第55話 武術修行 高麗の悪徳王子を成敗後編
「おい!大丈夫か!?」
二号は赤毛の少女を無視して、一号に駆け寄って懸命に話し掛けたが反応はない。
美少女の輝くような白い肌に気を取られて、背後にいたシュエホアに全く気付かなかったらしい。
二号は涙を流しながら言った。
「おい!仲間になんて酷いことを!」
シュエホアは冷ややかに答えた。
「なんて
棒切れをぎゅっと強く握りしめる。
これで真正面から行くしかなくなった。
(最高だわ。嬉しくて泣きそう……
仕方がないわ。まずは、あの腰巾着を脅すか……で、次はあの武官)
覚悟を決め、すぐ側に突っ立っている腰巾着に向かって棒切れを突き付けた。
思った通り腰巾着は驚いた拍子に持っていた刀剣を落とし、ヒ~と情けない声を上げながら
しめた、とシュエホアはすかさず剣を拾い、その中から一番立派な鞘の方を帯に差し、後の二本は両手に持った。
「こいつ、返せ!」
二号は取り返そうと走ってきたが間に合わず、刀剣はシュエホアによって屋根の上に放り投げられた。
シュエホアは手を払った。
「キャハっ!やーい!」
子供じみた笑い声を上げながら喜ぶ相手に二号は腹を立てたが、傍で他人事みたいに笑いながら見物している王子にも苛立ちを覚えた。
シュエホアは目を細め、そっと柄に手を掛ける。
「お前!ふざけんな!!」
怒った二号が間合いに入って来るや否やシュエホアは静かに剣を抜くと、二号の鼻先で横一閃に刃を滑らせた。
驚いた二号が自分の鼻に手をやっているその隙にスーと歩を進めた。
無駄のない動き、優美な身のこなしに、悪徳王子も思わず目を見張った。
(い、いつの間に……)
音もなく横に立たれている。
自分の首に剣を
(……こんな女が?嘘だろ!?)
怒りの余り冷静さを失った二号は、相手の無邪気な笑顔の奥に隠された企みに気付かなかったようだ。
「お生憎様~、女だと思ってナメるから悪いのよ。さあ、このまま剣を動かせばどうなると思う?死にたくなかったら言うことを聞くのよ」
「くっ……」
「私は本気よ」
二号は素直に頷く。
首かに当てられた刀身を通して、小刻みに身体が震えているのことが柄にまで伝わってきた。
相手は死の恐怖を感じている。
いい気味だと思った。
シュエホアは二号の首から刃を離し、切っ先を目の前に散らつかせながら、まるで犬と遊ぶかの様に命じた。
「ほら!取って来~い!!」
屋根に向けて、顎をしゃくった。
二号は悪態をつきながら腰巾着に、屋根に上がる為の踏み台代わりになるよう命じた。
「おい!しゃがめ!早くっ!」
「え~!?オイラがなんで?ぶつぶつ……」
腰巾着は嫌々ながらも、二号の為に踏み台代わりになってやった。
シュエホアはニンマリと笑いながら眺めていたが、慌てて後ろに飛び退いた。
いつの間にか王子が側に来ていた。
美少女は解放され、若者の元へ駆けて行くのを見てホッとしたが、今度はこの王子をどうにかしなければならない。
王子の余裕綽々な態度が気になるが、切っ先は王子に向けたままにし、ゆっくりと後退りしながら後方を気にかけた。
「動けるのなら、早く逃げて下さい。私が出て来た意味がなくなります」
「痛っ ……でもお嬢さんが」
「……おひとりで?」
「まさか。お二人が逃げるまでは頑張ります。私は大丈夫、お二人には勇気を貰いましたから。さあ早くっ、どうかお幸せに!」
二人は、感謝に咽び泣きながら礼を言って去って行った。
シュエホアは、にわかに独りぼっちになって心細く思ったが、行きがかり上とはいえ、こんな人道に反する卑劣漢をこのまま野放しにするなんてどうしても出来なかった。
なけなしの良心を守る為か、と呟く。
一号は気絶。
二号と腰巾着は「おいあっちだ」「やれこっちだ」と、屋根から屋根に移動している。
シュエホアは王子から目線を外さない様に、注意を払いながらゆっくり円を描くかのように動いたが、王子の足の運びを見てあることに気付いた。
(この男、体術の心得がある?しかも強い。私では勝てないだろな……)
バヤンとトクトアの共通の教えを思い出した。
――いいか、絶対に相手に有利だと思わせるなよ。狼と熊の前では走らない!ってのと同じだ。涙なんか見せてみろ、残忍な奴はより残忍になる。ハッタリをかましてでも自分を対等な位置へ持って行け!
(こちらが恐れているのを悟られたら終わり……)
「お前は色目人か?」
色目人は元の宮廷では主に財政を担当していた。
カーストは第二位。
流石の悪態王子も大ハーンのお膝元の大都で色目人と
「素直に謝るのなら、此度は不問と致そう」
「私に謝れと?」
シュエホアは剣を鞘に収めた。
「ふふ。利口な娘だ」
王子は無用心にもシュエホアに向かって手を伸ばした。
途端に「カジ!!」と、王子は手を噛み付かれてしまう。
「痛――!なんちゅう鼻っ柱の強い娘だ!」
「ふん、必殺〈胡桃割り人形〉よ!
誰が謝るもんですか!私に非はないわ!」
歯を剥いてシャーと唸った。
「なんと仔虎みたいな娘だ!」
どちらかと言えばそっちの表現が合っているかも。
でも、心なしか王子は嬉しそうな顔をしていた。
そこへ剣を回収し終えた二号と腰巾着が「殺してやる」と息巻いて戻って来た。
(ヤバい!!)
とんずらを決め、持っていた剣を王子の顔に向かって投げつけようとしたが、慌てていたのも手伝って大きく手元が狂ってしまい、腰巾着の顔面に向かって放り投げてしまった。
剣が当たった腰巾着はまるで蛙が鳴いたみたいに、ゲエ~と叫び声を上げて後ろにのけ反り、そのまま真後ろにいた二号諸ともバランスを崩し、文字通り一緒に仲良く共倒れになった。
でもこれはチャンス。
逃げ出そうとするが、突然、王子が目の前にしゃがんだのが気になって、つい見てしまったのがまずかった。
「あっ!!」
急に目の前の風景が逆さになった、と思ったらそのまま王子の肩に担がれてしまった。
盗賊が村娘を略奪する図と同じだ。
「本日の獲物が捕れたぞ。おい!馬を引いて来い!」
取り巻き二人は王子の趣味が理解出来なかったが、こちらが反対したところで気持ちが変わる筈もなかったので、仕方なく協力することにした。
王子はシュエホアの尻を叩いて撫で回した。
「こら~!放せっ!このセクハラ悪徳王子!」
ぎゃーぴーぎゃーぴー喚いたが悪徳王子は無視した。だって悪徳王子だから。
「こんの~きょうび若い人でも
シュエホアは、王子の三つ編みを引っ張ってやろうと腕を伸ばすが、髪は前側に垂らされていて届かなかった。
お次は背中を思いっきり引っ掻いてみたものの、布地がツルツルしていて何の効果も期待出来なかった。
二号と腰巾着は「いい気味だ」とうっかりシュエホアの方へ手を伸ばした。
途端にシュエホアは歯を剥いてシャーと威嚇。引っ掻く仕草をした。
「噛み付いて引き裂くわよ!!」
二人は叫び声を上げ、慌てて離れた。
「うわー!
「うへー、オイラも反対だ!山猿どころか仔虎ですぜ!絶対よしたほうがいい、寝首を掻かれるのがオチだ!」
「つべこべ言わず早くしろ!離宮に連れて行き、俺の世話をさせるんだ。贅沢を覚えさせればその内、仔猫みたいに大人しくなるだろう」
二人は、珍獣に魅せられてしまった王子の説得は無駄だと悟った。
「楽しみだな!その高麗豆腐みたいな美しい白肌に抱かれるのはどんなだろう……」
悪徳王子は変な想像をしてうっとりし、シュエホアの方は全身が
「よしてちょうだい!そうね、あなたが死ぬ日にそうしてあげる!ついでにお墓の前で万歳三唱してあげるわ!!」
これはシュエホア流の皮肉のつもりだったが、王子は
もうテンションアゲアゲだった。
「気に入った!俺はそういう面白くて強情な女が好きなんだ。俺の
と、また尻をポンポン叩き撫で回した。
シュエホアはキーキー叫んだ。
「きゃー!誰か助けて!痴漢よ!!」
何のことはない。
美少女を助ける為に奮闘したが、逆に自分が身代わりになっただけだった。
ここで不思議な出来事が起こった。
少し離れて後ろから付いていた二号と腰巾着が、前のめりの状態でシュエホアの目の前まで突っ込んで来た。
二人の後ろから長い棒がコロコロ……と転がる。
目の前に、棒を持った
「ああ~すまんのう!武術の鍛錬をしておったら棒が当たったんかのう…… 膝カックンさせてしもうたみたいじゃ!こうも狭い所では、どうしても勢いが強くなって…… もっとも、お前さん達の日頃の行いが悪いからきっとバチが当たっんじゃろな。悪いことは言わん。その娘御を離した方が良いぞ」
「おじさ…… じゃなかった!お師匠!」
「嬢ちゃんよ、勝算がなければ戦わない、と孫子も言っておったがのう。逃げる機会を不意にするとは…… 大を成すものは逃げにも長けとるものじゃよ。覚えておくが良い」
シュエホアはしゅんとなった。
「面目ありません……」
けれど、尭舜は愛弟子の勇気には正直感心していた。
後は目の前にいる間抜けな悪党達の始末だ。
「ふん、お前さん達みたいなのは棒で充分じゃ。さあ、ワシが代わりに懲らしめてやろう」
立ち上がった二号と腰巾着は
「このやろ~!」
尭舜は直ぐ様、棒を地面に打ち付け、横向きに持ち替えるとそのまま両腕を前に伸ばした。
見事タイミングが合い、二人はコントみたいにはね飛ばされた。
「ふふ、ここは通行止めじゃ」
尭舜はひっくり返った亀みたいな二人を見て笑った。
王子はシュエホアを肩から降ろすとギュッと抱きしめた。
王子は衣服に香を焚き染めていたが、残念ながらシュエホアの嫌いな匂いだ。
これなら最近し始めたバヤンのオッサン臭のほうがまだいいと思った。
「待っておれよ。直ぐに片付けて連れ帰ってやるからな!」
当然、力を込めて「嫌です!!」と断るが、王子はそれを聞き流し、剣を抜いて尭舜に切りかかった。
尭舜は棒にしなりを生じさせ、螺旋に動かし、難なく王子の剣を弾き返す。
王子は跳び蹴りを食らわせようとするが、尭舜は大波をいち早く察知して避けるシオマネキの如く、カサカサっと高速横歩きでかわした。
おちょくっているのだ。
怒った王子は、回転して華麗に袈裟懸けを決めるが、棒先を少し切っただけ。
王子がかなりの剣の遣い手なのはわかる。
がしかし――次第に息が上がっていくのが傍で見ていても分かるくらいになった。
何度も、激しく剣で突きを繰り出すが、尭舜はまるで風に圧される旗の如く、後一歩のところで後ろへ退くのでなかなか当たらない。
尭舜はニヤりと笑うと、今度は攻めに転じた。
八字に輪を描く様に棒を動かし攻め込む。
尭舜の攻撃はいよいよ激しさを増す。
跳躍し、蛇か蔓草の如く、剣を巻き込もうと執拗に突きを繰り出した。
王子も負けてたまるか、と必死で剣を絡め取られないように弾き返すが、尭舜は意地悪い笑顔を絶やさず王子を追い込んでいった。
ところが何故か、尭舜は攻撃をやめて背中を向けると棒先で地面を叩いている。
これはまたとない好機。
王子は突っ込んで行くが、もう既に、尭舜は棒をしならせ宙に跳び上がった後だった。
王子は目の前に土付きの棒先が、自分と同じ目の高さに来ているいることに唖然としていた。
尭舜は王子の死角にひらりと着地、棒先を滑らせ、その脇腹をバシッと打ち据えた。
面倒臭がりの尭舜の罠にまんまと引っ掛かったという訳だ。
王子は呻き声を上げ、懸命に踏ん張りを効かせて立っていたが、遂に片膝を突いた。
もしもこれが穂先なら、胴体は寸断されていたことだろう。
王子は額に脂汗を滲ませ悔しそうな表情をしていた。
傍観している三人は、口をあんぐりと開けて見ていた。
「す、凄い…… 流石は槍の達人、尭舜師匠だわ!」
これで悪徳王子も改心してくれたらいいのにね!?
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