第40話 大義名分
「ホワ~良い天気だな~なんか眠くなってきた………ちょっとだけ寝よ!」
バヤンはまず執務室の卓子の上に開いた本を立てに置き、次に筆を手に持ち、それから筆先を紙に付けたままの状態で卓子に突っ伏して眠った。
これで急に誰かがやって来ても、部屋の入り口から見れば、ああ将軍は書き物をしておられるのだな、とこう思うだろう。
「クオー、ガガー……」
秒殺――もういびきをかいて眠っていた。
いつの間にか深く寝入っているせいか、本はばったり倒れ、握っていた筈の筆は床に転がり落ち、そこを宮殿から戻って来た二人の部下に目撃されてしまった。
自分だけ昼寝なんて悪いことは出来ないものだ。
二人の部下は、いったいどうしたものか?と互いに顔を見合せたが、仕方なく上司を起こしにかかった。
「将軍!起きて下さい!」
部下のアルタンとムングは、その背中を揺すりながら声を掛けたが、バヤンはなかなか起きようとしない。
「丞相がお呼びです!」
この一言が効いたらしいのか、バヤンはガバッと跳ね起きた。
「ハっ、なんだと!?」
バヤンは慌てて政務室に向かった。
(まさか、昼寝がバレたとか……)
「バヤン、ただいま参りました!どうか何なりとお申し付け下さりませ!」
丞相は笑顔で出迎えた。
「おおバヤン、仕事中であるのに呼び出して悪いな。お主も忙しいであろうに。ほんに済まなんだのう」
まさか昼寝してました、なんて言えない。
「いえ、どうかその様にお気を遣われずに。仕事なんて後でぱぱっとやれば良いのです。ハハハ!」
我ながら調子の良いことを言ってるなと思った。
「なんと頼もしい。流石は元で一番の忠義者よ。なあバヤン、ワシはあの時のことを忘れてはおらんぞ。お主は陛下とワシの為に、河南から馳せ参じ、お主のアスト親衛軍は目覚ましい働きをしてくれた!そして陛下は大ハーンになられ、ワシは丞相になることが出来たのだ!これはひとえにお主の働きがあったればこそである!」
丞相は目に涙を浮かべてバヤンの手を握りしめていた。
バヤンは感激の余り、目に涙を浮かべていた。
そしてついに、
「このバヤン、陛下と丞相の為でしたら、例え火の中水の中であろうと、身命を賭して突き進んで行く所存であります!」
と、後先考えずに言ってしまった。
彼も
「お主の言葉に亡き
丞相はバヤンの肩を叩き、自分の胸を叩きながら頷いていた。
お互いが気持ち悪いくらいに近づいている。
この二人は、三代目大ハーン
そしてカイシャン亡き後、跡継ぎ問題が起こり、カイシャン派のバヤンは左遷。
一度、南方へ配流になってしまった。
その後は河南行省長官に。
多分、彼の激しい性格も問題視される原因のひとつかも知れない。
反対に、バヤンの弟である
マジャルタイは兄とは違って、極めて穏やかな性格の持ち主でトクトアの実父であった。
時が経って、六代目大ハーン イェスン・テムルが崩御後、すぐさま行動を起こしたのが、この丞相エル・テムルである。
武力を以てクーデターを起こしたのだ。
勿論バヤンもこの期を逃さず、これに乗じてエル・テムルに加勢した。
エル・テムルは見事クーデターを成功させ、大都の政府機関を接収。おまけに大都駐留の軍隊と官僚を上手く味方に付けて大勝利。
と、いうのが大都側の事情である。
「では、忠義者のお主なら分かる筈であるな?この大都の街を戦火に巻き込む訳にはゆかぬと。大元帝国の祖、大ハーン、フビライ陛下が築かれた、この美しき都をあのダウのクソジジイ!いや、逆賊共から守ることの出来る唯一の男は、バヤン、お主をおいて他にはおらぬ!さあ!再び我らが共に力を合わせ、大元帝国を、陛下をお守りするのが我らが二大軍閥、キプチャク親衛軍とアスト親衛軍の責務である!大ハーン、フビライ陛下が作られた、この最高最強の軍隊で聖戦を行い、
この丞相の熱弁に、バヤンは涙を流しながら答えた。
「このバヤン!!その為ならばこの命など、惜しくはありませぬ!!逆賊、
「おお!流石は勇者の称号を持つだけのことはある!なんと頼もしく勇敢な!頼むぞ!!」
「はっ!お任せを!!」
と、彼は言ってしまった。
国を守る為には逆賊を討て、正義は常に我らにあり。この都合の良い大義名分に、彼はいとも簡単にとり憑かれてしまった。
これは彼の愛国心、忠誠心に訴えかけた一種の洗脳だった。彼は生粋の軍人だ。
そして丞相は、最も恐ろしい先導者であった。
元では生涯現役、大ハーン
そして、最後の大ハーン
今回は六代目大ハーン
これに、当時二つの軍閥も介入。
よって、元朝の皇帝の権威はどんどん低下していき、皇帝はこの軍閥の長の傀儡となっていた。かつてパクス・モンゴリカ(モンゴルの平和)と呼ばれた治世。そして後半は軍事に頼らず経済力で世界を安定に導こうとした大ハーン、フビライ。
既に、大ハーンが権力を掌握していた世は、彼の死と共に終わっていた。
「では、早速軍備に取り掛かります!甥のトクトアが戻り次第、軍需品と兵器の確認、新たな徴兵の為の徹底した軍令、軍律、軍の編成等を仕込んでいきたいと思っております!必ずや、この国に相応しい将となりましょう。では、これにて失礼致します!」
「まあまあ、そんなに慌てずとも……トクトアは上都に行っておるのは聞いているが、今頃、どうしておるのかのう?お主は知っておるか?」
「私が、思いますには、アリギバ皇太子殿下に、暇乞いをしに行ったのではないかと!私も不忠ながら、同じようなことを致すと存じます……」
バヤンは脇の下を冷や汗が流れていくのを感じた。
「なるほど……トクトアは良い臣下じゃ」
「はっ!恐れ入ります」
丞相は、部下のひとりが持って来た茶をバヤンに手渡した。
「時に…… トクトアは、女官達からなんと言われておるのか知っておるか?」
「甥が何か致しましたか! ?」
バヤンの湯飲みの茶が波打っていた。
とうとう女官にまで手を出したのか、と。
「いや、そうではない。あだ名みたいなものでな。お主は知っておるか?」
(あだ名!?あいつ、あだ名なんか付けられておるのか!?まさか本当の意味での
「…ス、スケコマシ……ですか!?」
それを聞いた丞相は大笑いした。
「ハッハッハッ、花の名が付けられておってな、牡丹じゃよ!牡丹の君と呼ばれておるそうな」
「牡丹ですか…… いや、びっくりしましたな」
(なんだ誉められてたのか……)
「お主、トクトアは何故、牡丹の君と呼ばれているか知っておるか?」
「牡丹は百花の王といいますが、甥はそんなに誉められるような者ではありません…」
内心は凄く自慢したかったが、そんなことを丞相に言う訳にはいかない。
「ハハハ、謙遜するでない!トクトアは実に良い若者だ」
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