第15話 地獄耳
気が張っていたのか、ここに戻ると落ち着く。
「これからどうしよう。今は怪我で動けないけど、少しずつでも現代に帰る方法を見つけておかないと!でも、どうやったら帰れるんだろう?」
枕に腕と顎を乗せ独り言を言っていると、扉の向こうから
セーフ。
とりあえずだらしない姿を見られずに済んだ。
別に寝台の上で横になっていても良かったのではないか?という気もするが、それほど悪くもないのに上げ膳据え膳みたいな立場もどうかと考えた。
貴婦人とは誇り高いらしい。
むやみやたらと「痛い!」を連発してはならない。
「花茶をお持ちしました」
シュエホアは、精一杯、
「あ~らオホホホ。ありがとう!本当に何から何まで良くしていただいて。嬉しくってよ」
純真なユファはニコニコ笑顔で茶を差し出した。
器から
「ありがとう。私の好きなお茶だわ」
口元に運ぶと香りを嗅ぎ、ゆっくりと口に含んだ。
「……とても美味しい!湯の温度も丁度いいわ!あなたが入れて下さったのね?」
「はい!喜んで頂けて嬉しゅうございます。実はトクトア様がお出しするように、と」
「まあ、トクトア様が?いろいろ気を遣って頂いて申し訳ないわ」
「お嬢様、お怪我が治るまでお暇では?何かお好きなことはございますか?」
「好きなこと…… そうねぇ、本を読むことかしら」
この時代の
(フッ。私はこう見えても作家ですから!関係ないか……)
「まあ!それなら書斎がございますよ!トクトア様はいろんな書をお持ちですので、きっと、お気に召す書に出会えるかも知れません」
この反応を見たまえ。
やはり正解であった。
ユファは尊敬の眼差しでシュエホアを見つめた。
「トクトア様の蔵書!?それは興味があるわ」
ユファから、トクトアはバヤンと一緒に居間にいると聞いたので、早速書斎を使う許可を貰いに行くことにした。
「いや驚いた!ただの田舎の泥大根が、馬子にも衣装で出て来たと思ったな。しかし、あの娘、どの様に振舞うべきかしっかりと心得ているようだ!」
バヤンは手を顎に当て感心したように言った。
この伯父は口が悪い。
これでは誉めているのか
「伯父上、何度も申しますが客人に失礼では……」
「あ、いやすまん。我らの大事な客人であったな。えーと、名前がなんだった?湘 雪花・ガ、ガブ、ガブリア……マリファナ。違った!ガブリシャス・アメマ・ホルホグ?だったっけ?」
酷いくらいに自分勝手に改名されていた。
しかも、中には見過ごせないのも入っているではないか。
「湘 雪花・ガブリエル・マリーア・フォルトーナです」
トクトアが詰まることなく、スラスラと言っているのを聞いたバヤンは感心した。
「お前の頭の中はいったいどうなっているのだ!?よくもあんな面倒臭い名を言ってのけたな!」
「そうですか? ガブリエル…… ある書物で読んだことがあるのです。確か、聖人を身籠った娘に懐妊を知らせる役目を担った神の御使いのひとり、つまり天使と呼ばれる存在の名です」
「ほう、神の御使いか!縁起が良さそうな名前だ。しかし、やっぱりお前の頭はどうかしている…… 辞典みたいな奴だ。そういやぁ、お前は小さい頃から重い書をよく持ち歩いてたっけ…… 私の膝に座ってる時、狙ったように足の指の上に落としおった。しかも決まって角の部分から落とすので痛かった……」
人の困る場所を狙う―― 実に末恐ろしい子だ。将来、優れた軍人になるのは本当だ。
「そのようなことを、私が伯父上に?申し訳ありません……」
「ハハハ、覚えてないか?まあ、やった奴ってのは覚えてないもんだからな。私も毎回されてるのに懲りてないし。お前は本当に可愛い子供だったからな。思い出したが、お前も同じ赤毛だった!」
トクトアが驚いたように目を見開いた。
「私はそれほどではないかと……」
「いや、お前もあの娘と同じくらい明るい髪だったぞ。今は丁度いいくらいだから良かったな!」
良かったな、と言われても自分では分からないので答えようがなかった。
「まあ、明るい髪色同士、仲良くしろ。それと、余り動けぬ身だから退屈をさせぬようにな。何か良い案はないかな」
バヤンは天井を見ながら思案していたが、今時の若い娘の趣味や関心事など戦場しか知らないこのオジサンには難しいことのようだ。
まさか自分の武器・防具のコレクションを披露したとして果たして喜ぶのだろうか、と。
「この家には長いこと、女の子の客人なんか来ていなかったからな。あ~もう分からん!!」
「伯父上……」
トクトアは、何か言い掛けるが口元に人差し指を当て、廊下の方に目をやった。
扉の外に誰かが立っているのか、影が映っている。
「あの…… 泥つき大根が馬子にも衣装で現れたシュエホアですが、入ってもよろしいでしょうか?」
この影の主の問いかけに、二人は一瞬凍りついた。
特にバヤンは非常に気まずいのか、そわそわし始めた。
まさかしっかりと聞かれていたとは――なんたる不覚。
トクトアは、そら見ろという感じでバヤンを見た。バヤンは何処かに隠れようとしたが、時既に遅し。
トクトアが非情にもシュエホアを中に招き入れてしまっていた。
「お、ど、どうされたのかな?」
バヤンは動揺を隠し、正面に向き直ってなんとか平静を装ってはいるが、気まずさの為か居心地が悪そうにしていた。
その様子が、とぼけた感じが、シュエホアには可笑しくて仕方なかった。
「フフフ。いえ、立ち聞きするつもりはなかったのです。わりと大きな声でしたから聞こえていました。これからは重々お気をつけ遊ばせ。それから決して皮肉を言ったのではなく、冗談のつもりで言ったのです」
それを聞いたバヤンは天を仰ぎ、
側にいたトクトアは手で眉間を押さえていた。
シュエホアは二人を交互に眺めて笑った。
新しく入ったお茶を入れようと、茶器を持ち、廊下を歩く執事の耳に、賑やかな笑い声が届いた。
いったい何事かと思いそっと覗くと、そこには呆れ顔のトクトア、陽気に笑うバヤンとシュエホアが。
はて?と執事は首を傾げた。
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