第44話 開封奇想曲

 開封かいほうの街は、北宋が治める全盛期の時代のような活気は見られなかった。

 その理由が、大都から杭州までの経路の短縮の為、開封は大運河から外れてしまったことにあるのだろう。

 かつてはここを首都とし、大運河の水運によって米を主とした、大量の穀物が江南から運びこまれ国中のありとあらゆる物資が集まって街を大いに繁栄させていたのである。

 しかし人々は、過去は過去今は今、と笑顔を糧に日々の生活を懸命に生きていた。

 それは、北宋の宮廷画家、張択端ちょうたくたんの傑作、清明上河図巻せいめいじょうがずかんに出てくる人々のような、生き生きと生命力に溢れた幸せな日々を想像させた。


 雪花シュエホアは二人の侍女、海藍ハイラン柳花ユファと街を散策していた。

 途中、蛋餅ダンピン(卵のクレープ)の香ばしい良い匂いが漂ってきた。

 キュルルル……

 ついさっきお昼ご飯を済ませたにも関わらず、もうお腹の虫が鳴いている。

 我慢よ、と各々食い意地のはった愛しの我が腹にそう言い聞かせる。

 段々と遠ざかる蛋餅ダンピンが、匂いという名の別れのハンカチを振っている。

 もうだめだ、と同時に三人頭を抱えた。

 

 「あのう、買っておいて、後で食べるのもありかと思います!」

 

 言うが早いがこちらの返答を待たず、ハイランはひとり駆け出した。

 

 「はやっ!」

 

 ところが待てど暮らせどハイランはなかなか戻って来なかった。


「焼くのに時間がかかっているのかもしれませんね……」


 心配で気を揉んでいると。


「あっ、戻って来たわ!」


 左手に紙袋を持ち、大きく右手を振り振り、こちらに向かって走るハイランの姿が見えた。


「あら本当に。良かったですね!」


「ハイラ~ン、そんなに慌てなくてもいいわよー!!」

 

 がしかし、戻って来たのはハイランだけではなかった。

 その後ろから、揃いの青い官服を着た役人達の姿があった。


「お嬢様…… ハイランさんがお役人に追いかけられてますね」


「うん。……私もそう見えるわ」


 役人達はこちらを見て叫んでいる。


「いたぞ~!あそこだ!」


「は?なんですって!?」


 何か追われる様なことをしただろうか?

 いや、全く身に覚えはない。

 後ろから追いかけられると自然と逃げたくなるのが人情だ。

 それ逃げろー、と二人は駆けた。


「おおっ、ま…待っ……」


 後ろから役人達の叫び声が聞こえて来たが、振り返らずに無視して逃げた。


「いったい何故……」


 何が何だか分からない。


「お、お嬢様!待って!待って下さいよ~!!」


 ハイランの呼び掛けに、一旦立ち止まって後ろを振り返ってみたものの、やっぱり役人達もついて来るのでまた走った。


「お嬢様――っ!」


 その内ハイランは前につんのめり、ズデデーンと派手に転けた。

 それを見たら頭の中で、チャイコフスキーの『弦楽セレナーデ』が鳴った。

 ハイランは転けたまま、すがるように右手を高く上げ、ああ~と悲痛な叫び声を上げていた。

 よく昔のドラマにありがちな、「おっかさ~ん!行かないで~!」みたいな、悲しい別離のシーンが想起されるが、あいにくとそんな感動とはかけ離れた、お笑いシーンだった。


「ぷっ、……さっ、逃~げよっと!」


 シュエホアはケロっとした。


「おーい!見つけたぞー!こっちだ!!」


 あちこち入り組んだ路地から、別の役人が見張っていたらしい。

 こちらを指差して叫んでいるのが見えた。

 その声に反応し、何処からともなく武官達がワラワラと姿を現す。


「 今度は兵士!?」


 まるでこっちが凶悪な犯人か賊みたいではないか。

 皆、戦袍に身を包み、厳めしい顔つきでこちらに向かって真っ直ぐに駆けて来た。


「ユファ、逃げるわよ!!」


 二人は通りの多い大通りを目指してへ走った。

 反対側の路地も多分、兵士達に塞がれているだろう。

 慣れない土地で、何が潜んでいるかも分からない路地に入るのは危険だ。

 それよりも人に紛れる方が得策というもの。


「お、お嬢様…も、もう……走れません!」


 こんな大変な時に、一番若いユファが音を上げるとは。

 ※歳はそんなに変わらないのに。

 仕方なく市場の混雑した場所に紛れることにした。


「コッコッコケー!コッコッコー!

 コッコッコケー!」


 店主が宣伝するよりも、鶏自ら活きの良さ?を証明しているようだ。


「安いよー!甘い瓜はいらんかねー!遠い西からやって来た瓜!お天道様の日差しをいっぱい浴びて育ったからとっても甘くて美味しいよ!」


 「新鮮なお肉だよーい、豚肉はどう?バラ肉を角煮にしたら美味しいよー!」


「飲み物~量り売りだよ~

 今日はさっぱりした梅味だよ~」


 大運河の恩恵がなくとも沢山の市がひしめくように軒を連ねている。

 

「ここなら大丈夫よ。今のうちに何処かに隠れましょう!」


 近くに竹籠を売る店を発見した。


「あの、籠を見せて貰ってもいいですか?」


 店主は昔話に出て来そうな、白く長いお髭のおじいさんだった。


「どうぞどうぞ!見ていっておくれ!」


 竹籠は大小様々な大きさがそろっていた。

 どれも丈夫な作りで、ほんのりと竹の良い匂いがする

 のんきに籠を眺めていたら、焦燥感にかられたユファが叫ぶ。


「お嬢様、早くっ!見つかってしまいます!」


 近くで役人の声がした。


「何処だ!?早く見つけるんだ!」


「きゃっ」


 突然、目の前が暗くなったユファは面食らった。

 いきなり自分の頭に暗くて大きなモノが覆い被さってきたので、取り乱しそうになったがすんでのところで耐えたのは、自分と同じような、籠の縁から顔を覗かせたシュエホアが、シーと人差し指を口元に当てるのを目にしたからである。


「それ被ってて……」


「……は、はい」


 シュエホアが籠を被り直した直後、大勢の足音がザッザと聞こえてきた。

 被った籠の隙間から、役人と兵士と一緒のハイランが、目の前を通り過ぎて行くのが見え。


「はあ?ハイランが何で?まあいいか、元気そうだったし……って、ハイランてば裏切り!?」


(まさか……こっちの勘違い?)


 おじいさんは役人達が通った後を眺め、楽しげにホッホッと笑った。


「お嬢ちゃんみたいな娘っこを追いかけるなんて、けしからん奴らじゃのう」


 かくまってもらったお礼に、とシュエホアは手提げ用の籠を二つ買った。


「どうもありがとう!」


「まいど!また来ておくれ!」


 店を出て、歩きながらしばらくの間考えた。


(やっぱり逃げなくても良かったのでは?)


 ぼーと考えながら歩いていると、ガチッと何かにぶち当たって止まった。


「ご、ごめんなさい!」


 見上げると、見るからにガラの悪そうな男だった。

 男はまっ昼間から酒の臭いプンプンをさせていた。


「お、こりゃあ可愛いこだなぁ!西域から来たのかな?まあ、何処でもいいや!昔、この辺りは賑やかでな、お嬢ちゃんみたいな異国の可愛い女が、春を売ってたんだぜ!なぁ?金払うからいいだろう?一緒にいい思いをしようじゃねぇか!」


(一難去ってまた一難だわ。こういう時に限って護衛を連れて来てないのよね……)


 役人の次は、ガラの悪い酔っぱらい男だ。

 突然、男はシュエホアに抱き付こうとした。


「きゃー!嫌っ!来ないで!!」


 反射的に持っていた籠で頭をぶん殴る。


「お願いよー!!」


 ついでに股間をおもいっきり蹴ってやった。


「う……ひい……い……」


 見事ヒットさせたらしい。

 男は悶絶しながら、その場にうずくまってしまった。

 怖がってたわりにしっかりやるではないか。

 

「さ、さあ!今のうちに逃げるわよ!!」


 シュエホアは、恐怖で動けなくなっているユファの腕を掴んで駆けた。

 まさかバヤンとトクトアに教わった護身術が役に立つとは。


 ―― いいか?無理に戦おうとするな!いざとなったら股間を蹴ってやれ!グシャっと握り潰してもいいぞ!!


 ―― 相手に自分を襲っても無駄と思わせればいいが。ヤバくなったら急所を狙え。


 股間を握り潰せ――正直、これはいただけない。

 股間蹴れ――蹴り損ねたらかえって危険を招くが、上手くヒットさせれば効果はこの通り、絶大である。

 これも普段からの人形相手に蹴りを入れる訓練の賜物だ。


「人形相手に蹴りって、正直シュールって思ったけど、おかげで身体が勝手に動いてくれたわ!ラッキー!」

 

「あっ!見つけたぞ!こっちだ!!」


 何処で見ていたのだろう?役人と兵士が別の所からやって来た。


「嘘でしょ……」


 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*


 今日も自慢の朱塗りの達磨ダルマを、店先に並べているおじさん。


「さあさあ、達磨大師の置物はいかが~!♪達~磨さん、達~磨さん、笑うと負けよ、あっぷ……」


 悲しいことに最後まで歌わせて貰えなかった。

 いきなり娘二人がぶつかって来て、平箱に入っている自慢の達磨の置物を全部地面の上にゴロゴロリンとひっくり返した。

 おじさんは変わった奇声を上げた。

 

 「きょえ―――っ!」

 

 素晴らしいことに達磨達はバランス抜群なのか全て起き上がる。


「あーん、ごめんなさい!!」


「申し訳ございません!」


 三人は慌てて達磨を拾って平箱に収納。

 そこへ兵士と役人の一個連隊が迫った。


「もう来たわ!」


 シュエホアは身を翻して走り出した。

 ところが前をよく確かめてなかったので、今度は天秤棒てんびんぼうを担いでいるワタリガニ売りのおじさんと衝突。

 縄から外れた天秤棒は平箱の達磨を襲い、再び達磨達は地面に転がり落ちる。

 「きょええー!!」と、二度も災難にあった達磨売りのおじさん。

 流石、達磨達は期待を裏切ることなく起き上がっている。

 「うわー!カニが逃げるズラー」と、カニ売りのおじさん。

 この幸運を無駄にすまい、とワタリガニ達は丸笊まるざるからガサガサと脱出を始めた。

 早いことカニの脱走を阻止せねば。

 だが、ハサミが開かないように紐で縛る手間を惜しんだせいか、カニ達は青光した鋭いカニバサミをシャキンシャキンと鳴らし、隙あらば手でも何でもちょんぎってやろう、と待ち構えていた。


「ひぇ~どうしよう!拾いたいけど、おっかなくてんしてー!!」


 おろおろしていると、出し抜けに手が伸ばされ、器用にカニを捕えた。


「仕方がないね。手伝うよ!」


 見るとぽっちゃりした気の良さそうなおばさんだ。

 実はこのおばさんの、が新たな災難を呼んだ。

 おばさんは中腰で身を屈めた拍子に、大きなお尻の圧がすぐ後ろに立つ、カニ売りのおじさんを勢い良く弾き飛ばした。

 そして弾かれた先は、あの達磨売りのおじさんが持っている平箱。

 可哀想に、カニ売りのおじさんは前から箱にのし掛かかるようにして突っ込んだ。

 二度あることは三度ある。

 無情にも、今しがた回収し終えたばかりの達磨達はまたもやひっくり返された。

「きょえええ~!!!」「痛い~ズラ~!」と、半泣きするおじさん二人。

 でも達磨達は起き上がっている。

 しかし、この喜劇のような悲劇の連鎖はまだ続きがあり、往来まで逃げ延びたカニは、荷車を引く臆病な馬を驚かせた。

 前肢を上げた馬が起こした揺れで、手綱を握っていたおじさんは、荷台に積んでいた果実が入った大籠共々後方から転がり落ちた。

 さあ大変、果実はゴロゴロ転がりながら辺りに散らばっていった。


「…………」


 シュエホアは目も当てられない惨事を前にし、その場に呆然と立ち尽くした。


「あー!見つけたー!!」と、兵士と役人達が殺到した。


 もういい加減うんざりしていたところへ、シュエホアの二人の護衛、アルタンとムングが姿を見せた。


「お嬢様、お迎えに参上致しました」


「直ぐにお戻りを」


 二人はシュエホアの前にうやうやしく跪いた。


「金さん!銀さん!」


 そう呼ばれた護衛の二人は互いに顔を見合わせ、交互に思考を展開させていた。


(アルタンの私が金さんかな?と、いうことは……)


(ムングの私は銀さんか?)


(まあ、金角って呼ばれるよかマシかな)


(銀角でなくて良かった……)


 (お嬢様はあだ名をお付けになるのが)


(上手でいらっしゃる?)


 二人のイケメン護衛は納得した様子で、それが証拠に、お互いの顔を見合いながら笑顔で頷いていた。


「あなた方が来るってことは、まさか……」


 逃げなくても良かったようです。

 

 

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