い!」と、喜んでるが、トクトアはのけ反った。

 

「……嘘だろ!?あの赤ん坊は全部で七人はいるぞ!って、なんで子狸まで……」

 

 それだけではない。

 今度は屋敷のいたる所からワラワラと子供達が現れた。

 トクトアの顔が引きつった。

 

「わーい!お肉だー!!おじじ様!どうもありがとう!」

 

 子供達はバヤンの前に殺到して口々に礼を言った。

 

「おお!三郎に四郎に五郎に六郎に七郎に八郎に九郎…… あれ?分からなくなったわい!ハッハッハ!みんな沢山食べて早う大きゅうなれよ!」

 

 何がハッハッハっだ。

 全く笑えなかった。

 おじじ様のバヤンですら、誰が誰で誰なのか?分からないくらいの沢山の子供達がいた。


「 母上!今度は妹が生まれるんですよね?」

 

 一郎君が母のふくらんだお腹を擦りながら言った。


「さあ、どひらかひらね(どちらかしらね)?」


 母親はモグモグひとりだけおにぎりを頬張っていた。

 

「わー!母様だけズルい!」

 

「えーん!かかさま!おっぱい!おっぱい!」

 

 タイミング良く声を揃えて泣き出す四ツ子の姫達。


「父上~抱っこ~!」


「父様!おにぎり作って!!」

 


 また何処からか一人現れた子供を見て、誰だっけ?と悩む父親トクトア。


「ああ。ちょっと待ちなさい! ……シュエホア……なんでこんなに子供が?」

 

「まあ、あなたが欲しがるから……」

 

 シュエホアは頬を赤らめ、俯いた。

 今さらなんで恥ずかしがる。

 

「わーい!ととさま!」

 

「父上~!!遊ぼうよ~!!」

 

 子供達は一斉に彼の元に集まって足元から這い上がってきた。

 とうとう、彼はその重さに耐えきれなくなってその場にしゃがみ込むが、子供達の方はそんなのおかまいなしに覆い被さった。

 重くて息苦しい。

 気のせいか、さっきより子供の数が増えている。

 

「や、や……め……なさい。これ……七郎…やめ……」

 

 そこでやっと目が覚めた。

 息苦しいのは胸に乗せていた掛け布が顔に被さっていたからだ。

 なんだ夢であったか、と彼は胸を撫で下ろした。

 

「悪夢だ。まさか、正夢になるのではなかろうな……あいつはまだ子供だ。そう、子供なんだからな……」

 

 トクトアは寝汗を拭い、独り呟いた。



※王昭君(紀元前1世紀ごろ)は、匈奴に嫁いだ悲劇の女性とされた。楊貴妃・西施・貂蝉と並ぶ古代中国四大美人の一人に数えられる。

伝説によれば望郷の念からか、その墓に青い草が生えたのだという。

だが真実の彼女は、良妻賢母であったと思われる。しなやかに自分の運命を切り開いた強い女性であったにちがいない。

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