第8話お屋敷へ


 馬は貴族達が住んでいる区画へと進んだ。

 なるほど、皆立派な家々だ。

 特に目を引いたのが、絹製の帳付きの豪華な亭のある大邸宅だ。

 かなり身分の高い人の家だろう。

 かつて草原で自由闊達に生きてきた民は、天幕から瓦屋根の屋敷に住み、漢文化に馴染んでいる。

 昔、内モンゴルから勉学にやって来た若い女性を思い出した。

 お姐さん、と呼び慕い、よく一緒に遊んでもらっていた。

 お姐さんは、とても綺麗で優しくおおらかな女性だったが、男の人を見る目はとにかく厳しかった。

 ボーイフレンドになった人は、全員泣かされた。

 多分いい加減な男と判断されたからだろう。

 父から聞いた情報によると、現在お姉さんは良い妻。

 それも肝っ玉母さんになっているらしい。


(お姐さん、会いたいな。どうしてるかな……)


 遥か遠く、内モンゴルの草原を歩いているであろうお姐さんを思う。


(いや、やっぱり都会が似合うかな)


 黒髪のロングヘアーにサングラス、タイトな服を着て、オープンカーで疾走するお姐さん。

 後部座席には可愛い子供達が乗っているのを想像して独りニンマリとしていた。


 オープンカー……

 このおそるべきベタな発想には笑える。

 都会の人で、皆は乗っていないだろう。

 昔から夢見がちな性質だ。


(カッコイイー、お姐さん素敵……)


 空想に浸り、うっとりしていた。


「着いたぞ」


 先にトクトアが馬から降りて下馬を促したが、馬上の娘はポーとしたままだ。

 怪訝に思いながらも、その腕を揺さぶり、もう一度今度は強めに声を掛けた。


「おい、しっかりしろ!着いたぞ!」


「……はい!?」


 突然、空想の世界から呼び戻され、呆けた目と鋭い目と目が合い、それからはっと我に返った。


「あっ…… ごめんなさい」


 慌てて身体を動かそうとするが、久しぶりに馬に乗ったせいもあって膝と内腿が痛んだ。

 おまけに河に落ちて身体が冷えきっているので手足を動かすのもおっくうだった。

 ついに、なかなか動こうとしない相手にしびれを切らしたトクトアが、背後から娘の身体を支えると、そのまま横抱きにした。

 夢にまでみた公主抱お姫様だっこきだ。

 

「あのっ、自分で歩けますからっ!」


 恥ずかしさでつい声が大きくなった。


「何を恥ずかしそうにする。足を悪くしているではないか!」


 そんな二人のやり取りを見た馬は、早く自分の居場所に帰りたいのか、自ら家人を呼ぶようにヒヒーンといなないた。

 

 馬の嘶きを聞きつけた家人達が、慌てて家から飛び出して来た。

 執事と思われる男性。

 揃いの衣服を着た侍女達。

 馬丁達。

 一同、こちらを見て大いに驚き、怪しんでいた。

 まあ無理もないだろう。

 ずぶ濡れの若様が、これまたずぶ濡れの娘を連れ帰って来たのだから。

 

「お帰りなさいませ若君!」


「な、なんと!!そんなに濡れていらっしゃるのはどうしてです!?」


「そのお嬢様はどなた様ですか!?」


 トクトアは、家人達の間をすり抜ける様に歩きながら、的確に指示を出していった。


「馬を厩舎きゅうしゃに繋いでくれ」


 まず、馬丁達が早速馬を動かす。


 「はい!」

 

「この方は大事なお客人だ。くれぐれも失礼のないように。部屋は庭を眺められる東の間を使う。それから湯の用意だ。着替え、湿布、薬湯、温かい茶を直ぐに用意せよ」


 「はい!」

 

 侍女達は、各々の役目を心得ているとばかりに走り去った。

 最後に残ったのは執事の男性。

 何か期待を込めた目でこちらを見つめていた。

 好奇心旺盛な性質か、わくわくしながらトクトアの後ろをついて歩く。

 シュエホアはトクトアの肩越しから

 笑顔で執事に会釈した。

 執事もにっこり笑って会釈した。


 

 お屋敷は手入れの行き届いた庭のある簡素な邸宅だった。

 古いが風格があり、梁や柱の彫刻の色彩も落ち着いた感じで好ましい。

 庭は広々としており、歩く時に四方がよく見渡せる工夫の九曲橋や雅な亭、太鼓橋が架かった眺めの良い池があった。


「素敵……」

 

 〈蘇州古典園林〉を思い出した。

 

(懐かしい……)


「伯父上はお帰りか?」


 その問いに執事は、待ってましたとばかりに答えた。


「はい、居間でくつろいでいらっしゃいますが」


 「そうか……」

 

 トクトアはそれ以上、何も言わずに中庭を突っ切って室内に入っていった。

 若様の素っ気ない態度はいつものことなので気にしていない。それでもなんとか情報を聞き出そうと後を追いかけた。


「あの…… そちらのお嬢様ですが、いったい……」


 執事がそう言いかけた時、居間の扉が開き、噂の伯父上とおぼしき人物が現れた。


「おお、やっと帰って来たか!……うん?」



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