第23話 偏屈な名匠


「わあー、これが本場の涮羊肉シュワンヤンロウなんですか?」


 皆さんご存知、北京料理でお馴染みの羊肉のしゃぶしゃぶだ。

 しかし、今は現代ではないので、目の前には火鍋ホーコーは置いていない。

厨房から熱々の茹でたてが、そのまま皿に盛って出てきた。


「ちー坊、食べてみろ!

 美味いぞ!!」


「羊のお肉って苦手なんです…」


 バヤンが勧めてきたが、小さい頃に初めて食べた時、その独特の匂いとクセが苦手になってしまった。

 以来、目の前に出てきても絶対に口にする事はなかった。


「いったい何処のを食べたんだ?

 肉をよく見ろ、綺麗に薄く切ってるだろ?それに柔らかくて、身体にとても良いんだぞ!!」


 これは本当の話、ヘルシー料理で人気だ。バヤンはなんとか雪花シュエホアにしゃぶしゃぶを食べさせたいと思っているのを知ったトクトアは、肉を小皿によそって薬味や調味料をかけて目の前に置いた。


 こうまでされては食べない訳にはいかない。

 シュエホアは思いきって食べてみた。


「あれ?本当だわ!柔らかくて美味しい!」


「そうとも!これを食べて元気が出た、フビライ・ハーンは戦いに勝ったんだぞ!」


 バヤンはフビライ・ハーンと羊肉のしゃぶしゃぶ誕生の話を始めた。トクトアが覚悟しとけ、と目配せした。本当に長い、長い話だった。


 簡単には話すが、フビライ皇帝が北から南へ遠征している頃の話だ。フビライ皇帝は長い遠征で元気がなかった。彼は故郷の羊肉の煮込みを食べたくなって、料理人に頼んだ。

 ところが、突然、敵が攻めて来た。

 フビライ皇帝ピンチ!「お腹が減って力が出ない!肉~!!」彼は絶叫した。料理人は慌てた。まさか生の羊肉を食べさせる訳にはいかない。そこで料理人は、羊肉を薄く切って茹でる事を思いついた。フビライ皇帝、椀に盛られたしゃぶしゃぶに塩、生姜をかけ、ムシャムシャペロリ!「よし!力が湧いてきた!!」そして彼は戦に出て勝利した。「この料理、気に入ったかも!!また、食べたくなったから作ってよ!!」 それから、彼はこの羊肉のしゃぶしゃぶを酒宴にも出して、「ワハハハ!超~ご機嫌!これからもこれ食べるから!!」と、大満足したらしい。以上だ。



 他にも次々と料理が運ばれて来た。鴨の料理、西域野菜の炒め物、水餃子、麺類、葱油餅ツォンヨウピン南国の果物、揚げ菓子、砂糖菓子。


「もう、お腹がいっぱい。食べれません…」


 食べきれないデザート類は持ち帰り用の箱に詰めてもらうことにした。



「さて、腹もいっぱいになったし、

 そろそろは愛刀を取りにいくか」


「はい。しかし、あの者は拘りが強く、出来ているかどうか……伯父上、これから他の者に任せては?」


 途端にバヤンは難色を示した。


「いや、あのおやじでなければ駄目だ!偏屈だが隠れた名匠だからな!!」


 愛刀。

 拘りが強い。

 隠れた名匠。

 偏屈おやじ。

 シュエホアには何となく分かった。


「ひょっとして、刀鍛冶ですか!?」


「ああ、腕は超一流なんだがな…」


 ため息をつくようにバヤンは言った後、それにトクトアが続く。


こだわりが強くて、おまけに愛想悪い」


 トクトアは苦虫を噛み潰したような顔をした。向こうもトクトアには言われたくないだろう。シュエホアは笑いをこらえた。



 その隠れた名匠の住まいは、都内の北の寂しい区画にあった。

 おまけに泥棒さえも逃げ出す程のあばら家で、本当に人が住んでいるんだろうか、と思うほど家の中が静かだった。


(お、お化け屋敷!?)


 薄暗い室内には、鉄屑、鋼の塊、ふいご、火箸、砥石、小槌、金床といった時代劇ドラマによく出て来る、刀鍛冶の道具が見える。


「おい、おやじ!約束の期日だから、剣を取りに来たぞ!」


 バヤンは名匠のことをそのまま、『おやじ』と呼んでいる。


「あ?なんだ、もう来やがったか……」


 奥の方から低い、しわがれ声が聞こえた。なんだか面倒臭そうに答えている。なるほど、噂通りの人物らしい。


「出来てるぞ。ったく面倒臭ーえな……ほらよ!」


 名匠は壁に立て掛けてあった剣を手に取ると、面倒臭そうに二人に投げた。

二人もこの名匠の対応に慣れているらしく、別に文句も言わずに愛刀の出来を見た。


「……剣気が良くなっている。刃の輝きが違う……やはりおやじに研いでもらって正解だ!」


 バヤンは満足そうに愛刀を眺め、鞘に戻した。カチンという音がまるで愛刀が返事をしているかのようだ。流石のトクトアも感嘆の声を漏らしている。名匠は、二人の反応に当然と言わんばかりの顔をしていた。


「ふん、お前さん達武将は遠くからでも血の匂いがプンプン漂うでな、すぐに分かる。特に将軍!あんたのはもう、魔の剣だ。人の血を吸い過ぎておる!よく平気で持ってられるな!!」


「フフフ、分かるか…… 流石はおやじだ!」


「当たり前だ!そんじょそこいらのへなちょこ共とは年季が違うからな!ワシに鍛えられない刀剣はない!」


(すごい。このおじさん…)


「うん?おや!後ろにいるのはお嬢ちゃんかい?」

 

 名匠は二人よりも、シュエホアに視線を向けた。


「はい。こんな格好をしてますけど」


(げっ、まさかめちゃくちゃ怒られるんじゃ?女は鉄を汚す!!とか言って…)


 シュエホアは内心怯えまくった。

 ところが名匠は意外な反応を示す。


「可愛いお嬢ちゃんよ。よう来なすった!ささ、美味しい茶菓があるから、ここにお座り」


 名匠はいったい何処に置いていたのか綺麗なひじ掛け椅子と茶菓を用意して、シュエホアを手招きした。


「あ、ありがとうございます」


「いいんじゃよ。可愛いお嬢ちゃん」


 名匠は、今まで二人にも見せたことがないようなニコニコ笑顔をシュエホアに向けている。

 この名匠のガラリと変わった態度にバヤンとトクトアの開いた口がふさがらなかった。バヤンは抗議するように言った。


「おい、おやじ!俺達にも茶ぐらい出したらどうなんだ!」


 トクトアは、伯父上頑張れという風に見ている。


「あ、茶か?すまんな気が利かなくて……ほれ!自分達で勝手に入れて飲めよ!」


 名匠は面倒臭そうに茶器を持って来ると、卓子の上にうっすらと溜まった埃を口でフーっと吹き飛ばすだけで、拭かずにそのままドサッと置いて行った。

 吹き飛ばされた埃は二人の顔を直撃する。


「ブホッ、こらおやじ!!ヘックション!!」


 バヤンはくしゃみを連発し、トクトアは咳き込んだ。

 気を取り直して二人は茶を飲むことにするが、湯呑みに注いでみると、全くと言っていい程に色が出なかった。


「こら、おやじ!この茶葉、出がらしじゃないか!」


 バヤンが怒鳴った。


「いちいちうるさい奴等だな……この前来た丞相じょうしょうの息子達なんぞ、そこに置いてあるのを飲んでたぞ!」


 名匠はトクトアの後ろを指差した。見ると、杓が入った水桶だった。自分達の方がまだ、人間扱いされている。

この事実に不機嫌だったバヤンとトクトアも気分が幾らか晴れた。


「こんな所に居てもな……もっと面白い所に行くぞ。じゃ、おやじまたな!!」


「へん!嫌なら来るな!!」


「ご馳走さまでした。お茶もお菓子もとても美味しかったです」


「ああ、また遊びにおいで!」


 全く、天と地くらいの差がある対応の仕方だ。名匠はシュエホアには笑顔で挨拶したが、二人にはチッと舌打ちした。

 二人も負けじとチッと舌打ちした。


(何?この挨拶…)


 名匠の家を後にし、バヤンは思い出したように笑った。


「フフフ。丞相の倅、唐其勢タンギス塔剌海タラハイがあの水桶のを飲んだのか。まるで家畜扱いではないか!!ワハハハ!流石はおやじだ!気に入った!」


 バヤンはスカッする、と笑った。


「しかしあのおやじ、腕が一流だから良かったものの普通なら無礼討ちです。態度もあからさまに表に出し過ぎです…」



 トクトアは不満げに言った。

 バヤンはまあまあと、若い甥の肩をポンポンと叩きながらなだめた。


「それが、あのおやじのいい所だ。自分の腕に絶対の自信を持っているからこそ出来る特権みたいなもんだ。おやじはいい加減な仕事は絶対にやらない。それはな、いつも命を掛けてるからだ。俺達みたいに嫌な仕事もやらなくちゃいけない、いちいち丞相の顔色を伺うようにいるよかずっといい。羨ましい生き方さ!!」


 誇りを持つ生き方。

 自分を信じ、権力を嫌い、孤独も友とし、時には野いばらが生い茂った険しい道程を歩く事もある。プロフェッショナルは大変だ。

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