第43話 上都


 

「みんな~!上都シャンドゥが見えてきたよ~」


一番先頭の馬車を操っている一番年下の、年の頃は十三、四くらいの褐色の肌をした少女が指差しながら叫んだ。 その言葉を聞いた、四台の後続馬車の中から、次々と歓声が聞こえた。


「やっと着くな~良かった良かった!」


「あー退屈だったぁ!この辺は草ばっかりだから、見てるとなんだかウトウト眠りそうになるのよ」


「それ私も一緒よ!」


「ねえ?シシケバブやナンを売ってる店はあるかな!?」


「絶対あるよ、串焼きくらい!大都ハンバリクにもあったし、でも食べられるよ!」


「あはは、今のはシャレ?」


西域出身の魅惑の!?美女達が踊る、ナンジャーラカンジャーラ舞踊団だ。只今中国全土を巡業中。


「座長!上都ですよ!上都っ!」


「はいはい、分かってますよー!到着のお祝いに夜はご馳走にしましょう。勿論私がおごりますからね!」


この舞踊団の座長ムハンマド・ナンジャラ・カンジャラ。

性格は陽気で温和で優しいが、最近急激にお腹に脂肪が付いてきたのが悩みだという。


「わーい!やったー!!」


「よ!座長!太っ腹!!」


「誰が太っ腹ですか!まあ、確かに太っ腹には違いないですけどね……お陰様で、またお腹が一段と立派になりましたよ!でもこのお腹には皆さんへの愛は詰まってますよ!」


座長は自慢の?お腹をポンと叩いた。


「ウフフ、座長!大好き!」


「あたいも座長大好き!」


「嬉しいことを言ってくれますね!でも、都へ行く前にこの近くにある村へ行きましょう!きっと娯楽が少ないし、足が不自由なお年寄りもいる筈です!そんな方々の為に、私達旅芸人がいるんです!私達の舞踊団は、創始者スレイマン・コレワ・ナンジャラ・カンジャラの"芸は万人を癒す為"の教えを貫いてきましたからね!」


 座長ひとりが馬に乗っており、みんなが乗る馬車を見守るように進んでいたが、もうひとり馬首を並べて行く、栗色の髪の男に話し掛けた。


「若様、私達はまた後で参ります。宿泊地は乾元寺の近くに宿を取っておりますので、つなぎはそこで……」


「済まぬな、大都の件。約束は決して違わぬから安心せよ。私が頼んだ例の物だが、多少は金子もかかるだろう……それでも構わぬ。必ず揃えてくれ頼む」


「承知しました。お任せ下さい!では、幸運をお祈りしております!」


「ありがとう」


トクトアは自分が来た道を辿るかのように後ろを振り返った。ここへ来るまで、いくつもの山と丘を越え、途中の站赤ジャムチで、あの舞踊団と知り合い、共に旅をしてきた。目の前は、見渡す限り何処までも続く草原地帯。その一帯を風が吹くと、草が白くそよいで波の様に見えた。緑の大海原だ。空はからっと晴れ渡り、白い綿毛のような雲が連なり、それが羊の群れの移動を思わせた。


――バサバサッ、ピイィ―――ィ……


突然、頭上から大きな羽音と共に、大型猛禽類特有の鋭く、高い鳴き声が響く。


「鷹狩か……」


鷹はトクトアの上空を優雅に滑空すると風に乗って遠くへ飛んで行った。

 トクトアはしばらく鷹の飛んで行った方向を眺めていたが、再び正面を向くと、城門に向かって馬を進ませた。


(門衛(門番)は入れてくれるといいが、この格好を見れば、却って怪しむだろうな……)


トクトアは琵琶を適当に弾きながら馬を進ませた。

 そよ風が彼の頬を優しく撫で、髪をひとつにまとめるのに挿したかんざしから垂れる小さな鈴と、一束だけ降ろした髪に巻き付けた長く垂らした紐飾りを揺らした。目尻にも紅花染料で化粧を施し、衿もだらしなく開けて肌を見せた姿に、まるで男娼のようだ、と自嘲した。

 トクトアは化粧命の友人達を思い出した。


(これじゃあ、あいつらを笑う資格なしだな……)


しかし彼を一目見た者は、その怪しい美しさに釘付けになった。

 そして城門に差し掛かかった時、やはり城を守る重要な箇所である、思った通り、門衛に行く手を遮られてしまった。


「待て!何処から来たのだ!?」


ドジョウ髭を生やした漢人だが、門の警備にあたっているので居丈高な物言いだ。

ここはわざとチャラく答えた。


「トクトアでーす!バヤン将軍の甥の!知ってるでしょ!?」


「こやつ、嘘を付くな!彼の御仁は、名門貴族だぞ!かようにイカれた格好で来る訳がなかろう!!」


「はあ!?本人がそう言ってるんですけどねぇ。参ったな~」


(ちっ、面倒臭い奴だな……)


「ほぉ、誰かと思うたらトクトアではないか!」


後ろから丞相ダウラト・シャーと鷹を連れた昔宝赤シバウチ(鷹狩りを職掌する)と家来達が現れた。

 門衛は非常に驚いた顔をし、鯉のように口をパクパク動かしていた。トクトアはそんな門衛を見て、だから言ったのに、と笑った。

 ダウラト・シャーは狩の装束を身に纏っていた。おそらくさっきの鷹は彼が放ったのだろう。


「お久しぶりです。丞相」


「其方、ずいぶん変わったな…… いったい何用で参ったのだ?よもや、エルのジジイに頼まれて玉璽を奪いに来たのか!?」


還暦を過ぎたというのに、ムスリム人ダウラト・シャーは、全く歳を感じさせなかった。

若い頃より、狩りや武術の鍛練で身体を鍛えているせいか、いつまでも筋肉隆々の肉体の持ち主だった。

丞相は鷹のように鋭い眼をこちらに向けてきたが、決してその目に臆してはならない。

 トクトアは平然と答えた。


「まさか!でも、くれるんなら貰いますよ!」


「馬鹿者!誰がやるか!」


「ですよね。私の目的はアリギバ皇太子殿下にお会いしに来たんですけどね」


「は?本当に!?わざわざそれだけの為にここへ来たというのか?」


「そうなんですよ。私は皇太子殿下と約束しましてね、必ずもう一度会いましょうって誓ったんです。男と男の約束ってやつですね。でも、ほんとは怖くって。……怖い、早く帰りたいくらいです。でも誓いは果たさないと。神に誓いましたからね……天罰も怖いし…う……ううう……」


トクトアは琵琶を抱き締めながら涙を流していた。

 さっきまではへらへらチャラチャラとしゃべっていると思ったら、もう次の瞬間から泣き出していた。

ダウラト・シャーは狂人を相手にしているような気がした。


(これが、あの猛将バヤンの甥のトクトアか?なんという体たらくだ……いや、ひょっとしたらうつけの振りをしておるのやも知れぬ。だとしたら油断ならんな)


「まあ、理由は分かったが…… その妙な格好で殿下に拝謁はならんぞ!着替えてからだ!」


トクトアはけろっとして答えた。


「やっぱり無理ですか?」


「当然だ!その髪と化粧もどうにかせぬことには絶対駄目だ!」


「……ハァ。仕方ないですね。着替えます」


トクトアは肩をすくめ、ため息を付いた。


*∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*


上都は、フビライ・ハーンが築いた最初の首都である。

 河北省と内モンゴル自治区にまたがり、渤海へ注ぐ、灤河らんがという大きな河の上流の、金蓮川という河畔に位置した。夏になると、黄色と赤の可愛い金梅草(キンポウゲの仲間)が咲き乱れるという。しかし、周りは全て草原、水路もなく、交通や物資の輸送も大変手間がかかった。それに比べて大都は水運によって、豊富な物資が集う世界有数の大都市に変わる。元朝はなんとか上都の住民を増やそうと、免税などの措置を考えたが、それでも職人や住民達の大都への移住を止められなかったようだ。 今は皇帝の夏の避暑地である。日中は日差しが照りつけても、吹く風は涼しいということだ。

マルコ・ポーロは、″宮殿は大理石、数ある広間や部屋は全て金箔を張り巡らし、鳥獣細工を嵌め込み、色々な花や木を描いて装飾しており、華麗を極め、目をあざむくばかりである″と、東方見聞録に記した。

この記録をよんで感動した西洋の人々は、この都のことを、″歓楽の都ザナドゥ″と呼んで憧れたという。フビライ・ハーンが建てた上都は、理想郷と同じ意味を持っていた。


上都宮城は大安閣を始め、さまざまな御殿が造られているが、その内のひとつ楠木亭で、皇太子は読書を楽しんでいた。後の第七代大ハーン阿里吉八アリギバ(天順帝)は、色の白い、大きな瞳の女の子とみまごう程に美しい皇子だった。 近くには、皇太子が赤子の頃より仕えている宦官と女官が控えており、皇太子の成長を心から喜んでいた。午後からの眩しい日差しは、庭園に生い茂る木々の葉を透し、柔らかい光の帯となって室内を優しく照らし出し、同じく庭園を流れる小川の水音が心地良く聞こえてきた。


「遥か西に住む人々は、ここを楽園と呼んでいるそうだ。しかし、大都も美しい水の都だと聞いている。私は、一度も訪ねたことがないが、いったいどのような所なのだろうか……」


皇太子は庭を眺めながらそう呟いた。そこへ若い宦官が急ぎ足で現れた。


「皇太子殿下、大都よりトクトア様が参られ、殿下にお目通りをと」


「トクトアが!?本当に?」


皇太子は返答もせず、もう走り出していた。


「で、殿下!お待ちください!」


宦官と女官も慌てて後を追いかけた。 皇太子は喜びに目を輝かせて宮殿の長い回廊を走った。


「殿下!!ハア…は、速い…殿下……」


遂に宦官と女官はへたり込んでしまう。

皇太子が勢い良く廊下の角を曲がった時、こちらに向かって歩いて来たトクトアと出会い頭に衝突して尻餅をついてしまった。


「わあっ!」


「皇太子殿下!?」


流石のトクトアもこれには驚き、すぐさま皇太子を助け起こした。


「皇太子殿下!お怪我はございませんか?」


皇太子は顔を横に振り、大丈夫、と答えた。


「トクトア久しぶり!よく来てくれた!私は嬉しいぞ!」


「私も皇太子殿下に再びお目通り叶い、嬉しゅう存じます。お身体も大きくおなりあそばして。もう以前のように、肩車をして差し上げられませぬ」


「そんなに大きくなった?」


「ええ驚きました。たくましくお育ちになられて。将来は立派な君主となられましょう」


皇太子は子供らしい笑みを浮かべて喜んだ。


「皇太子殿下は御年八つ。九月になればこの上都にて戴冠され、大ハーンにおなりあそばします」


皇太子の母で、コンギラト部族出身の母后八不罕バブカンが、別の渡り廊下から多くの侍女達を従え現れた。コンギラト部族は、大ハーンに多くの皇妃ハトゥンを輩出する有力な部族で、あのボルテ皇后の実家だ。


「母后様におかれましては、つつがなきご様子、誠に恐悦至極に存じます」


少々堅苦しい挨拶だが、トクトアの誠実な人柄がバブカンには好ましく思えた。


「トクトア、久方ぶりですね。遥々上都までよう来て下された。この時勢だというのに…… しかし其方、ほんに眉目秀麗な若者ですね。しばらくはここに留まるのでしょう?殿下も私も、其方が来るのを一日千秋の思いで待っていたのですよ」


母后はそっと後ろの侍女達を見た。理由は侍女達の目が、一斉にトクトアの方に注がれているのに気づいたからだ。母后の、いたずらっぽい眼差しに気付いた侍女達は、慌てて目を伏せた。その中の一人、女官長だけは顔色を変えずにいた。年齢は四十の手前だろうか。いや、もう少し若いだろう。いかにも気難しそうな、陰気な感じの女性で、周りの侍女達と比べると華やかさに欠けるし、かなり浮いているように思えた。別に容姿が悪い訳ではないが、女官長とはこうあるべきという感じの地味な色合いの服装のせいか、余計に暗い性格に見えるのが残念に思えた。


「あら、女官長は興味がないのかしら?ほら、トクトアよ!殿下の初めての臣下なの」


「はい。よく存じ上げております。しかしながら、女官長という立場上、そのような浮わついた考えで宮中を取り仕切る訳にも参りませんので……」


と、実に素っ気ない。


「まあ!スレンはなんと堅苦しいのでしょう…… さあトクトア。さぞかし疲れたでしょう。お部屋の用意をさせるから、それまでゆっくりしてね」


「じゃあ、それまで私と一緒に書を読もう!母上、良いでしょう?」


「良いですとも。でも、殿下、トクトアを余り疲れさせないで下さいね」


「はい!分かりました!」


皇太子は元気良く返事をすると、トクトアの手を引いて書斎へと向かった


「トクトア、何を読もうか?」


「それでしたら、私が持参致した書などはいかがでしょう?漢人が書いたものですが、きっと、殿下にお気に召すと存じます」


「そうなの?早く読ませておくれ!」


早く早く、と皇太子はせがんだ。


「桃花源記。桃源郷に行った人の話にございます」


「桃源郷!?そんな所があるのなら私も行ってみたいな!」


皇太子はトクトアから本を受け取けとり、夢中で読んだ。


 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*


トクトアは若い女官に案内された部屋に入った。


「良い部屋を設えてくれたな……」


青と白が基調の部屋。

これから徐々に暑くなる季節。視覚的にも涼しくしてくれそうだ。それになんといっても庭の中を流れる小川の音が心地良かった。


「いかがでございましょう?夏はとても快適に過ごせますわ!」


女官はトクトアの方を熱っぽく見つめていた。色白、目が黒曜石の如く美しく、顔がハート型の輪郭をした愛らしい娘だった。


「そうだな…… ここにくらべれば大都は暑い。このまま秋まで過ごすのも悪くないな」


トクトアは女官の側へ行くと、さりげなくその肩を抱いた。


「あ、あの…… わ、私は……」


女官は赤面していたが、決して嫌がっている風には見えなかった。


「其の方、私よりも一つか二つ年下って感じだな。今夜はどうせ空いておるのだろう?その方に今宵の伽を命じようかな」


トクトアは優しく女官の手を取り、白魚のように美しく、白い甲にそっと口づけした。


「え!?あ、あの、わ、私はその……」


「何を恥ずかしがる?その方の名は何と申すのだ?」


大胆に迫り、腰に腕を回して顎をクイッと上げる。

 もうほとんどお互いの口が触れ合えそうなくらいに距離が狭まった。トクトアは迷わず女官と唇を重ねようとにしたが、照れた女官は、せっかくの良い雰囲気をぶち壊すかの様に自らの名前を告げた。


「はい、チニと申します!」


「え?」


寸前で唇を止める。


「……チニだと?故郷は何処か?」


(名前の響きに嫌な予感しかしない……)


「高麗でございます!」


トクトアは、女官からゆっくりと身を離した。


「……こ、高麗か。実に良い所ではないか私は一度、彼の地に行ってみたいと思っておる。我が国と高麗は兄弟国みたいなものだからな。そうか……」


(ユファと同郷ではないか!)


「まあ!その様に言っていただけるなんて、とても嬉しいです!私は貴方様の為でしたら喜んでこの身を捧げます!」


「……済まぬがチニ。何やら急に疲れを感じたらしい…… 大都からここまでひたすら馬を飛ばしてきたからな。あれれ?なんか目眩いがするぞ」


そう言うなり側にあった椅子に腰掛けた。


「チニよ。其の方は大変美しい。しかし、己の身はもっと大切にせねば…… 故郷の父母から貰った大切な身ゆえ」


「トクトア様、先程は私にお夜伽を命じられましたが……」


「……そーだったかの?馬に揺られ過ぎて頭がどうかしておるのであろう。いや、この地で其の方の様な、純真無垢の可憐な乙女に心を奪われ過ぎて冷静な判断が出来ぬのだ。いやーまことに辛い。だが、私はこの出会いを大切にしたいのだ。ゆえにもう少し、徐々に段階を踏みながら深交を深めようではないか」


自分でも何を言っているか分からなかったが、チニの方はその言葉を真摯に受け止めたようだ。


「はい、わっかりましたっ!すぐに目眩いに効くお薬湯をお持ち致しますわ!」


と、目をキラキラウルウルさせて部屋から出て行った。

 トクトアは椅子から立ち上がると両方の掌で顔を覆った。

 それから卓子に近付き両手を付いたまま深く息を吸い込み、深くため息を付いた。


(危なかった…… まさかここにも貢女がいたとはな。手を出したりしたら他のモンゴル貴族と一緒だ……)


貢女は、宮中の宮女不足を補う為という目的で高麗から連れて来ているが、中には自分の妾にしようとする高官達も少なからずいた。

  これは国益を害し、帝国を堕落させる由々しき事態、とバヤンは言っていた。

  だがトクトアの場合は違う。

 チニを見ているとユファの顔が浮かんできたからだ。


「油断大敵、相手の身元を確認してからだ……」




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