第38話 一日、書籍店員体験?
「ひゃーこれは大変だわ……」
「あの、ここに置いてある本は……
かなり傷んでますけど、何処へ運んだらいいですか?」
シュエホアは現場監督に聞く。
この市場を取り仕切っているの商人のひとりで、シュエホアとユファを野次馬の群れから救い出してくれた、あの親切な男性だ。
「どれ見せて。うわーかなりカビにやられてるな…… あの事件のせいもあって余計に放ったらかしになってたからな。いや、まいったな~」
黒色の表紙全体に白いカビが拡がって、触るのにかなりの勇気がいる。試しに中身を開くと所々に穴が空いていた。
「うわー中身も終わってますよ!
紙魚ですかね?穴が空いてますが……
さっき、銀色の虫が棚の何処かに隠れてましたけど」
「どれどれ、ああ、穴を空けるのは
「え!?そうなんですか!紙魚じゃないなんて知りませんでした……」
別の虫の仕業であることを見抜くとは、流石はプロだ。
すると、今の言葉をじっと物陰で聞いていたのか、棚の隙間から噂の紙魚が現れ、滑るように棚の側面を移動して床板の隙間に隠れた。
新たな犯人の登場で行動も大胆になったか、とシュエホアは思った。
(あんたも下手人よ。害虫には変わりないんだから)
「……じゃあ、これはもう処分するしかないですね?」
「うーん。そうだね……残念だけど、
思い切って捨てるしかないよ。幸いこの本は何冊も重版されているから価値も低いしね。まあ、おまじないの本だね。ほら、面白いよ!
「へー本当だ!他にも民間療法的なのもあるんですね!でも、残念だわ……」
気の毒だが、この本は役目を終えたのだ。シュエホアが本を処分の為に用意した木箱にそっと入れようとした時、本の間から紙切れが落ちた。
(あらこれは?)
一筆箋のようで、そこには『常に助言をするつもりで。湘 』と書かれていた。
「湘…… 私の家の名も湘だけど」
また、新たな謎解きの暗示の様な気がするので面倒臭くなった。
きっと、ただの偶然に違いない。
そう思うことにして、本を処分箱に入れようとしたが、何故か捨てる気になれなかった。
勿論好奇心もあるが、それをネタにトクトアに話せると思うと嬉しくなったのだ。
「あのぅ、この本、頂いてもいいですか?」
「いいけど。かなり傷んでるよ」
「ええ構いません!」
「しっかりと風通しとか整頓してたら、本は持つんだけどね…… 小芳さんは思いつきで、この商売やったんだな」
(私も古本さんていいかな~と思ってたけど、やっぱり素人には大変なんだな……昔だから紙や接着剤も違うし、虫も付きやすいのね)
実のところ、シュエホアはこの店を引き継ごうと考えていたのだが、身近な相談相手のトクトアに話したら、其方には無理だ、と一笑に付されてしまった。
話は三日前に遡る。
「何でそんなことを言うんですか?」
「其方は何も分かってないんだな……
思い付きでやればいいってもんじゃないぞ。売り上げは自分の儲け。と思ったら大間違いだ!場所代、光熱費、広告費と他にもややこしいのがあるぞ!」
「そんなこと……分かってます!
だからこうして相談しているのに。頭っから希望もない言い方しないで下さいよ!嘘でもいいから、うん、まあいい考えだなぁ、くらいは言って下さいよ!」
「結果は分かっているのに、そんな嘘を言うと思うか?商売の苦労を知らぬ其方に、その現実の厳しさを説いてやってる私の優しさが分からんのか!」
「別に儲けようだなんて、そんなことは思ってませんよ!ただ、本が好きだから。本達が定まる場所の管理がしたいだけなんです!何より店主の供養にもなるし…… ついでにお金も入れば一石二鳥、いや、三鳥かな~って思ったんです……」
トクトアは深いため息をついた。
「……呆れたな。だが、あの一旦ケチがついた場所には客は来ないぞ…… それを考えてなかっただろう?」
それを言われると、もう何も反論する気がなくなった。自分がお客の立場で考えたら、巷で曰く付きの場所と噂されている書店へ行きたいと思うだろうか?と。
シュエホアがしょんぼりしているのを見たトクトアはこう言った。
「……では半日。いや、一日やってみると良いだろう。実際にやってみると色々なことが見えるだろうから」
色々とは?具体的なことを言わないのが気になったが、やはり自分から言い出したからにはやってみなければと思い、早速 " 一日書籍店員体験 " に参加してみた。その感想とは?
(やっぱり大変…… 本の数が多いから管理出来そうにないわ~)
シュエホアは入り口の前の石畳を見ながら考えた。
血は拭き取ったか?掃き清められたか?血痕が綺麗になくなっていた。
しかし、店主が居ない店舗ということで、斜街市を取り仕切る商人組合がやむを得えず閉店を決めたという。しかも、事件の真相が明かされたとはいえ〈ケチが付いた曰く付きの場所〉だ。それでも土地がもったいないということから、拝み屋と占いが一体化した店が建つと聞かされた。
これなら土地を鎮めつつ、商売も出来るから一石二鳥。いやそれどころか三鳥だ。
まさかとは思うが、トクトアはこのことを知っていたのかも知れない。
(……はめられた感が半端ないわ。
途中から一転、じゃあやってみたら、って言う筈だわ。がっかりした……)
「お嬢さん、いやー本当に助かるよ!ありがとう!」
「うん!力も強いし驚いちゃったわ!」
誉められた途端、元気が戻ってきた。
「えへへ、そうですか!?」
心の中の、鈍い灰色の空が一転、すっきり晴れ渡る美しい青空になった気がした。
「ええ!とても頼りになるわ!姿勢もいいから、武術か何かしてたの?」
近所の文具店のおかみさんも、手伝いに来てくれていた。ユファが気絶した時に水を持って来てくれた世話好きな女性だ。
「え!?あ…… いや、別に何にもしてませんよ。鄙育ちなので馬鹿力はあるんです!」
(十代は槍の演舞はやってたけど、あれは違うな……)
「あれ!?あの若いおにいさん二人は、どうしてこっちを見てるんだろう?」
「あら!本当ね!」
「え!?誰か見てますか?」
二人がほら、と指を差している方向の先に、アルタンとムングがいるのが見えた。こちらと目が合うと、二人は気まずそうに目線を外した。
(あら、油断して姿を晒すなんて……)
「ねえ!あの二人はお嬢さんの方を見てる気がするんだけど」
シュエホアはとぼけながら言った。
「いや…… 多分、警巡院のお巡りさんなんじゃないですか?ほら!通りの方向も見てますし!うん!絶対間違いないですよ!」
シュエホアは、わざとらしく掌をパチンと叩いて言った。
「さぁて作業に戻りますね~頑張って今日中に終わらせますよ!」
三人がそれぞれの持ち場に戻ろうとした時、おかみさんは何か気になることがあったらしい。通りの方を指差して言った。
「あら!凄い男前よ!!」
おかみさんが指差す方向をたどって行くと、その先には栗色の長髪の男性が、アルタンとムングに話し掛けているのが見えた。
二人は一礼をすると、その場から離れて行った。
「ト……」と言い掛けてやめた。
「こっちに来るよ!!」
おかみさんは、何故かシュエホアの後ろに隠れた。
「ほう、お客様かな?」
現場監督が営業はしていないことを説明する為に表に出たので、止めようと咄嗟に口から出た言葉に、自分でも驚いた。
「あ、大丈夫ですよ!知ってると思いますから。あの人は私の兄なんです!」
それを聞いたトクトアの口元が、一瞬だけ歪んで見えた。
「ああ!お兄さんでしたか!?いやーこの度は妹さんの活躍で大変助かりました!」
現場監督は会釈した。
トクトアも軽く会釈すると、気味が悪いくらいに穏やかな優しい笑顔を見せた。
初めて会う人は、その美しい顔に浮かんだ天使の笑みに、一目で魅了されることは間違いなかった。
現におかみさんやおじさんも見惚れてぽ~としている。
「そうですか。それは良かったです。どんどんこき使ってやって下さい。妹は世間知らずな者ですが、困った人を見ると放っておけない性質なんですよ。どうか、筋肉痛になるまでこき使ってやって下さい!」
なんと棘の含まれた言葉か。
彼の本来の性格の一部をかいま見た気がした。
シュエホアは顔を引きつらせて笑った。
「まあ!兄様ったら。ご冗談ばっかり!オホホホホ……」
お昼休憩の時間が来たので、シュエホアとトクトアは湖を眺めながら昼食を食べた。
トクトアが買って来てくれた
一口噛めば、カリっとしてもっちりの食感と、葱の甘味と香ばしい胡麻油の香りが口いっぱいに広がった。
「美味しい!やっぱり葱油餅って大好き!!」
シュエホアが上機嫌で食べているのを見たトクトアは、目を細めて微笑んだ。
「どうだった?仕事は?」
(そうだった。食べるのに夢中ですっかり忘れていた……)
シュエホアは店のことで文句を言った。
「思ったよりも大変でした……っていうか、トクトア様!あの店が拝み屋兼占いの店に変わるってどうして言ってくれなかったんですか!?」
これにはトクトアも初耳だったらしく、驚いていた。
「なに?本当か!?いや、それは知らなかったな……」
「あ、本当に知らなかったんですか……」
「ああ。知ってたら言ってたぞ。まさか、其方は私を疑ってたな!?」
「……ちょっとだけ。あっ!でも良い経験でした!色々と勉強しないと難しいですね…… それでも営業していないだけまだマシですよ。だって、全然整理されてないから探すのに苦労すると思いました。それにしっかりきっちり準備したとしても、私はどちらかというと、本を読む方が好きだから売る方には向いていないかも知れません……」
結果が残念だったが、なんだか晴れ晴れとした気分だ。
自分は作家だから、本を売る側の大変さが分からなかったし、編集者をしている友人の苦労を分かっていなかったと思った。
「いやー良い経験でしたね。あっそうだ!面白い書を譲ってもらったんです!」
シュエホアは紙袋から例の本を取り出し、トクトアに手渡たそうとしたら案の定拒否された。
いくら本好きのトクトアでも、これは触らないだろう、と予想はしていたがやっぱりそうだった。
「……其方、これは要らんぞ。表紙を張り替えたなら良いけどな」
今度は一筆箋の方を見せる。
すると、こっちの方はすんなり普通に触ってくれた。
「湘か…… 其方の家に縁のある者かも知れんぞ」
「まさか!そんなことあるわけないですよ。まあ、いつかは蘇州の地に行きたいと思いますが……」
「………其方は屋敷から出るつもりなのか?」
「え!?」
「………いや、なんでもない。まだ先だろうしな」
トクトアの表情が、なんとなく暗く沈んでいるように見えた。
シュエホアは気付かない振りをして湖面の方を眺めた。
「……まあ何かを始めるにも先立つモノ。つまり金がいる。良い働き口を教えてやろうか?」
この思いがけない情報に、シュエホアは身を乗り出して聞いた。
「ええ!是非!!」
「では、まずは伯父上が河南行省へ行く時に一緒に付いて行くんだ。仕事は向こうから必ず来る!」
バヤンは河南行省の長官だ。
「分かりました!とにかく一緒に付いて行けばいいんですね!?」
「ああ、向こうでの生活はきっと良い経験になると思うぞ!」
シュエホアは、トクトアの美しい横顔を眺めながら、さっき見た暗い表情はもう消えていることに、内心ではホッとしていた。
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