第18話 嘘と涙 トクトアの意図は?


   真実を話すべきか。

 いや、そんな話を誰も信じてくれる筈などない。

  よくTVドラマか本の主人公は、「自分は未来から来た」という台詞を言うが、それを聞かされた人間の気持ちを想像してみよう。

 多分、簡単には納得しない筈だ。

下手をすると精神病院行きは確実だろう。

 いきなり言うのはかなりの高リスクと心得なければならない。

 特にトクトアのような理詰めっぽい人物?にはよした方が無難だ。

    馬鹿にしているのか!とキレらされるのがオチだ。


「そうだったのか……」


  トクトアは何か思案をしながら、後ろ手を組み、歩き出した。

 そして急にピタリと立ち止まる。

 これは刑事ドラマの一場面。

 女優のオーディションは、まだ続いているのだ。もう頭の中がごちゃごちゃ。


  (まずい。怪しまれてるかも……)


「……不思議に思っていたのだが、其方は何処から落ちて来たのだ?」


   (え!?な、な、何ですって?それは考えてなかった!ど、どうしよう!)


  トクトアはぐっと近付き、雪花シュエホアの目。いや、もっと心の奥を探るかの様にじっと見つめた。


「それは…… どうせ、もう戻れぬ身の上です。勘当を覚悟で家を出たのですから!」


  シュエホアは感情を込めて言った。

そして決め台詞。


「故郷に帰れない私は、身を投げるほかなかったのでございます!」


  少し涙で目を潤ませた。

 今度はどうだ!と思わずドヤ顔をしたくなったが、本当にする訳にはいかない。       

 しかし、また予想外の言葉が。

  

「ほう。しかし、あの崖以外に高い場所など何処にもないのだぞ。いったい何処から身を投げたと申すのだ!?」


   いったい何処からと言われても。


  (うわー、なんかおっかない!この人…… 刑事さんみたい)


「が、崖の側に生えていた松の木が、これが、も、物凄く高いので、それに…登ったの…です……」


   しゃべる声も段々と小さくなり、最後は消え入りそうになっていた。

   その理由はトクトアが身を屈め、手をシュエホアの両肩に置いたからだ。

 まるで刑事ドラマみたいな尋問。トクトア刑事は更に犯人を追い詰めていく。


「わざわざ松の木に登ってか?そんな面倒な事をせずとも、すぐに落ちればよかったのでは?」


    トクトアは徐々にシュエホアを壁側に追い詰めておいてから、両腕でダブル壁ドンをした。

 完全に出口を塞がれて焦った。

  けれど、心の中はちょっぴり嬉しい気がした。これが俺様系?男子の必殺技・壁ドン、かと。

 しかもいきなり両腕ダブル。

 だが今は、トクトア刑事の尋問だ。


「か、確実に死ねる方法を…も…模索した……け…結果かな……です…ね」


   駄目だ。しどろもどろになってきている。

 トクトアは長い指先をシュエホアの顔に近づけると、もう悪あがきはよせ。早く吐いちまえよ、という感じで、今度は顎クイをした。


  「しかし…… 其方は直ぐには飛び降りなかった!やはり、命が惜しくなったからか?」


   トクトアの目の奥が一瞬、怪しく光った。

美しい顔が直ぐ側に。

 胸が恐ろしいくらいに高鳴った。


「そ、そうですね。やっぱりそうかも知れません。それに丁度、あなたが現れましたし……」


  (ひゃー信じて下さい。刑事さん!

私はやってません!!)


   そして、トクトアはいきなり顔を近づけ、シュエホアの耳元でこう囁く。


「フッ、まあ、いいだろう……」


  (嗚呼もうダメ。どうか私を捕まえて下さい……)


     トクトアは目線を合わせたまま、シュエホアから離れ、近くの椅子に腰掛けた。

 刑事ドラマみたいなオーディション?は見事合格したらしい。

 監督トクトアは認めてくれたのだ。

    何故か涙が出てきた。

 その理由は、嘘を付いたことによる罪悪感。

 嘘は一度つくと、もう後には引けなくなる。

 嘘で一番の罪は、人を傷付け、悲しませる事。

 仕方がなかった―― と。

 まるでサスペンスドラマの犯人が最後に口にするようなことを心で呟き、無理矢理自分を納得させた。


「泣くのをやめろ。そんな男のことで泣くとは…… 今回の事で、其方は多くの事が学べたのでは?ここに居れば良い。どうしても出て行く、というのなら引き留めはせぬが、女の身ではそれも難しかろう…… 今はまず療養が大事だ。良いな?」


   トクトアはシュエホアの側に寄ると、肩を軽くポンポンと叩いた。落とされた犯人みたい。

   なんだか後ろめたい気持ちになってきて、ポロポロと止め処もなく流れる涙。


「おいおい、そんな泣くと目が腫れ上がるぞ」


 彼は口数こそ少ないが、人一倍、洞察力と感受性が鋭いのかも知れない。

 きっと、本当の理由は他にあると、あの時の目はそれに気付いている、そう確信した。

 それでも彼は信じるふりをしてくれた。

 何故だろう……  しかし、トクトアはここから自分の都合の良い風に話を変更する。


   シュエホアの詳しい事情をトクトアから聞いたバヤンは、


「何だと!?両親が決めた結婚相手が嫌で家出をしたのか?で、相手の男はどんな奴だって!?」


   と、身を乗り出して聞いた。


「それが、伯父上と同じ中年男らしく、なんでも、若い娘を見付けると、上手い事を言っては山に連れ込む癖があるとか…… 地元では、かなり評判の悪い男らしいです」


   バヤンは、という言葉が引っ掛かったが、今は黙って甥の話に耳を傾けることにした。

 普段は伯父を気遣う甥なのに、今の言葉は正直グサッと胸に突き刺さった。

 しかし、若い娘達を山に連れ込むという話を聞いた時、同じ中年として恥ずべき行為だと怒った。


「なんという卑劣な奴なのだ!わざわざ山に連れ込むなどと。他にも場所なんていくらでもあるのに…… いや、すまん。と、とにかく!そんな奴から逃げて来て正解だったな!」


「伯父上、実は……」


   トクトアは急に声を潜めた。

バヤンは興味を引かれたのか耳をそばだてた。


   「何だ?まだ、他にもあるのか?」


「はい。当然の事ですが、シュエホアは親から勘当されています。理由は父親が男を恐れているとか。それだけではありません。男は追っ手を差し向けており、ここへ来る前にも、何度か見つかりそうになった、とシュエホア申しておりました」


    物語によくありがちなパターンだ。

 しかし、彼はそれを完璧な演技力で、さも本当の事の様に言った。

  彼も相当な役者だ。


  「むうう、なんというしつこい中年男だ!歳を考えろ!!恥を知れ!!」


    バヤンはシュエホアの事が不憫に思えて仕方がなかった。

 彼は男気があり、面倒見が良い所があった。それに一途で、けっこうロマンチストな所もあった。

 何故なら、五年程前に妻を亡くしてから、ずっと独り身を通していた。

 だから無理な結婚から逃げ出した娘という話を聞くと、それも無理からぬ事とあっさり信じた。

  そして何よりも、シュエホアの事がすっかり気に入ってしまったのが一番の理由だった。


「うん?待てよ…… 女の身でよくここまで来れたな!?」


   流石のバヤンも不審に思った。

そこをすかさずトクトアが言った。


「大運河です!あれなら多くの人と物資に紛れて来れます。船も多く行き交うので、容易に見つからない筈だから、とシュエホアが申しておりました」


   トクトアは壁に貼った地図に、水龍の化身のような大運河を見つけると、南(杭州)から北(大都)に向かって人差し指でなぞっていった。


「ああ京杭大運河か!それなら陸路を行くよりか遥かに楽だ。 まあ、海路もあるが乗る船によっては、おかしな連中がいないとも限らんからな、かえって危険な目に遭うかも知れん。利口な娘だ!よし、この憐れな娘をこちらが守ってやらねばならん!任せておけ、其奴らが来おったら、このバヤンがタタキにしてくれるわ!」


   バヤンは胸を叩いて請け負った。

トクトアは上手くいったとほくそ笑んだ。


「うん?待てよ!じゃあ、何でわざわざ虎のいる場所なんかに……」


  バヤンがまた新たな疑問点を提示してきた。

 面倒臭くなった彼は、伯父を軽くいなしながら寝室まで誘導する事に成功する。

 続いて人類が抱える漠然とした大いなる謎も織り混ぜて、無理やり伯父を納得させた。


「伯父上!もう、考えるときりがないので寝ましょう。きっと、彼女は運命に導かれてここまでたどり着いたのです。それは宇宙の始まりが誰にも分からないのと同じみたいなものです。明日も出仕では?」


   憐れなことにあの見合い相手は、変態ロリコン中年にされてしまった。

 その話をトクトアから聞いたシュエホアは、自分はとんでもない罰当たりなことをしていると思った。

 

 (嗚呼、罪悪感が…… 心がどんどん曇ってく気がする)


 元はといえば自分がはっきりと断れば良い話だった。

 それに、人は見かけで判断してはならない、と蘇州の祖父母にいつも言われていたのを思い出した。


「ところで一つ聞いても良いか?

本当のところ、その男の事は何とも思ってなかったんだろ?」


  何で今頃そんな質問を?と内心驚いた。


   (確かに何とも思ってないけれど。そんな事を言ったら、また面倒臭さそう)


   シュエホアは直ぐには答えなかった。

 彼がどう話を続けるのか聞きたかったのだ。


「上手く厄介払い出来て良かった。

そう思ったのでは?」


  その言葉にギクリとした。


「そ、そこまでは……」


   本当はそうかも知れない。

 段々と顔がうつ向いていった。


「何だ違うのか?」


   彼はシュエホアの顔を下から覗き見た。

 彼の目は魔性の者のそれだ。

 目を合わせば、きっと言わずにはいられなくなる。


「……そうかも知れません。でも彼は、自分から居なくなったのは本当です!」


「そうか……」


(じゃあ、好きでもない者とここまで来たって訳だな?とか次、聞きそう。わ~どうしよう!?)


「そうだった。あの時、あの場所には其方と私の他に誰も居なかった……」


   そう呟き、トクトアは謎めいた微笑を浮かべ、それ以上は何も聞かなかった。

 シュエホアは油断ならない相手だと思った。

 多分これは宿題みたいなものだ。きっと忘れた頃に聞いてくるに違いない。彼はいったい何を考えているのだろう?それはいつも思う。

 けれど彼はこの世で一番信頼出来人には違いなかった。

  ただし弱み?みたいなのを握られた気がするが。


  (いつか、この借りを返さなければ)


   今は彼に感謝しなければ、と思うシュエホアだった。


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