第39話 嵐の予感

天驕之宿星てんきょうのしゅくせいつ〉

 

 差出人不明の文にはそう書かれていた。

 トクトアは首を傾げた。

 天驕は北方の君主を意味し、宿星はその者を守る星。


「つまり…… 何者かが、皇太子殿下の地位を揺るがすと?」


 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 「伯父上、上都へ参ろうと思っております。お許し願えますか?」


 バヤンの目が大きく見開かれた。

 

 (は?こいつはいったい何言った?上都って敵陣に行くようなもんだろ?いや、待て待て……巣立ちとか?)


 トクトアは我が子も同然。

 

 (さては皇太子に呼ばれたな。 ま、子の気持ちを尊重してやるのが自分おれ流の子育てのやり方だし。ここは信じてやらねばなるまいが……)

 

 バヤンは咳払いした。

 

 「上都か。 お前は律儀な奴だな。書簡でも良いのでは?それに丞相の目があちこちで光っておるというのに…… わざわざ疑われる様な真似は感心できんな!」

 

 (これで諦めないかな……)

 

 二人の視線が交わった。

 トクトアのゾッとするような静けさをたたえた目を見たバヤンは、こりゃ反対するのは無駄だな、と悟り渋々頷いた。


「仕方がない。なるべく早く戻って来い…… 足止めをくらうぞ。丞相には私から伝えておく。それから決して私情に流されぬようにな!」


「はい、心得ております」


「お前のことだから大丈夫とは思うが…… 危険と判断すれば臆病者を装ってでも良い。いいか?必ず無事に帰って来い。これは命令だ!」


「承知致しました」





「えーと、国中に駅が十里ごとに設置……ってどれくらいの間隔かしら?

 今の時代では……確か……二つの都が……フビライ・ハーンは実は日本を攻めるつもりなんてなく……え~!?そうなの?」


 雪花シュエホアは書斎で、最近のニュースや元の建国のことを学んでいた。勿論、歴史に干渉なんてするつもりはないがこの時代に生きる為、どうしても時事的な知識が必要と感じていた。

 もともと歴史は好きで、自分が発表した小説に楊貴妃やルネサンス時代の女性を主人公にした物語があった。

 実はこの二作品がシュエホアの代表作である。

 が、残念なことに最近は歴史小説は売れない……

 三國志や水滸伝はいまだに根強い人気があるが、そんな立派な大作を書ける筈もない。

 しかも、この大作のファンも多く、下手をするともう何も書けなくなる程ぼろかすに叩かれる。

 シュエホアが好きな小説、火のような強烈な個性を持った美しいヒロインと、彼女と同じくらい激しい個性を持った男性の愛の物語の続編が刊行された時がそうだった。

 原作者は勧められていたが、頑として続編を書かないことで有名だった。


(でも、続編は良かったけどなあ。翻訳する人で物語は変わってくるかも知れないけど。感動で泣いちゃった……)


 バタバタ……

 廊下の方から家人達の忙しない足音が聞こえてきた。

 

(はて?)

 

 廊下に出るとトゥムルの後ろ姿が見えたので、こっそり後ろを付いて行った。

 西の部屋へ向かっている。

 多分、トクトアの部屋へ行くのだろう。

 途中トゥムルは振り向き、シュエホアの方を見てニヤリと笑った。


「あら~気付かれたわね……」


 二人揃ってトクトアの部屋に入った。


「若君、牌符パイザにございます」


 トゥムルは懐から巾着を取り出してトクトアに手渡し、ではまた後で、と部屋を出て行った。


「トクトア様、何処か行くんですか?牌府パイザって站赤ジャムチで見せると、旅を快適に出来る様に保証してくれるのでしょう?」


 さっきおさらいをしていたからバッチリ、通行手形みたいなものだ。


「ああ、よく知ってるな」


 トクトアは巾着から金色の板を見せた。

 

 (おおっ!純金!?)


「用事で上都へ行く。寂しいかも知れんが我慢しろよ」


「あ、いえ別に寂しくは……」


 トクトアは荷造りする手を止めた。


「嘘を言うな。寂しくて泣くんだろ?」


「あ~本当に泣きませんから…… 私は大人ですし」


「ずいぶんと生意気なことを申すのだな。一言寂しい、と言えば可愛いものを」


(そうだった。忘れてたわ…… 私は、独りでもやっていけます!ってオーラは出したら駄目なんだ!)


 昔、何かの雑誌に書かれていた。

 男性の前で、たくましい自分アピールは見せない方が良いと。

  男性とは、自分が守ってあげたいと思わせる女性が好きらしい。

 

 (お、おお…… し、しししまったぁ――!!)


 頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 

「お、やっぱりそうなんだな……い奴め」


 トクトアはシュエホアの髪を撫でた。

 どうやら上手い具合に勘違いしてくれたらしい。

 

 (ケケケ。なるほどこうね!)

 

 シュエホアは舌を出した。

 トクトアは支度を済ませると、そのまま玄関の方へ向かった。


「え!?もう行くんですか?」


 シュエホアは慌ててその後ろ姿を追いかけ、トクトアは後ろを振り返らず大股で歩いて行った。


「ああ、早く行って戻らねばな……」


「……首都が二つあるというのは大変ですね。しかも情勢も悪くなってきているのに」


 先に立って歩いていたトクトアの足が途中で止まった。


「……どういう意味だ?」


 シュエホアはトクトアの前に回った。


「近いうち、阿里吉八アリギバ皇太子が大ハーンを名乗られるそうですね。そうなると、首都が二つになるのでは?先の皇帝陛下の御子様ですもの。帝位につかれるのは当然のことです」


「いったい誰から聞いた?アルタンとムングから聞いたのか?」


「伯父様が心配しておられました……

 そうなれば、上都派の急先鋒、倒剌沙ダウラト・シャー丞相と大都派の燕鉄木児エル・テムル丞相の一騎討ちが始まるだろうと。皇太子様に会いに行かれるのでしょう?」


 シュエホアの話の大筋は合っているが、彼は一騎討ちという戦法は知らなかった。

 心の中は疑問符が三つ以上付いていたが、顔には出さないように頑張った。

 吹き出す一歩手前。


「………そうだ。どうしても行かねばならん」


 シュエホアは、どうしてバヤンが行かせるのか理解出来なかったが、いくら伯父と言えど、一度こうと決めたら後には引けない性格の甥のこと。

 最後には、えーい勝手にせい!ってな感じになったのだろうと勝手な想像をした。


「私は反~対です。でも止めてもあなたは行ってしまうのでしょうね」


 今にも泣き出しそうなシュエホアの顔を見た時、彼の鋼のような決意が一瞬揺らぎそうになる。

 上都での皇太子の清らかな笑顔を思い出した。

 

 (やはり…… いや、やはり行かねば。あの御方にもしものことあらば……)

 

 これは罠かもしれない――そう思ったが、彼の心にある厚い忠誠心、それが原動力となりその腰を上げさせた。

 

 門の前では、部下が連れて来た公用の馬が、ブルルンと鼻を鳴らして待っていた。

 これから上都まで、各駅ごとに馬を乗り継いで行くのだ。


「さて、行って来るか。其方は良い子にしておれよ」


「私はいつでも良い子ですよ!」


 シュエホアが偉そうに両手を腰に当てているのを見て、トクトアは笑った。


「そうか、じゃまたな」


 トクトアは馬にひらりと跨がると、シュエホアの方を見た。

 シュエホアもトクトアの方を見ていた。お互い言葉を交わさず、じっと見つめ合ったままだった。

 そこへ家人達が見送りに現れた。

 シュエホアが視線を家人達に向けた隙に、トクトアは急に馬を走らせた。

 トクトアの栗色の髪が日の光に透けて、一際明るく見えた。

 家人達はトクトアの後ろ姿に手を振った。

 

「行ってらっしゃいませ」


 シュエホアはその姿が見えなくなるまで見送った。


 

 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 トクトアは大都の東側の城門の一つ崇仁門の前に来た。

 城門は別名、甕城おうじょうと呼ばれている。

 城門は攻撃の焦点になり、壁中のウィークポイントだから、それをカバーする為、今ある城門の前に方形、半円形の枡形の城壁を作ってくっ付け二重構造にしている。

 因みに半円形のは月城と呼ばれていた。

 これらの城壁は、破城鎚はじょうついという恐ろしく物騒な、屋台と車と丸太が一体化したような武器から城壁を守る為だった。

 この破城鎚はじょうつい、使い方は至ってシンプル。

 勢いつけて城壁にぶち当てドーンガラガラとぶっ壊す。

 それからみんなでワ~と一斉に突破。

 トクトアは馬を降り、引き馬をしながら城壁の門の通路を歩いている時、兵士が声を掛けて来た。


「トクトア!久しぶりじゃないか!」


「あっ本当、トクトアだぁ!」


「何処に行くのさ!」


「今度、一緒に遊ぼうよ!」


 皆自分と同い年のモンゴル貴族の子弟達で、美しい容姿をしている。

 先に声を掛けて来た貴公子が言った。


「トクトア、何処へ行くの?まさか上都じゃないよね!?」


「……だったらどうだと言うんだ?」


 それを聞いた貴公子達は口々に止めた。


「やめた方がいいよ!」


「あっ、それには俺も反対だ!」


「絶対よした方がいいって!ジョチ、トクトアを説得しろよ!」


 ジョチという、最初に声を掛けた貴公子が肩をすくめて言った。


「だって、トクトアは一度言い出したら聞かないのは、みんな知ってるだろ?無理だよ!」


 ジョチの言葉に貴公子達は、そりゃ違いない、と皆一斉に笑い出した。


「おい、もう行ってもいいだろ?

 俺はお前達と違って暇人じゃねぇよ!ってか何で、お前達が門衛の真似事なんかしてるんだ?」


 普段の品の良いトクトアとは思えない言葉遣い。


「それがさあ僕達、怯薛ケシクも門衛の重要性っていうのを知る為に、研修でこの仕事に就いてるんだ」


 門衛は、怯薛ケシクの中の八剌哈赤バルガチ(倉庫番)から選ばれたエリートだった。

  時代劇でよく門番は下っぱ扱いされてるが、元朝では一番守りが重要とされている所なので、位もそれなりに高くなる。

 元朝では門尉、副尉と呼ばれ、警巡院長官と同等の扱いを受けていた。

 たかが倉庫番出身者なんて、と侮るなかれ。

 今度は倉庫もひっくるめて大都の街を守るのである。

 つまり門を守るのは国を守るのと同じ意味をもっていた。

 城門は夜間通行禁止。

 皇帝の許可証か象牙の円符、もしくは命令書がなければ開門出来ない。

 その禁を犯した者は当然死罪。


「この通り、暇でも将来の為に頑張らなきゃね」


「そうそう、いつまでもさあ、宿直したり傘持ったりの速古児赤スクルチ!」


必闍赤ビチクチ、書類作成して宿直!」


「 宿直して食事の給仕の博爾赤ボルチなんかしてないぜ!」


 皆がそれぞれ、皇帝の家政係になっているらしい。

 そして宿直とのいの輪番がついて回る。

 しかし彼らは世襲の怯薛ケシク

 ただの家政夫?ではない、皇帝直属の宿直護衛で親衛隊。

 また将来国を担う幹部の養成機関怯薛であり、将来を約束された貴族だ。

 彼らが通ると都のミーハー娘達が騒ぐ。

 しかし、そんな彼らでも羨む存在が目の前にいる。


「トクトアは良いよな!怯薛ケシクに、お次は達魯花赤ダルガチ、つまり行政に携われる!」


「その前に科挙受けて、一発合格!しかも最年少で三位だ!モンゴル貴族は受ける必要ないのに。でも凄いよな!漢人でも難しい試験だって!」


「皇帝陛下の覚えめでたく中書省で働いてるし、おまけに容姿も良いし、女にモテるし!何なんだよこの差は!?悔しいぜ!」


「まあまあみんな。……比べたって虚しくなるばっかりだし、トクトアの旅の安全を祈らなきゃ」


 ジョチの言葉に皆得心した。

 天は二物以上の物をトクトアに与え給うた。

 嫉妬――?

 いやでもトクトアなら許せる。

 みんな幼なじみ。

 だが本当はこう思っている。

 わざわざ科挙を受けるトクトアは相当な変わり者だ、と。

 だいたい何の役に立つかも分からない学問を修めたからって、それが偉いとは限らない。

 それで人生は決まる訳じゃないと思っているし、自分達が劣る存在とも思ってなかった。

 自分達は蒼き狼の末裔――それで充分だったし、ほっといたって出世は出来る。

  だって恵まれた存在だから。


「ねえトクトア、君の屋敷には凄い美少女がいるんだってね!僕達にも紹介してよ!ひょっとしてあの赤毛の可愛いこなんだろ?」


 トクトアは足を止め、振り返ってジョチの方を見た。

 口の端を広げたジョチはニコりと笑った。

 気に食わん、とトクトアは顔を顰めた。

 

「ったく、誰がそんな噂を広めたんだか……赤毛のちんくしゃな顔をした娘だ!」


「またまた!可愛いこじゃないか!」


 二人の会話を聞いた三人は、直ぐこれに食い付いた。


「え!?じゃあ噂は本当なんだな?」


「なんでいるんだよ!側室にするとか!?」


「うわ~いいなあ!こっちは毎日こんな門の前にいたってつまらないしよ。誰なんだ?可愛いこしか通らない!って言ったのは!?見るのは坊さんばっかりじゃないか!!」


 この門の近辺にお寺があるからだろう。

 

(こいつら馬鹿なのか?)


 トクトアは呆れた。


「お前達、いったい何しに仕事に来てるんだ?門尉に叱られるぞ!」


 ジョチ以外、みんな手鏡を持って自分の髪型や身だしなみのチェックをしていた。


「仕事も大事かも知んないけど、やっぱり見た目の方が重視だろ?皇帝陛下に仕えてるんだぜ、あ…… 眉墨、濃くないかな?」


「これヤバそう…… いつの間にか下がり眉になってるし!誰か毛抜きか眉鋏持ってない?」


「あちゃー!目の輪郭の線が汗で滲んでるじゃん!やっぱり、これからの季節は化粧は無理だな~そうだ!目尻に紅を極細の筆で付けよう!!」


 皆、若い男子らしく、おしゃれに夢中だった。

 仕事よりも恋に情熱を燃やしているようで、髪型の本や恋愛小説、流行の化粧品や服装に力を注いでいる。今、都で大流行りの、 歌いながら芝居をする元曲という劇の楽人やくしゃ、珠 廉秀の化粧を真似ているようだ。


「トクトア!紅閣楼に連れてってくれよ!飛燕フェイイェンが見たいんだ!この前、顔を見に行ったんだけどけんもほろろに無視さっ!何なんだ?気位の高い女!!ぜって~顔を拝んでやるからな!覚えとけよ!って部屋の前で叫んでやったぜ!!」


「ハハハ、なんなんだそれ?おっかし~!」


「ワハハハ!頑張れ~!」


「どっちもどっちだけどさ、変に偉そうにしてる所はこっちが勝ってるよね!アハハハっ!」


 友人達は笑い転げていた。

 トクトアはお馬鹿な友人達だと思っていたが、こんなに笑うことが出来るのも、平和あってこそだと思えた。

 自分もこんな風に笑えたらどんなに気が楽か。


(多分、戦は避けられんだろうな……)


 トクトアは友人達に別れを告げ、北に向かって馬で駆けた。

 

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