第41話 探花


「物好きじゃの……」


丞相はそう呟いた。


「モンゴル貴族は世襲だ。父親が高官であれば更に出世出来る。なのに何故、わざわざ科挙なんか受けたのであろうか?」


「小生の愚弟、馬札児台マジャルタイが生来の学問好きでして、父親の影響かと……」


「ほう。科挙を受けては?と、父に言われたのかのう?」


「甥の師は、儒学者の呉 直方殿です。多分、師に勧められたのでしょう。そのせいもあってか、甥はあの通り、漢人の風習に倣う所がありまして……全くお恥ずかしい限りです」


バヤンは、手巾で額の汗を拭っていた。


(うわー、いったい何!?お前達の教育が間違ってるぞ!ってことだろうか?)


「科挙は長い間実施されていなかったが、アユルバルワダ陛下が復活させた。身分に関係なく、平等に受験出来る機会を与え、優秀な者を登用する為だ。しかし、実際はモンゴル貴族しか高官になれんようなっておる。まあ当然のことだ。それでも科挙の実施は、我らの政策を推し進める為に必要だ。当面は民衆の支持が必要だからな。何よりも大ハーンの威光と寛大さを示す為でもある」


「確かに!おっしゃる通りです!」


「トクトアは優れた成績で及第したのを知っておるか?」


「三位、探花でございました。もう、私の周りは大騒ぎしまして。馬札児台は泣きながら笑っておりました!当の本人は何も言っておりませんでしたが……」


丞相は苦笑していた。


「そうであろうな。ここだけの話だ。トクトアは首席、状元じゃったかも知れぬ……」


「な、なんですと!?あっ……分かりましたぞ!本人が天狗になっては!と、そう判断なされてわざと三位にされたのですな!!いやー、そのご配慮に感謝致さなければなりません!」


「まあ、それもあるかも知れんが……

最後の問 ″ 汝はどのような国作りをしたいのか、又、民を導くのに何が必要か ‘’ でな、あやつは、″ 統治には、中華伝統の法制と制度を抜きにして不可能なり、戦よりも国内の政の充実を優先させるべし、その為には身分制度のあり方を、今一度見直すことを考慮されたし ″ と、まあそんなことを書いとったらしい……」


バヤンの顔は一瞬で蒼白になった。


「そ、そ、それは、それはですな!きっと大ハーン、フビライ陛下に倣って書いたのでしょう!じ、実力がある者を用いるのは当然です。フビライ陛下は、漢人、僧でもあった劉秉忠りゅうへいちゅうに、上都と大都を設計させましたからな!」


(バカ!トクトアのバカ!なんで、そんなことを書いたんだ!?我一族が恥をかいたじゃないか!って、よくそれで及第出来たな!)


「うん、其方の申す通りじゃな。しかし、最後の身分制度……のとこがまずかったな!あれはいかん……しかし、今の陛下はその話を聞いてな、トクトアをいたくお気に召されたのじゃよ!‘’美貌もさることながら、才気に溢れた少年だ!″ とな」


バヤンはそういえばそうだったな、と当時のことを振り返った。


「トクトアは歳はいくつになる?」


「はい、十八になりまする」


「ほう?えらく落ち着いておるから二十歳くらいかなと思ったんじゃが。そうなのか……惜しいのう。もう少し時勢というものを知っておると思っておったんじゃが…… 今、上都に行くなど浅はかな者の考えることじゃ。ワシが、ダウのジジイの立場だったら、間違いなく疑うな!」


丞相は深いため息を付いていた。

トクトアが戻って来ないと思っているのかも知れない。


(大丈夫だ。私の判断は間違ってなどいない!必ずトクトアは戻って来る!丞相がトク・テムル様を迎えた時から、今が好機!と全てをこれに賭けた。本当に必要な時はいつも直感に従う!次も必ず私が勝つのだ!)


バヤンはそう心の中で何度も自分に言い聞かせた。




大都一の妓楼紅閣楼


「飛燕、飛燕~!タンギス様とタラハイ様がいらしたわよ!」


女将は手を合わせて頼んだ。


「お願い!飛燕フェイイェン!!お二方はあなたの舞を見るために、わざわざいらっしゃったんだから!うちが、大都一の看板を掲げられるのも、みんなあなたのお陰よ!感謝してる!だからね?分かるでしょ!?」


大都一の名妓、と称される彼女は、我が儘が許される身の上だった。気に入らないお客は、袖にすることが出来るのだ。しかし、今夜の客にそれは通用しそうにない。相手は丞相の息子達。


「……分かりました。参ります……」


「まあ!ありがとう!飛燕!」


女将は嬉々として言った。

反対に彼女は憂いに満ちた目をしていた。


(あの方は…トクトア様は、いらっしゃらない……)


飛燕は気が進まなかったが、女将が泣きついてきたので、仕方なく支度を整えると、琵琶、二胡、琴、の奏者達と一緒に、兄弟が待つ部屋に入った。


「おお、飛燕久しいのう!相変わらず美しい!なあ?タラハイ」


「まことに!さあ、其の方の美しい舞を見せてくれ!」


二人は牡丹ムーダァン芍薬シャオヤオという名の妓女に、酒の酌をされてご機嫌だった。この二人の妓女も飛燕に負けず劣らずの美人で、兄弟のお気に入りだ。

飛燕は『霓裳羽衣曲げいしょうういきょく』を舞った。玄宗皇帝が、楊貴妃の為に作曲したと伝えられている。この舞いはトクトアが気に入っていたので、飛燕は彼が来ると必ず舞うのだ。 なのに、その舞いを気の進まない客に披露しているのは何故だろう。 小さな歩幅は滑るようで、雲の上を歩くようにも見えた。豊かで優雅な表現力。天女の羽衣に見立てた細長い衣はひらりひらりと宙を軽やかに、円を描いた。


「なんと美しい……」


「天下一だ……」


兄弟は口をポカーンと開けたまま見入っていた。舞い終わり、二人に一礼した飛燕は、退室しようとするが、いち早く動いたタンギスにいきなり腕をつかまれてしまった。


「飛燕!そんなに慌てて帰らずとも。もう少し、ゆっくりして行けばよいではないか!ほれ、私の杯を受けよ!」


「今夜は何やら疲れが……」


「其の方!兄上の杯が受けられぬと申すのか!?」


「タラハイよ、そう言うな。飛燕よ、トクトアは久しく其の方に会いに来ておらぬとか……」


「私もそう聞いておるぞ!飛燕、もうトクトアのことなど忘れて、我らの情けを受けた方が良いと思うぞ。なあ?牡丹、芍薬よ」


牡丹と芍薬は嬌声を上げて、兄弟のそれぞれにしな垂れ掛かった。


「お二人共素敵!」


「タンギス様は将来丞相になられるお方でいらっしゃいますもの!」


端で聞かされる飛燕は嫌な気分になった。


(早く部屋に戻りたい!)


タンギスは飛燕の顔を覗き込んだ。


「飛燕、トクトアが最近ここに来ぬ理由を知っておるか?」


「さあ、知りません……」


「他に女子が出来たか……」


タラハイも飛燕の顔を覗き込んだ。

飛燕は真ん中にいるので、交互に二人に見られているのが、嫌で仕方なかった。 まるで二人に身体中を舐められているようで不快だった。


「あの方は、その様に浮わついた方ではございません」


「ほう、あんな優男を庇うのか?

あやつは陛下に気に入られておる。

これがどういう意味か知っておるか?」


飛燕はもう限界だと思った。


「あの方のことを悪く言うのはおやめ下さい!」


「あ、兄上!いくら何でも陛下とトクトアがその様なことを…… 父上がお聞きになったらお叱りを受けます!」


しかし、飛燕の方はこれで収まらなかった。なんと、今をときめく丞相の息子達に向かって思っていることをぶちまけた。


「あなた方はお父上の権力を笠に着ているだけです!逆にその権力がなければ、いったい誰が、あなた方を恐れるというのでしょう!?」


「なんと無礼な!!」


タンギスは持っていた杯を壁に投げ付け、杯は見事に半分に割れた。


「キャッ!!」


牡丹と芍薬は短く悲鳴を上げ、タラハイは自分が叱られた訳でもないのに顔を青くしながらは二人の側に寄って行った。飛燕はそんな三人を冷やかに見てから、タンギスを正面から見据えた。


(負けない!こんな人達に負けてたまるもんですか!)


「貴族とおっしゃいますが、あなた方は元は流浪の民!侵略と略奪の限りを尽くした罪深き呪われし民の子孫です。あなた方が築いた尊い犠牲の上で成り立つこの帝国は、砂上の楼閣も同じです!いづれは脆く崩れ去り、跡形も無くなるでしょう!」


「其の方!そこへ這いつくばって詫びろ!さもなくば、この場で首を刎ねてやる!!」


タンギスは膳を蹴飛ばし、女相手に剣を抜いた。


「私は間違ったことは申しておりません」


自分でも不思議なくらい冷静だった。抜き身の刃が飛燕に向けられたが、それを見ても飛燕は謝ろうとしなかった。タラハイは慌てて兄をなだめにかかり、二人の妓女は腰を抜かしながらも、女将を呼びに走り出した。


「なっ!なんですって!!飛燕が!?」


二人の妓女の知らせを聞いた女将は、飛び上がらんばかりに驚き、慌てふためきながらその場に駆けつけたが、タンギスの恐ろしい顔と抜き身の剣を見た瞬間、恐怖で身体が固まってしまった。それでも、なんとか顔だけでは動かし、タラハイに助けを求めたが、肝心のタラハイも兄の勢いに押されて役に立ちそうになかった。それでもまだ飛燕の前に立つだけマシだった。

しかし、実際は制止する訳でもなく、両手の平をまあまあと兄に向け、兄の方を見ながら、兄が右へ移動したら自分も右へ、反対に左に行けば自分も左と、お互いを見合いながらくるくると、その場を回っているだけだ。 一方 、女将は説得しようとするが声が出せず、おろおろするばっかりだ。

 ところが、ここで思わぬ救世主が現れる。


「これはいったい何の余興ですか!?おお!タンギス将軍!」


「ええ!?タラハイ将軍もいらっしゃるんですか!?」


「わお凄い!お二人共雲の上のお方!会えるなんて感激っす!!」


「うわー!やっぱり服装も洒落てますね~!その青い石の装飾品は何処で買えるんですか!?」


噂の?花の怯薛ケシク四人組。ジョチ、ボアル、シバン、オルダだ。


「我ら怯薛の憧れ!天下のタンギス将軍、タラハイ将軍にお目見えが叶うとは!光栄の至りに存じます!我らも同席致しても宜しいでしょうか?」


ジョチはさりげなく、タンギスに近づいて彼の剣を触った。


「実に見事な剣ですね!!将軍のこの剣がこの国を守って下さるのですね!我ら怯薛は、常日頃から陛下より、″タンギス将軍を見習うのように″と仰せつかっております!」

 

 

 タンギスは剣を鞘に収めた。

相手は貴族の子弟で怯薛。皇帝の直属の親衛隊だ。それに大都一の妓楼で酒に酔っていたとはいえ、将軍が妓女相手に剣を抜いていたなどと、言い触らされてはかなわないと考えたからだ。タラハイと女将は、内心本当に助かったと胸を撫で下ろした。


「ささ、タンギス将軍!タラハイ将軍!私達の部屋から連れて来た妓女達も、美しさでは牡丹と芍薬に負けてませんよ!いかがです?技芸など競わせて遊びませんか!?」


シバンが妓女達を連れて来た。

部屋はにわかに賑やかで華やかな雰囲気になった。


女将がジョチにお礼を言った。


「先程は本当にありがとうございました!!もう、どうなることかと胆を冷やしましたわ!」


「いや、礼なんていいよ」


「飛燕!あなたからもお礼を言いなさい!本当に、死んでたかも知れないのよ!!」


「私は助けて下さい。とは申し上げておりません」


飛燕はうつ向いて言った。


「まあ!このったら!!」


「一つだけ言っとこうかな。ヤケを起こしたら駄目だよ!あれは決して真の勇気とは言えないな。トクトアが悲しむ…… 君らは似ているね。時々向こう見ずなところがさ。じゃ!」


ジョチはそう言うと、部屋に向かって歩き出した。飛燕は自分から声を掛けた。


「あの方のお知り合いですか?」


ジョチは振り返り、にこりと笑った。


「僕達は友達さ!」

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