第51話 誠の臣下


倒剌ダウラトシャー丞相は、トクトアを政務室に呼び出した。女官のひとりが二人に茶を入れると、静かに黙礼して退室した。

 

「トクトアよ、わざわざこの上都にハレムを造りに来た訳でもあるまい……そろそろ本当の目的を話したらどうだ!?やはり、玉璽ぎょくじが目的か?其の方のことだ。大方、上都の情勢を調べに来たのであろう?そうでなければ、こんな敵陣までのこのこやって来る様な馬鹿な真似はしない筈だ。皇太子殿下に拝謁がしたかったからと申したな。その様な嘘を、ワシが本気で信じると思うか?伊達に歳は食うておらんぞ」

 

ダウラト・シャーは正面からトクトアを睨み付けた。

 しかし、トクトアは平然と答えた。

 

「……確かに。丞相がそうお思いになるのは至極当然のことです。単身、敵陣に乗り込んで来る様な者は、まず間者とみて間違いないでしょう。私が丞相と同じお立場なら、その間者を必ず牢に放り込みます。疑わしい者は、とりあえず牢屋が無難でしょう」

  

「ほう、あっさり認めるか?それとも何か?自分は違うとでも申すのか!?この逆賊めが!」

 

トクトアは唇の両端を僅かに動かし、笑っていた。

 アルカイック・スマイル。

 流石の丞相もこれには魅せられた。トクトアは穏やかに、朗々ろうろうした声で答えた。

 

「丞相、私はそこまで不忠者と思われていたとは…… いやはや、悲しくなりますな。仮にもし、私が玉璽を奪いに来たのであれば、わざわざこの様な回りくどいことをせずとも、さっさと皇太子殿下の御首に刃を当て申し、あなたを脅かして玉璽を出させ、あとは皇太子殿下にご同行を願い安全な所まで逃げ切ることくらい、私には造作もないことです。私は失敗は致しませんから…… されど、私は皇太子殿下の臣下です。確かに、この身は大都にございましたが、いまだ籍は、ここ上都にもございます。臣下が、敬愛する主君に拝謁し、御身に寄り添うは当然の責務でありましょう。私は亡きイェスン・テムル陛下より、皇太子殿下の怯薛ケシクに任じられ、虎府とらふも拝領致しました。これは、私が皇太子殿下の忠実なる臣下と、陛下がお認めになられた何よりの証。いったい何を根拠に、その様に仰せになるのか、その真意は測りかねますな」


「フン!つまり、其の方は皇太子殿下の誠の臣下と?」

 

「……それは私の方から、わざわざ申し上げずとも、既に、あなたの方がご理解されていることと思っておりますが…… あなたが皇太子殿下に対して、私以上に強い忠誠心をお持ちでいらっしゃることはよく存じ上げております」

 

(……こ奴、人を煙りに巻くエルのジジイと同じだ。エルの奴も、ああ言えばこう言うって奴だからな。だが、エルとは似て非なる者には違いない。されど虎府などと…… ハッタリか?)

 

丞相はトクトアから視線を外さなかったが、ふと、外から何やら物音が聞こえたので気になった。

 宦官達が各々、ほうき塵取ちりと雑巾ぞうきんを手に持ち、きざはしの付近を掃除しているのが見えた。

 

 (こ奴らは……宦官ではない。遼王、斉王、梁王、螢王、諸侯の家人達が宦官に化けているのだ。こ奴ら間者の真似事もするのか……そんなに牢に入りたいか!)


宦官達の側を、テムル・ブカがのんびり歩いて通り過ぎるのが見えた。

 

(……鎮南王)

 

その時、テムル・ブカはこちらを見てニヤリと笑った。

 

(……なるほどな。諸侯達からも疑われているから、わざと聞こえる様に言ったという訳か!)

 

「……おい、宦官達よ!わざとらしく掃除などせんでも良い!さあ、今すぐにでもお前達の主人の所へ帰って、たった今見た事、聞いた事を報告するが良い!」

 

 丞相は獲物を狙う鷹の如く鋭い目をし、今にも飛び掛かりそうだった。

 偽宦官達は互いに顔を見合わせてびっくりしていた。おそらく、ええ!あんたも!?って感じだったのだろう。その場から慌てて逃げ去った。 


「……壁に耳あり、障子に目あり。気を付けねばの」

 

丞相は苦々しい思いでトクトアを見ていた。

 

 「そのようですね……」

 

 相手は至って冷静だ。

 

(こいつ……侮れん。だが実際、虎府はどうなんだ!?いくら、イェスン陛下がトクトアを認めたと言えども、直接兵を動かすことが出来る権限を持つ虎府を与えるとは考えられん。いや…… 一度は授かったと考えて間違いない。結局、言い切った者が勝ちだ)


 丞相は肘置きを叩いて笑い出した。


「フ……フフフ、全く、お前の口には負けるわ!ところで、お前から見た上都は、大都のエルに勝てると思うか?」

 

「私の様な、経験の浅い者には分かりません……」

 

「よくもそんな嘘がつけるものだな。お前はかなりの利口者だ。分からぬ筈はあるまい!それとも本当に牢に入ってから考えてみるか?」 

 

「……まだお疑いですか?私が申さずとも、戦いの勝敗はどちらに傾くか結果は既に明白。僭越ながら申し上げますと、上都は山に囲まれてはおりますが、長い籠城には向いておりません。海から離れている上に港もないので、物資の供給は難しいのが原因です。絹の道に頼っておりますが、長い時間と労力が要るので、いざ戦となれば必要な物資が届くのに時間がかかり過ぎてしまいます。能書きや気合いで勝てれば誰も苦労はしません。ここに有るのは、無駄に鍛えた筋肉の兵士達と、安い正義感を振りかざした誇り高いが時勢も読めない諸侯達だけです。と、申し上げましたが、これは私の持論ではございません。誤解なきよう……」

 

(こ奴め、持論ではないとぬかしておるが、絶対お前の考えだな。涼しい面をしおって。なんと憎たらしいガキなのだ!されど、悔しいが全くその通りだ……)

 

「トクトア、どうであろう?このまま上都におるつもりはないか?皇太子殿下をお支えし、ワシの右腕となってくれたら、世界中から美女達を呼んでやろう!極上の美酒と立派な宮殿に住み、この世の春を謳歌すれば良い!栄華を極めるのだ!!素晴らしいぞ!!」

 

「フフフ……美女も酒ももう飽きました。働けば金が手に入り、出世をすれば家と衣服と馬を良い物に変えていけます。されど、それが真の幸せとは限りません。私が望むことは……さあ、自分でもよく分かりません……」

 

(……気味の悪い奴だ。何を考えておるのか腹の内が読めん。しかも、この世の全てを悟り切った様な顔付きが気に食わん。だがこいつは、ほんに胆が据わっておるわい。そうだ!互いの本心を知るには、やはりアレしかあるまい。こいつの腕前を確かめるのも面白かろう。死ねば……それはそれで良い。言い訳などなんとでもなろう)

  

「どうじゃ?トクトア。ワシと一度、剣の手合わせをしてみんか!? ただし!真剣で勝負じゃぞ!男の価値は真の勇気で試される。言っとくが、死ぬかも知れんからその覚悟はしておけよ!さあどうする!?」

 

「はい。私も以前から、丞相に手合わせを願いたいと思っておりましたので、光栄に存じます」

 

「フフ。よくぞ申した!では、ついて来い!!」 

 

ダウラト・シャー丞相は壁に掛けている愛用の三日月刀(シャムシール)と、銀色に輝く見事な盾を持って中庭へ誘った。トクトアは鞘に銀色の金具で飾った愛刀を持って現れた。

 

「さあ、始めるか!お前は盾は使わんのか?使用しても構わぬぞ!おい!誰ぞおらぬか!?トクトアに盾を出してやってくれ!」

 

その言葉を聞きつけた部下のひとりは、慌てて武器庫へ取りに行こうとしていたが、トクトアは、自分には必要ない、と言った。 

 

「何だと?真剣勝負だぞ!?……まあ、使わないと言うのなら仕方がない。後悔するなよ !さあ、剣を抜け!!」

 

トクトアは目線まで持ち上げた鞘から、静かに刀身を抜いた。それは弯刀わんとうと呼ばれ、ユーラシア全土を恐怖の谷に突き落とした勇猛なるモンゴル族の刀剣だった。

 

「後悔などと……それは私に剣を抜かせた者だけです……」

  

台詞と剣を抜く姿は格好良かったが、これで即死した場合、めちゃくちゃ格好悪いと思う。他の方は決して真似をしないように、って言いたい。

 

「ほお、このワシに向かって……

 よくぞ申したぁぁぁ!!」

 

いきなり丞相が先制攻撃を仕掛けてきた。陽射しを受けて輝く白刃が、容赦なくトクトアに向かって振り下ろされたが、ぎりぎりのところを横に避けて丞相の剣から逃れた。


「ほう!ワシの剣から逃れられるとはの!ワシはジジイじゃが、まだまだ若い者には負けんぞ!!」

 

 丞相は鬼の様に恐ろしい形相をしながら今度はトクトアの首を狙って、横一文字に剣を走らす様に動かすが、またしても、トクトアはぎりぎりのところで素早く動き、上体を華麗に反らして剣を避けた。

 宙を見つめるトクトアの目には、三日月の如く美しくカーブを描く切っ先が、光の矢の如く通り過ぎていくのが見えた。

 

(トクトア!ええ?嘘!?こいつ身体柔らか……羨ましい!)

 

丞相が驚いた僅かな隙を見逃さず、直ぐ様身体を反転させ態勢を整えた。 

 

「では、今度はこちらから……」

 

トクトアは軽ろやかに跳躍した。

栗色の髪が宙を舞い、上から剣を振り下ろされる。

 

「何を小癪な!!」

 

丞相は盾で受け止め、素早く身体をひねって攻撃を受け流すが、トクトアは執拗に襲いかかった。

 丞相も老練な剣技で難なくかわす。

カァァ――ン

辺りに金属音が鳴り響いた。 

互いの刀剣が激しくぶつかったせいで、剣が泣いているかに思われた。

 

「……良い音ではないか!!」

 

「よく、打てば響く…… なんて聞きますが、この様な音がするのでしょうね」

 

(流石はダウラト・シャー丞相…… かなりの剣の使い手だ!油断をすると死ぬな……)

 

トクトアは余裕の笑顔を見せ、丞相も負けじと満面の笑顔を見せた。


「……皇太子殿下は正統な君主であらせられる!お前もそう思っている筈ではないのか!?不忠者はエルの方ぞ。親政を行うのは君主のみ!欲にまみれた奸臣などではない!!誠を尽くす忠臣とは、天が定めし君主を支えること!!」

 

丞相は盾を構え、剣を風車みたいにぐるぐると器用に回しながらトクトアに訴え掛け、相手の心に揺さぶりを掛けてから猛犬の如く突進。

 トクトアは滑る様に、横へ避けて遣り過ごしたが、相手は逃がすつもりも手加減するつもりもないらしい。

 

 「くっ………」


 いつの間にやら互いの服は裂け、切り傷をこさえている。

 

 「フフ……やるな……」

 

丞相は不敵な笑みを浮かべて一気に間合いに入る。

 荒々しい剣は再びトクトアの真上から振り下ろされるが、その剣圧の全てを己が弯刀と、咄嗟に帯から引き抜いた硬質の鞘で交差して受け止めた。

 丞相の剣は見事、弯刀と頑丈な鯉口部分によって抑えられた。

 しかし油断は禁物。

 丞相の銀色の盾が後方へ引いていくのが見えた。

  これからトクトアの顔に、強烈な一発をお見舞いするつもりらしい。

 丞相の腰も同時に捻るその隙を狙い、トクトアは挟み込んでいた丞相の剣を撥ね除け、素早く脇へ逸れた。

 先程の衝撃の為か、丞相は剣を持つ手が痺れて顔を歪めていた。

トクトアも利き手が痺れている。


(ヤバいな…… 伯父上以上の剛力がいるとは……)


「……確かに皇太子殿下こそが、真の天子となられるにふさわしいお方です!丞相、少しは手加減して下さらないと!本気で私を殺すおつもりですか?」

 

 死と隣り合わせの状況だというのに、緊張から興奮状態に変わりつつあった。

 

(私にも獰猛なメルキトの血が流れている……)

 

トクトアは再び攻めに転じた。

紫電一閃。

丞相の脇腹に狙いを定めて突くが、相手に寸の差で身をかわされた。


「お前も恐ろしい奴だ。本気でワシを殺そうとしたな!っていうか、殿下のことを思うのならば……おい!」

 

丞相が言い終わる前にトクトアは足を前に踏み出していた。

 同時に丞相は直ぐ様膝を曲げ、頭を下げなければならなかった。

 今しがた自分の頭があった所に、弯刀が恐るべき速さで滑る様にして移動していくのが見えた気がした。

  

「おお!?トクトア、危ないぞ!!首が胴から離れるではないか!!」

 

 いやいや、最初にやろう、って言い出したのは誰よ、って言いたい。

  

「それまで。二人共、止めよ!」

 

可愛らしい声だが、その声には人を御する力があった。

天命を受け、地上を治める君主の徳。

 

「はっ!皇太子殿下!」

「はっ!皇太子殿下!」

 

二人はほぼ同時にものを言い、素早く皇太子の面前へ移動して跪いた。

 

「二人共、喧嘩は駄目だよ!」

 

「はっ!恐れながら申し上げます。これは訓練のようなものでして……なあ?トクトア」

 

「……はい。丞相の申される通りにございます。皇太子殿下、お騒がせ致して誠に申し訳ございません」

 

「私もやりたいな。教えておくれ!」

 

「で、殿下……あ、危…… いえ、はい!勿論ですとも!このダウラト・シャーが必殺剣技をご伝授致しましょう!さあ殿下!まずはその前に弓矢の練習から致しましょう!」 

 

「弓矢なら私は得意だよ。馬で駈けながら後ろ向きに矢を放てるんだよ!!丞相も見てたじゃない!」

 

「……そ、そうでしたな!いや、申し訳ございません。確かに殿下の腕前は素晴らしい!!」

 

「本当に!?」

 

「はい!殿下の弓矢の腕前は一流でいらっしゃいます!」

 

「じゃあ、今年の巻き狩りに連れて行ってね!」

 

「……そうですね。でも今年は……天気がいつも悪いらしく、猪も家族揃って何処かに引っ越したと……」

 

「グスン。連れて行ってくれないの?」

 

 皇太子は今にも泣きそうになっている。丞相は慌てまくった。 


「そ、そんなことはございません!殿下!!あ、雨が降りそうですから早く室内に!あーこれ乳母よ、殿下のお衣が濡れて、お風邪を召されでもしたらなんとする!早くお部屋にお連れ申せ!」

 

 蒼天だ。

 

「雨なんか降らないよ!だって青空じゃないか。教えて欲しいよ……」

 

雨模様なのは皇太子の心だろう。

 

「あ、殿下!こ、この盾をお持ちになって下さい!ほら、武術の基本は受け身と防御でございますぞ!なあ?トクトア!」

 

丞相は慌てて自分の持っている盾を皇太子に手渡し、トクトアに同意を求めてきた。

 

 (……やれやれ。仕方がないな)

 

「丞相の申される通りにございます。殿下、武術は攻めるよりも守ることが基本。大きな犠牲を払って勝利することよりも、相手に戦っても無駄と悟らせることを学ぶ。実はこれが一番難しいのです。戦わずして勝つ!これぞ私が理想とする戦い方なのです。さあ、殿下も、硬い鱗を持つセンザンコウの如き、鉄壁の要塞をお目指しになって下さい」

 

一見、良いことを聞いている気がするが、何となく上手く丸め込まれました?感が半端ない。

 

こいつ、生まれつきの詐欺師に違いない、と丞相は思った。

純粋な子供である皇太子はキラキラと目を輝かせて頷いた。

 

「うん!頑張る!!」

 

と、盾を手に元気よく走り去った。その後を追いかける乳母と女官に宦官達。

 

「殿下!後でこのダウがお教えしますぞ~!!」

 

丞相は勝負中は汗一つかいていなかったのに、今は顔から変な汗が吹き出ていた。

 流石の豪傑ダウラト・シャー丞相も、幼い君主には勝てないらしい。


「……丞相、少し殿下を過保護にされているのでは?」


「確かに。されど致し方ない…… 皇太子殿下こそがこの世を照らす光なのだ!ワシは、皇太子殿下が大ハーンに即位され、偉大なる聖君となられる日を心待ちにしておる。その日までワシは死ぬ訳にはいかぬ!!お前の真の目的は……ワシが、皇太子殿下に誠の忠誠を尽くす者かどうか?それを確かめる為に来たのだろう。違うか?」

 

トクトアは微笑んだ。


 

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