第30話 箝口令

 二人が屋敷に戻ると、皆いったい何処から情報を得たのか、早くも女店主の事件が家人達の間で噂になっていた。

 途端に二人の顔色が悪くなった。

 噂の源はどうやら海藍ハイランのようだ。

おそらく実家から帰る途中、野次馬の誰かから聞いたのだろう。


「本当なんですよ!お嬢様!強盗に刺されたんですって!怖いですよね!!」



ハイランは、トクトアから「カケスのように賑やかな娘だ」と言われているが、本人は不満に思っているらしく「自分はカササギです!」と言ったそうだ。

 カササギは昔から縁起が良い鳥といわれている。

 だが今のハイランは、庭の木に止まって騒ぐカラスのようにうるさい。

 きっと悪気はなかったと思う。

 ハイランは、かしましい所があるが裏表のない性格をしており、一緒にいると楽しい。

 シュエホアも彼女のことをとても気に入っていた。

 トクトアが言うように、賑やかで陽気なカケス娘だ。

でも流石に〈ジェイジェイ〉なんて声で喋らない。

 

(私達があの場所にいたと知っていたら、ああは言わないでしょう。仕方がないと言えば仕方ないか)


 夕食後、居間で寛いでいた時。

 バヤンは阿剌吉アルキ酒を飲みながら言った。


「ちー坊、今日は街に行ったんだってな?なんか、えらく黙りこくってるじゃないか?其方らしくもない。いったいどうしたんだ?」


 シュエホアが口を開きかけた時、居間に侍女監督のナルスが現れ、その後ろから続々と侍女達が後を付いて現れた。

トクトアは、集まった侍女達に事件と注意事項を話し始めたが、何故か目線だけはシュエホアに向けていた。


「今日、斜街市しゃがいしで凶悪な事件があったのを知っているな?そこで其方達、か弱き女達に守ってもらいたいことがある」


 侍女達の中には、互いに笑い合ったり指を差し合い、まるで他人事のみたいに思っている不謹慎な態度の者もいるので、長年侍女達を監督するナルスは恥ずかしく思いながらも手を叩いて注意を促した。


「これ!命に関わることです!若君は真剣に話されているのですよ!しっかりお聞きなさい!」


 すいません、叱られた侍女達は謝った。

 どうも〈か弱き女達〉という言葉に反応したらしい。

 まだ行儀見習いの若い娘達も多く、ついはしゃいでしまったのだろう。

 

「さあ、若君!先をどうぞ」

 

 ナルスに仕切り直されてトクトアは再び話し始めた。

 淡々と話を続けるが、相変わらず視線はシュエホアに合わせたままだ。

 それは、常日頃からよく問題を引き起こし、みんなに迷惑を掛ける児童を見守る先生と同じに思えたので、シュエホアは居心地が悪くてしょうがなかった。


「今後、外出する時は、なるべく二人以上で行動してもらいたい。女の独り歩きは危険ということだ。これは犯人が捕縛されても変わらぬ。シュエホア、其方には護衛を着けるゆえ、これからは一緒に行動するように!よいな?」


 その場に居た全員が返事した。

 侍女達は居間から出て、各々部屋に戻って行った。

 ところが、最後にハイランが出ていく番になると、またうっかり余計なことを喋った。


「本当に怖いですよね!一面、だったんですって!」


海藍ハイラン……」


 シュエホアが咎めるようにハイランの名前を呼んだ時、突然後ろで大きな物音がした。



ガシャン!!



 ユファが皿を落とした音だ。



「……も、申し訳ございません!」


 ユファは、血の気が引いたように真っ青な顔をし、うつむいた。

 バヤンはハイランを睨みながら言った。

 

「ユファ、大丈夫か?もう、よいから下がっておれ……」


 ハイランは亀のように首をすくめ、済みません、と言った。

 バヤンはユファに理由を聞こうとはせず、今夜は早く休め、と気遣った。

 


 

 女店主の死因は刃物による出血死と聞いた。

 

 検死をした役人と医者が調べた結果だ。

 しかし、事実は違っていたことが判明した。調べてみると、なんとこれが だと分かって捜査関係者は全員驚いたらしい。

 当初は強盗による殺人と考えられていが室内は荒らされた形跡も、争った痕跡も見られなかったという。 信じられない事だが身体の何処にも


 

 しかし身体中の血が一度に出ていくなんてことが現実にありえるのだろうか?

 この事件の真相については他言無用と政府から厳しい箝口令が敷かれていた。

 つまり、ごく一部の者だけが知り得た情報ということになる。

 余りにも噂が広まり過ぎて、今更変死という事実を公表出来ないのが理由だという。

 だが壁に耳あり障子に目あり、いつの時代でも話はある所から漏れるようになっている。


「シュエホア、情報提供したんだから教えろ。その女店主は何者なんだ?」


 トクトアは、常日頃から警巡院の役人の一人を部下に命じ、密かに尾行させている。

 思った通り。色目人商人から賄賂を貰っている現場を見付け、後でその役人を呼び出し、脅かして情報を得ていた。

 時代劇なんかによくあるシーンと同じだ。

 

「凄いですね…… トクトア様は」

 

「このやり方も政治には必要でな。ただし、やり過ぎるとこちらの身も危うくなる。何しろ筒抜けになるんだからな」


 トクトアは書斎の魔除けお面に付いた埃をハタキでささっと拭きながら返答を待っていた。

 書斎は二人の共通の癒しの空間でもあるが、お仕置き部屋兼密談の場所になっていた。


「店主は名を小芳シャオファンと言って、占いも副業にしていました。私を占ってくれましたが、これがなかなかよく当たるのです!今日はユファも運勢を見てもらおうかなと思っていたら、あんな恐ろしい姿で…… とてもお気の毒でした」


 と、最もらしい理由を言った。

 それに対し、トクトアはにべもしゃしゃりもない言い方をした。


「占い師だというからには、自分の死も予言するべきだったな。寝床であればあれほど大事にはならなかったものを」


 余りの言いように、シュエホアは腹が立ったが、勘繰られてはと思いぐっと怒りをこらえた。

 それを知ってか知らずか、トクトアは話を続ける。


「女店主は書籍屋を営んでいたとか。其方は何の書を探していたのだ?」


 トクトアはこちらをを射るよう目で見つめた。


(この人には敵わない。まるで狐の様に獲物の裏をかいたり、泳がせて、最後には捕まえる狡猾な人なんだわ。まさかとは思うけど、事件を利用して、私が勝手に動き回らないようにしてる!?)


「書を……『拾遺記』と『述異記』の両方を読んでいただけです」


 トクトアは卓子の前の椅子に腰かけた。


「トクトア様!血は一度に全て出てしまうことってあるのでしょうか!?」


 あれはどう考えても悪鬼の仕業としか思えない。


「ないな…… あれは尋常ではない。医者は吐血だと言っていたそうだが、どうも納得出来ん。かと言って疫病でもない。だが、この事件のせいで市場を取り仕切っている商人達が次々と文句を言って来ているようだ。早く犯人を捕まえてくれないと客足に影響が出る、とな。多分、その内に本当のことを話すしかなくなるんじゃないか。病死としてだが……」


「その方が良いですね……」


 現実にいるのかどうかもわからない悪鬼の仕業などと。


(何かが…… 私の周りにいる)


 今は女店主の冥福を祈ることにする。


「ところで、何の話を読んでいた?」


 トクトアは卓子の上で組んだ手に顎を乗せてこちらを見ていた。

 顔の表情も先程とは違って柔らかく優しい。

 胸がキュンとした。


「えーと、『洞庭湖の竜女』と『爛柯らんか』です。とても面白くて時間が経つのも忘れていました」


「じゃあ、『桃花源記』なんかどうだ?桃源郷に行った話だ。そんな所があれば行きたいものだ……」


 トクトアはどこか寂し気な顔をして、椅子から立ち上がった。


「もし、見つかったなら…… 共に行かぬか?」


 なんと答えていいか分からなかった。

 彼がこんな冗談を言うなんて思いもしなかったから。

 けれど、顔は横に向けたまま憂いの表情で言った。


「いや……ただの戯言だ」


 と一言、彼は部屋から出た。

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