湖水の都

第22話 大都散策


「お嬢様、男装がお似合いですが、本当にそのお姿で行かれるのですか?」


柳花ユファ雪花シュエホアの癖のある髪に櫛を入れた。


「ええ、そうよ!馬に乗る時は動きやすい服がいいの」


紺色の絹地の繻子しゅす織りの衣。 仕上げにユファは、帯に緋色の石の付いた房飾りを付けた。


「自画自賛なんですけど、私がお作りした佩玉はいぎょくが良い差し色になっています」


「あら、本当!素敵だわ!ありがとうユファ!!」


「お嬢様の幸福とご健康をお祈りしながらお作りしました。きっとその通りになります!」


ユファは頬を赤く染め、はにかんだ。

 

「シュエホア、用意は出来ているか?そろそろ出発するぞ」


トクトアの声が廊下から聞こえた。

今日はバヤンとトクトアの案内で大都の街を見物だ。足も完治したから走る事だって出来る。

 

「はい、今から参ります」


シュエホアは羊革の長靴を履いた。

トクトアの後ろに付いて玄関に行くと庭からバヤンの呼ぶ声がする。


「おーい、まだか~?ちー坊!行くぞー!!」


(はて?ちー坊っていったい誰のこと!?)


なんとなくトクトアの顔を見たら、


「其方のことだろ」


「え?私のことだったんですか!?」


  バヤンがいたずらっぽく笑った。


「そうだぞ、其方の愛称だ。小柄で可愛いという意味でな」


 「お!その佩玉いいじゃないか!」

 

 「えへへ。伯父様から頂いた赤瑪瑙をユファが佩玉に。とても素敵でしょう!?」


「これは見事な出来映えだ!売れるぞ!!なあ?トクトア」


「ええ。ユファはとても器用だな。 私もこしらえて貰おう」


二人は、ユファの才能に驚いた。


「よし、出発するぞ!まず途中まで馬で行き、街の厩舎きゅうしゃに馬を預ける!ちー坊はトクトアの前に乗せて貰え。馬は乗ったことがないと落っこちる場合がある。ただ乗っているだけでもだ。大丈夫か!?」


「はい。大丈夫です」


シュエホアは馬丁に馬を抑えて貰って鞍に跨がった。

手綱を手に取り、難なく馬に乗っているのを見てバヤンは安心した。


「ほう。どれ、それではお手並み拝見といくか。トクトア、ちー坊の後ろに乗れ。手綱をそのまま持たせろよ!」


「あの、ちょっと……」


 自分はトクトアの前に乗っているには違いない。だから安心して乗っていられるのだが手綱を持つとなると、やっぱり不安に思えてくる。シュエホアが躊躇していると、トクトアが手綱に手を添えて言った。


「大丈夫だ、私が見ているから心配するな」


「では行くぞ、余り飛ばすなよ!

我等は騎馬民族だ!落馬は恥と思え!」


バヤンが先に愛馬ゲレルで進んだ。えらく速い。


「さて、行くか」


トクトアは、シュエホアが持っている手綱を引っ張って馬を前に向かせた。


「行ってらっしゃいませ!」


こちらに気付いたユファをはじめ、家人達が一斉に声を掛ける。

執事のトゥムルが言った。


「お土産はいりませんよ!!どうかお気を遣わずに!」


「では、行って参ります!」


再びトゥムルが言った。


「本っ当に!お土産はいりませんからね!!」


ちゃんと買って来い、という意味らしい。

おかしくてなって吹き出してしまった。

シュエホアは、家人達に手を振ると馬に歩き出すよう促した。


(私、馬の腹を蹴るのって好きじゃないのよね。でも、仕方ないし)


乗り手の気持ちが伝わったのか、トクトアの愛馬サルヒは軽快に歩き出した。一緒にトクトアが乗っているせいもあるだろう。


「上手い!驚いたな…… だが、視線が少しずつ下向きになっていってるぞ。姿勢に気をつけろ」


「はい!」


トクトア師匠に言われた通りにする。


「手綱を短く持ち過ぎだ。馬の頭が上がり過ぎてるのが分かるな?手綱はもう少し緩めに持つと良い」


トクトアの的確な指導の元、懸命に手綱を操る。

彼の手に触れられる度にシュエホアの胸が高鳴り、馬が揺れる度に二人の身体が触れる。

思わず振り向く。形の良い唇が迫り、今にも触れられそうだ。

彼の官能的な甘く優しい、低い穏やかな声音は、シュエホアを悩ませた。

でも本当は、どうかこのまま永遠にと思っている。


「………しても良いか?」

 

トクトアの言葉に、シュエホアはびっくりした。


「え!?今、なんて言ったんですか?」


心臓が早鐘のように鳴り始めた。

顔が赤くなっていくのが分かる。

シュエホアはトクトアの言葉を待った。


「少し飛ばしても良いか?と言ったんだ。伯父上の姿が見えなくなったからな。手綱を貸せ。走るぞ!」


全くの勘違いだった。


(なんだかホッとしたような、残念なような……)


大都は南の方角には宮殿が配置され、周りを皇城(城壁)が囲んでいる。外側には役所、寺院、住宅地、商業地区、運河があり、その周りを30㎞(60里)にも及ぶ城壁に囲まれていた。城壁には城門が作られており、全部で11ほどあるという。

 現在では、城壁(土塁)が一部のみ残っており、〈元大都城垣遺跡公園〉の名で、市民の憩いの場になっている。

 春は海棠かいどうの花が美しい。


また、中央部に広がる積水潭と呼ばれる人口湖があり、貿易港の役割をしていた。この湖と東へ約50㎞の通州までの間を高低差37mの閘門式こうもんしき運河(通恵河)でつなぎ、さらに通州からは河川を利用して渤海湾ぼっかいわんに面した海港の直沽ちょくこ(現在の天津)に至ることができる。

内陸部だが、海から物資を積んだ河船がやって来るのだ。

草原の元遊牧民でありながら、海運によって経済を発展させるなんて、やっぱりフビライ・ハーンはすごい。

一行は街の厩舎に馬を預け、今度は徒歩で行く。


驚いていたのが異民族の商団の多さだ。沢山の商人達が集まっており、彼らの露店が軒を連ねる。

そして市場は活気に溢れ、様々な物資が行き来していた。

ペルシャ絨毯、コバルト染料の青花磁器、西域で採石した玉石、真珠、珊瑚、香辛料、香油、香木、香料、更紗生地、毛皮等。

市場も多く、羊市、馬市、牛市、駱駝市、驢騾市ろらいち鵝鴨市がおういち沙刺市しゃらいち(宝石)、鉄器市、米市、麺市、書籍市、文具市、帽子市、緞子市どんすいち等。

とても一日やそこらで回れない。


街の広い通りに出ると、人々の歓声が聞こえてきた。


「うわー、あっちで大道芸人がいますよ!綱渡りですって!!」


シュエホアが何度も立ち止まっているのを見たバヤンとトクトアは、後戻りして、シュエホアの両脇を抱えるとスタスタ歩き出した。

時々、地面から足が浮いている。


「こら、ちゃんと付いて来んと人買いか人拐いに狙われるぞ!!もう何も見んように、手で目隠ししてやる!」


「全く、其方は手がかかり過ぎる!」


「キャー、やめて下さいよー」


これでは誰が見ても人さらいだ、と突っ込みたくなる光景だ。

やっと、大道芸人から見えなくなる位置にたどり着いた。


「わーい、面白かった!!」


「何がわーいだ、全く!」


バヤンはそう言いながらも、笑っている。


「疲れる……」


トクトアは家族旅行に疲れた母親みたいなことを言っていた。


「さて、まずはちー坊、其方の衣装からだな」


バヤンは大都で高官、皇室御用達の大店に連れて行った。


「よう!主。元気でいるか?」


まるで気軽に入れる居酒屋に来たような感じで店主に声を掛ける。


「いらっしゃいませ。これはこれは!バヤン将軍と甥御様!ようこそおいで下さいました!」


店の主は愛想笑いを浮かべて出迎え、トクトアの後ろにいるシュエホアを見た。


「あの、失礼ですが……こちらの方は?お、お嬢様?でいらっしゃいますか?」


服装が男物なので、店の人が迷うのも無理はない。


「ああ。男の身なりをしておるが、女子おなごだ。馬に乗るのに、その方が動きやすかろうと思うてな」


それを聞いた店主は、大袈裟に驚いて見せ、身振り手振りを加えながら、シュエホアの事を誉めた。


「さようでしたか!しかし、なんと色の白いのでしょう! 白木蓮…… いや!白磁の如く美しい肌!私は今まで見たことがありません!!

お顔もお人形のようでいらっしゃる!!」


とまあ、オーバーリアクションで誉めること。まるでひと昔前の、海外のテレビ番組の司会者のようだ。驚いて目を見開いたまま大きな身振り手振りで「こんなこと信じられない!!ワオ!!」って感じを演出する。


(は、恥ずかしい……)


「店主、今日ここへ来たのはこの娘の採寸をして欲しいのだ。それで何着か服をこしらえて貰いたい。この白磁の肌を引き立たせるのをな。今はまだ必要ないが、冬の外套も頼む」


「はい、承知いたしました!お任せ下さい」


俄然、張り切る店主。

では早速採寸を、と奥にある部屋に通された。


「すぐに済みますので、気を楽になさって下さい」


店主はお針子達に命じて採寸をさせた。


「まあ、なんとお可愛いらしい!」


女性達は感嘆の声を上げた。

採寸と言っても服を脱がず、用意された目盛りが入った紐でささっと素早く測るので直に採寸は終了した。

逆に時間がかかったのはバヤンとトクトアの方だ。

 二人共、熱心に生地を見ている。

珍しいジャワ更紗さらさ、西域の金糸が入った錦織り、アラベスク模様の絹地、高級な天鵞絨ビロードの絹地。

トクトアはバヤンの提案でアラベスク模様の黒地の生地で一着、綸子りんずの紫地と白地を使い、もう一着仕立てさせた。 聞けば宮中の行事に着る服なのだとか。


(うわーどんなのが出来るんだろ?早く出来るといいな!)


店を出ると、さあ今度は昼食にするか、と大都で一番格式のある酒楼に行くことに。二人は常連客か、店主は満面の笑みで出迎えてくれた。ここでも、さっきの大店の店主と同じような反応で、シュエホアことを誉めちぎった。

誉められて嬉しくない訳じゃないが、少しオーバーなのが恥ずかしかった。

酒楼では一番良い部屋に通された。


「すごい。完全個室なんですね。部屋の雰囲気も良いですし、これならゆっくりと過ごせます。お二人はよくここにいらっしゃるのですか?」


「まあな……」


バヤンは短く答えると、出された茶を早速飲み干し、空になった湯呑みを卓子に置いた。

 店主の心遣いで最初はぬるめで提供しているらしい。

トクトアは空の湯呑みにおかわりの茶を入れながら答える。


「よく来るほうだな」


シュエホアも湯呑みを空け、卓子に置くとやっぱり思った通り、トクトアが入れてくれた。美青年に入れて貰えるなんていいな。


(嬉しい!!でも、お母さんみたい……)


「じゃあ、今度は私がトクトア様に入れますね」


シュエホアはトクトアの湯呑みに茶を入れようと急須に手を伸ばすが、いい、と断り残りの茶を自分の湯呑みに注いだ。

早く中身を空けて次の茶を入れて貰う為らしい。


「ちー坊、しっかり食べんと大きくなれんぞ」


「まあ、私は大人ですよ!」


今の時代ならシュエホアも大人。

もう結婚していてもおかしくない年齢だった。

ここでも、後家から行け後家にならないよう頑張れよ!だ。


「胸が大きくないじゃないか!」


「いやらしい!!伯父様、いつも何処を見てるんですか?言っときますけど、私はぺちゃぱいじゃありません!この服を着てるからそう見えるだけです!」


「ハハハハ、洗濯板なんだろ?」


「まあ!違います!!」

 

 ここから子供じみた悪口合戦か始まる。

 キャンキャン!ガウガウ!やーい変態将軍だの、やーい絶壁ちっぱいだの。うるさく騒がしい。

 

たまらずトクトアが両手で卓子をぶっ叩いて制した。

 

一瞬だけだったが、確かに卓子の上の茶器が浮いていたのが見えた。


「二人共、ここでの次元の低い会話は慎んで頂きたい……」


「……すまん」


「……ごめんなさい」


二人はトクトアに叱られ、反省した。

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