第9話うろん〈胡乱〉な客!?


  トクトアの伯父は酒器を持ったまま現れた。


「もう!トクトア、待ちかねたぞ~一緒に酒でも飲もう…… えっ!?」


 驚いた伯父は、ずぶ濡れの雪花シュエホアを見て口をポカーンと開けた。

 

 「な…… だだ誰!?」

 

 そのうち持っていた酒器は傾いて、中身をチョロチョロとこぼしていてもまだ気がつかない様子だった。

見かねた執事が叫んだ。

 

「旦那様、中身中身っ!」


 ふと我に帰った伯父は、慌てて傾いた酒器を真っ直ぐにするが、突然の出来事に動揺を隠しきれなかった。

 トクトアの両腕には〈若い娘〉が収まっている。

 娘の白い腕はトクトアの首に回され、おまけに何故か二人の衣服は濡れていた。

 これが驚かずにはいられない。


「ト、トクトア!その娘御は!?

 ま…… まさか!」


伯父の頭の中に〈略奪〉の文字が浮かんだ。


(うちのトクトアが略奪だなんて、大昔じゃあるまいし。いったいどういうことなのだ!?)


 そんな心の中を体現するかのように、持っていた酒器は再び大きく傾くと、今度こそいくぜ、と中身を盛んに辺りに撒き散らしてコロコロと床を転がっていった。


「あっ、旦那様!!衣が濡れておりますぞ!」


 執事は伯父に駆け寄った。

この伯父の狼狽ぶりを見てもトクトアは顔色ひとつ変えないところが凄い。

 彼はどんな時も敬愛する伯父に礼を尽くすことを忘れないらしい。


「ご安心下さい。私は伯父上がお考えになっているような事はしておりません。後程理由を詳しくお話し致しますのでこれにて失礼します」


美しい顔にアルカイックな笑みを浮かべ、執事に伯父の事を頼むと、スタスタと歩いて行った。


「ちょっと、これトクトア!」


 それでもなお伯父は話を続けようとするが、今しがた命令を受けた忠実な執事がこれを許すはずもなかった。


「旦那様、お召し替えを!!」


「着替えなどと……」

 

 それほど濡れてないかろう、と伯父は衣の前を見て愕然とした。

まるでお漏らしをしたようではないか。

 執事は神妙な顔をして言った。


「旦那様、これからはお酒を持ったままお歩きにならないで下さい!宜しいですね?」


渋々頷いた伯父は、今は黙って執事に従う事にした。

 こぼれた酒と転がった酒器は侍女達によって黙々と片付けられたのだった。


 

 

東の間に着くと先程の侍女達が待っていた。

トクトアは絹張りのソファー雪花シュエホアを座らせると、一旦、屏風の後ろに隠れた。

  すると侍女達が一斉にシュエホアを取り囲み、「お手伝い致します」と、ぱぱっと慣れた手つきで濡れた衣類を脱がし、手桶の湯を含ませた手拭いで身体を拭い始めた。


「あ、あの……」


その手際の良さ、何よりも温かいお湯の感触に、やめて下さい、とは言えなかった。

お陰で冷えてきった身体が随分と楽になった。

 侍女達の何人かは、シュエファの着替えを済ませると、手桶を手に退室した。

 良いか、と屏風の後ろからトクトアが姿を見せる。

 それを合図に、別の侍女達がそれぞれ湿布、薬湯、茶器を持って現れた。

 何と素晴らしいコンビネーションだろうか。恐るべし。


「凄い!以心伝心ですね」


にこやかに微笑む侍女達から、お茶を受け取り薫りを嗅ぐと、ゆっくりと口に含む。

 湯の温度が丁度良く、香ばしい匂いが口に広がった。


「はあ…… 生き返ったみたいです」


 トクトアは微笑んだ。


「まだ、死んでおらんだろうが」


トクトアは床に膝つき、侍女達が捧げ持って来た緞子貼りの小さな足台スツールにシュエファの右足を載せ、薬草を染み込ませた湿布を甲に貼り、包帯で丁寧に巻いていった。

跪いた姿のトクトアは美しい。

艶やかな美しい栗色の髪。

凛々しい眉。

 美しい切れ長の目は、伏し目にすると、長い睫毛が淡い陰影を作る。

 形の良い美しい鼻筋。

 弓のような形の唇。

蒙古というよりか、ウイグル系の顔立ちに似ている。

 眉目秀麗という言葉は、彼の為にあるようなものだ。


(まさに完璧な人!今まで出会った人の中で一番のハンサムだわ!でも……)


とても落ち着いて見える。

 よーく見ればやっぱり、二十歳前後の若者らしい。

 肌の艶が違う。


(残念、私より10以上は下ね…… でも、何であんな上から目線かしら?私を年下だと思ってるの?)


トクトアの顔をじっくりと拝み、例の ″ 祖母の占い ″ の事を思い出した。

 祖母はかなりの霊感の持ち主で、わざわざ遠くから失せ物探しを頼む人がいたくらいだ。

  だからトクトアの馬に乗った時、こう思った。

 運命のってこの人かも、と。

 だが、彼はに乗っていた。

 では別の人という事になる。

 いやひょっとしたら、他にも馬を持っているかも知れない。

 馬の二、三頭くらいいそうな家だ。


(よし、厩舎を探してみよう!!あ…… でも年下の彼か。うーん、どうしようかな)


ト クトアが運命の人と決まった訳ではないのに、もうその気になっている。

 あれこれ自分の都合の良い事を考えていると、トクトアがこっちを見上げて言った。


「これで良し。安静が必要だな。治るまで、当屋敷に居ることだ」


――チャンス。

 しかし、ここで待ってました、という感じでいてはいけないと思い、一旦は断る。


「あの、それではご迷惑に…… 私は大丈夫です!この通り歩いて行けますので!」


 そう言って長椅子から立ち上がったその瞬間、急に立ち眩みを起こし、まるでソファーに引っ張られるかのように再び腰をおろす。

自分はソファーと一体化してしまった気がした。


(力が入らないし身体が重い。よこしまな事を考えた罰かしら?)


トクトアは心配そうに顔を覗き込んだ。


「大丈夫か?もう、とっくに日は落ちた。遠慮は要らぬ。ここに居ろ」


「あの、でも……」


「強情な娘だな!怪我人は大人しく寝ていろ!」


 トクトアは、にシュエホアを抱き上げると、強引に寝台へ連れて行く。

 ただ、直ぐに横にならせず、心配そうに見守る侍女から薬湯を受け取り、さあ飲め、と勧めた。

 見るからに苦そうな薬草エキスたっぷりの煎じ薬だ。

 仕方なく口にする。

 やっぱり思った通り、とても苦かった。


「うわ~強烈……」


顔をしかめながらも必死で飲み干した。

 トクトアの、射るかのような視線が痛かったのだ。


「飲…め…ました……」


「よし。多分、熱もあるのだろう

 顔が赤い。ゆっくり養生しろ」


先程とはうって変わり優しいに表情になると、さあ、と横になるよう促し、布団を顎の辺りまで引き上げてくれた。

 

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