第54話 武術修行 高麗の悪徳王子を成敗前編


 大都、北の寂しい区画。

 

 ヒュー…… カラカラ……

 

 通りの少ない道路には、風に吹かれて輪っか状になる性質の謎草なぞくさが、我が物顔で転がりまくっていた。 しかし、世を憂う隠者には住み良いらしい。

 偏屈で人嫌いの尭舜ぎょうしゅんがそうだ。その尭舜に、雪花シュエホアという見かけは少女、中身は三十歳の女性が弟子入りした。


「はあ!!」


 シュエホアは腰を低く落とし、勢いと共に槍を持った両腕を真っ直ぐ前に伸ばした。

 一瞬、柄はしなるが、穂先は下がることなく宙にとどまっている。

 完璧な姿勢と重量のバランス。


「うふふ!出来ちゃったーい!ルルルーン。次は舞花ウーホア!」

 

 穂先を入れたら、2m近くある槍を水平に構え、左手を前、右手を後ろに持って構え、手を持ち替えないで、体の左側で縦に回し、続いて体の右側で縦に回すという動作を繰り返していた。側で見ていると簡単には見えるが実際に挑戦してみると、これがなかなか難しい。

 

 「イメージはメビウスの輪よん♪」

 

超ご機嫌だった。

 

「おお、段々と勘を取り戻したようだな。じゃあ、そろそろ本格的にやっていこう!」

 

尭舜師匠登場。師匠は木製の脚榻きゃたつを用意し、開いた天板の上に瓜を置いた。 

 シュエホアの背丈よりも少し高い位置。

 

「これで何をするんですか?」

 

「一撃必殺技!その名も〈首よ去らば〉じゃ!まず、ワシが手本を見せよう。危ないから離れてなさい!」

 

説明いらずの分かりやすいネーミングだ。

 

 「はい」

 

師匠は腰を落として槍を構え、穂先を伸ばしたり引っ込めたりした後、右側に回したかと思ったら、今度は左側に回すという独自のやり方で集中力を高めていた。

 

「てぁぁ!!」

 

気合いの叫び声を上げ、槍を大きく旋回させた。

 穂先がキラりと煌めいた思った次の瞬間――目にも留まらぬ神速の刃が脚榻きゃたつの上の、瓜を転がすことなく横一閃、綺麗に真っ二つにした。


「ええ!嘘!?」

 

 シュエホアは真っ二つになった瓜を持ち、試しに合わせてみた。

 

「す…… 凄い!ピタッとくっ付いたわ!」

 

「……これくらい出来んと紅線は認めてくれんよ。敵将の首を一撃ですっ飛ばさなけりゃ意味がないからな。それは無駄に体力を使わない様にするためなんじゃよ。戦場は苛酷じゃよ…… 一瞬の判断を誤ると死ぬこともある。だからこそ攻撃をする時は非情でなけれならない。瞬時に敵の急所を突き葬り去る。ワシはそう教えられた……」


 尭舜師匠の表情は硬く、その声はどこか悲しみに満ちていた。


「所詮、武器は殺人兵器……そして人は権力者に利用される。戦場では人を殺せば罪に問われるどころか称賛される。おかしいじゃろ?同じ殺人なのにな…… この世には、良い殺人と悪い殺人があるんだからな。笑わせる、勝った者が正義だと、な」


ただ黙って師匠の言葉に耳を傾けていた。

 現代では武術はスポーツと同じ。乱世で人を殺すことに使われる。

 今頃になって――また迷いが生じた。

 尭舜が教える槍術は一撃必殺、相手の命を容赦なく奪う。

 

(今は何も考えない。学び続けるしかない……)

 

「人は皆、罪深いのですね」

 

「……そうだな。いや、済まないね。今さらそんなこと言ってもな…… さあ、やってみなさい」

 

「……はい」

 

シュエホアが槍を構えた時だ。

 

「キャー!!誰かー!!」

 

 突然、若い女性の叫び声が聞こえてきた。

 

「ええ!?何!?今までこんな緊迫シーンなかったけど…… と、とにかく!」

 

 槍を放り投げ、迷わず声のする方へシュエホアは駆け出した。

 

「見てきますっ!」

 

「嬢ちゃん、こりゃ!何処へ行くんじゃ!!」

 

 しかし、羚羊かもしかの如く走り出したシュエホアの耳には届いてなかった。

 もしも、聞こえていたら行かなかっただろう。

 尭舜師匠は慌てて後を追いかけたが、途中で思い直して家に戻って行った。

 

 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 


「お、お許し下さい!!堪忍して下さい!!」

 

「許さぬ!我らは怯薛ケシクであるぞ!」

 

年の頃は、十七、八歳くらいの漢人の美少女が辮髪べんぱつの武官姿の男三人に絡まれていた。

 側には刀持ちの役目をさせられている腰巾着こしぎんちゃくみたいな調子の良さそうな男が追従笑ついしょうわらいをして立っている。

 三人の武官は身なりが良く、高貴な出であるのは一目で分かるが、残念なことに、肝心の中身の方は品性下劣極まりない感じだった。

 それが顔にもちゃーんと表れていた。

 

「本来、漢人ふぜいのお前が、一生顔を見ることも出来ぬくらい高貴な身分なんだぞ!情けをかけてやるのだ!ありがたく思え!」

 

「そうとも。漢人は地に額を押し付け挨拶するのが当たり前!しかしお前は幸運だ!高麗の世子せじゃ(王太子のこと)様の御前にいるのだぞ!これ以上の誉れはあるまい!ゆえに、礼を尽くしもてなすのだ!!」

 

 このムカつく奴らの中に端正な顔立ちの若者がいた。

 リーダーに間違いない。

 

「そうだぞ。もてなすのは当然ではないか。この寂しい気持ちが晴れぬのだ。それも理解せぬとは…… ほんに、漢人共はたいらよのう」

 

うるさい。

 あんたは冷奴ひややっこでも食べていろ、と言いたくなるこの男は高麗の王子。

 後の第二十八代高麗王。暴君で知られる忠恵王ちゅうけいおうの若き頃だ。

 王子は高麗の慣例に従い、元に禿魯花トルガク(人質)として送られ元の宮廷で育ち、皇帝直属親衛隊の怯薛ケシクの要員として皇帝に仕えなければならなかった。

 当然服装も辮髪べんぱつ胡服こふくで過ごす。

 

皆様、御承知のことと思うが、ここでちょっと歴史のおさらいを。

 

 これより百余年前、派遣された元の使臣が高麗領内で殺害される事件が起こり、国交は断絶。

 当時は崔忠献さいちゅうけん(崔氏とも)が武人中心よる政権で高麗を牛耳っていた。

 それから数年後、使者の殺害を詰問し降伏と臣従を促す国書が元側から来たが、崔忠献は無視し徹底抗戦の意思を示した。

 怒った元側は高麗を攻めて国土を蹂躙し崔忠献の政権を潰した。

 元は北部の和州以北を占領して東寧府とうねいふを設置。

 これは元が平壌に設置した植民地であり、城総管府じょうそうかんふ(監視と支配が役目)と共に高麗に対する支配の拠点とする為だった。

ところが三別抄さんべつしょうと呼ばれる高麗の選抜部隊が対抗するが、これも鎮圧されて高麗は元の完全な支配下に置かれてしまう。

 これ以降、高麗は元の従属国であり臣下である事を示さなければならず、皇帝と皇太子の尊号も使用してはならないとされた。

 また、法外な貢物も献上しなければならないので幾重にも辛い思いをしていた。

 普通なら、支配を受ける側の辛さを経験しているので共に分かち合い思いやりの心を示しそうなものだが、この王子に限って、そんな気持ちは露ほども持っていないらしく、他の傲慢なモンゴル人貴族と同じく、漢人に辛く当たり憂さ晴らしをしていた。

 

「漢人の女は、みんな淫売だと聞いておる。お前がその身で慰めてくれれば対価を支払おうぞ。ただし、それに見合うだけのな…… この女をそこな倉庫に連れて行くのじゃ!」

 

「お許し下さい!誰か助けて!!」

 

 美少女はならず者達に引き立てられて行く。

 シュエホアは民家の柱の陰にこっそり隠れて様子を伺っていた。

 

「ヤバい。これはなんとかしなきゃ。お巡りさんを呼ぼうにも時間が掛かるし。 どうしよう…… 考えなきゃ、こんな時トクトア様がいたら……」

 

 頭を抱えていると、頭に〈孫子兵法〉が思い浮かんだ。

 トクトアとバヤンが愛読していた本。

 

『戦いはもって勝つ』


 正面から攻撃するのが " 正攻方 " なら側面攻撃は "奇襲" だ。

 

「……奇襲しかない。よし、まずは……敵の守らざる所を突く。さあ疾風の如く進撃よ。でも……そろりそろり……」

 

シュエホアは、民家の軒下のざるにあった硬い木の実をポケットに忍ばせると足下に落ちている棒切れを拾った。

 

(背後は隙だらけ。人数は四人だけど、こちとら逃げ足が速いんだからね…… じゃあ、あの弱そうな腰巾着を狙って奴から剣を奪い、そのガラクタを屋根に放り投げたら時間を稼げるわね。下手に剣なんか使って、取り上げられちゃあかなわないもんね)

 

シュエホアは意地悪い笑みを浮かべながら、背中を見せているマヌケな奴らの頭に棒切れを食らわせてやる為、気配を消して忍び足で進んだ。 

" 達磨だるまさんが転んだ "をやっている気分だ。

 

(美少女か…… 羨ましいけど、乱世の時代では危険な目に合うのか。って、みんな美少女に集中してるから、全然こちらに気付かないみたいね。本当コイツら馬鹿よ。おかげで助かったわ!さあ、覚悟なさい!)

 

悪怯薛一号わるケシクいちごう南京錠なんきんじょうをガチャガチャ動かしていた。


世子アニキ。この倉庫開きませんよ。ほら」

 

悪徳王子はみんなからとそう呼ばれているらしい。

 

「ちっ、別の場所に連れて行け!」

 

「はい。女、行くぞ!」


悪怯薛二号わるケシクにごうは美少女を無理矢理拉致る係。

 

「は、離してっ!!」

 

まずいことに、全員こちらに振り返ったが、シュエホアの反応の方が早かった。

 棒切れを振り上げたままの状態で、無理やり180度にターンを決めると、にわかにガクガク歩行で " 通りすがりのお婆さん "を装いながら近くの柱の陰に急いで隠れた。


「ちっ、なんでぇ!婆さんかよ!」

 

「うろちょろするな!生意気にも髪を赤く染めやがって!色ボケ老婆め!!」

 

「本当ですぜ、引っ込んでろ!色ボケクソババア!!」

 

 取り巻き達の言葉遣いが酷過ぎ、こちらを口汚く罵った。

 腰巾着まで調子こいて、色ボケにクソババアでセットにするとは。

今日は地味な色合いの服装で来ているが、何もそこまで言わなくても良いと思う。

 シュエホアの怒りのパラメーターが一気に上昇した。

 

「クソガキが…… 泣かすぞ。よし、再び後ろから襲撃開始よ。もうじき金さんと銀さんが迎えに来る。あれ!?師匠は? やっぱり…… やめよう。命あっての物種だし……」

 

 シュエホアが戦線離脱しようとしたその時、何処から現れたのか美少女の恋人とおぼしき若者が通りに立ちはだかった。

 

「お待ち下さい!!彼女は私の許嫁いいなずけなのです!」

 

 うっかり賞賛の声を上げそうになった。

 

(なんという勇気だろう!愛の力は偉大だわ!)

 

しかし若者は武器となるような物は一切持っていなかった。

 話して納得するような相手と本気で思ってるのか?この辺りはやっぱりアホとしか言いようがない、と正直思った。

 やっぱりだった。

 案の定――無礼者よ、と容赦ない暴力を受けた。

 娘の泣き声と若者の呻き声が辺りに響いたが、報復が怖いのか誰も助けに来なかった。

 

「そうだ!こやつの目の前で、この女を辱しめてやろうではないか」

 

悪徳王子の提案に賛成する悪怯薛わるケシク一号と二号。


「世子!それは良い考えですね!

あいつの泣き叫ぶ顔が見たくなりましたよ!」

 

「これ以上にない憂さ晴らしだ!」


「いや~流石は悪徳王子ですね!お見それしやした!あ、いや、これは……へへへ。すいやせん、つい……」

 

 腰巾着はうっかり余計な口を滑らせて三人に睨まれた。

 

「キャー!!やめてー!!」

 

美少女は悪怯薛二号わるケシクにごうに引き倒された。


「やめろぉぉぉ!!」

 

 若者は王子の足に必死で食らい付くが、たちまち蹴り飛ばされ地面に叩きつけられた。

 その姿を見た美少女は涙を流した。

 若者は痛みに耐えながら起き上がろうと上体を起こし掛けたが、再び長靴で蹴られ地面に転がされた。

 

「フハハハハ!お前ごときにいったい何が出来るのだ?悔しかったら女を救ってみせい!おい!こやつを動けぬ様に半殺しにしろ!」

 

若者は紙の様に殴られ蹴られていても、恋人に向かって手を伸ばしていた。

 袋叩きにされる音。

 若者の呻き声。

 美少女のすすり泣き。

 下卑た笑い声。

 隠れているシュエホアは耐えられなくなって両手で耳をふさいだ。

 悪徳王子は美少女の上に跨がるが、抵抗されて顔を爪で引っ掻かれた為に逆上し、美少女の頬をパーンと張った。

 少女は堪らず悲鳴を上げた。

 

「王となる者の龍顔に傷を付けるとは!!よーく見ておれ!!この女が泣き叫び喜ぶ姿をな!!」

 

悪徳王子は若者に見せつけるように美少女の衿を乱暴に左右に押し開いた。

 白い肌が晒され、美少女の絶叫が辺りに響いた。


「やめてぇぇぇ――っ!!」

 

「ほぇ!?」

 

 美少女の叫びとは別に、ポコっと木魚を叩く様な珍妙な音が聞こえたと思ったら、悪怯薛一号わるケシクいちごうがマヌケな声を上げ、その場にバッタリ倒れると、その後ろに猫みたいに目をつり上げた赤毛の少女が立っていた。

 赤毛少女は目に涙を溜め、かなり怒っている様子だ。


「止めなさい!この悪党共!いい加減ムカついて反吐が出そうだわ!!」

 

(しまった~殴る順番間違った~!どうしよう!?私って本当に馬鹿ダ~!!後先考えず出て来ちゃった!え~ん!!)


と、本心はこんな感じ。

 しかし心とは逆に、腰を少し捻り顎を少し上げ、目線は鼻先から下を見る様に意識し、出来るだけ傲慢そうに見せる為、ピシッと人差し指と親指を悪徳王子に向けた。

 

(わーん!やっちゃったよ~もう知らない!!)

 

 雪花シュエホア大丈夫?

 

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