第7話元の都


 トクトアは、「あれが大都だ」と当たり前のように城壁の方向を指差した。

 一見、万里の長城かと思う程に立派だ。


「だ、大都ですって!?」


 (ちょっと!元朝じゃないの!)

 

 驚愕のあまり、出した声が思いのほか大きく、慌てて両方の手で口を塞いでからそっと、後ろのトクトアの様子をうかがう。

 彼はこちらのリアクションに驚いた風もなく、落ち着いた様子で前方を見ていた。


(この人、何を考えてるかわからない……)


 大都とは、偉大なるチンギス・ハーンの孫、フビライ・ハーンが築いた都。

 現代の北京の前身である。

 蒼き狼の末裔達の都。


 チンギス・ハーンと言えば、○ドイツのアーティスト『ジンギスカン』を思い出す。

 この曲は世界中で大ヒットしたらしい。

 「うっ、はっ」の掛け声と「ジン、ジン、ジンギスカ~ン……」の一度聴いたら忘れない?中毒になりそうな!?あの歌だ。

 東の島国、○本の○○野球では必ず、この曲が吹奏楽によって演奏されているのだからある意味チンギス・ハーンは、世界征服を成し遂げたと言えるだろう。

 歌詞も一部際どい?一晩に七人を仕込むらしい。

 昔から、英雄は色を好む、というが。


 それが本当かどうかは知らないが、大変興味深い研究結果がある。 ある有名な大学の研究チームは、DNA解析の結果、(どうやって沢山のサンプルを集めたのだろう)チンギス・ハーンが、世界で最も子孫を残した人物であるという結論を発表しているのだから、まさに絶倫のアジアの覇者と言える。

 世界の数千万の人々の中にチンギス・ハーンの血は今も生き続けている。

 近所のお隣さんは、実は子孫かも!?ってことも充分あり得る。

 そう考えるとなんだか不思議に思えた。


 このチンギス・ハーン、かなりの異常者かも知れない。

 ご存知の方も多いと思うが、後年、重臣達に語った言葉がぶっ飛んでいる。


〈この世で一番の喜び、とは?〉


『殺戮、略奪の限りを尽くし、その泣き叫ぶ顔を見るのが無上の喜びである』と答えたとか。

 彼に征服されたある町の長官は、身の毛のよだつ残忍な処刑で死んでいるからあながち嘘とも思えない逸話だ。

 この最高の恐怖を人々の心に刻みつけることによって、裏切りなどの行為をさせないようにしたのか、それとも抵抗する気力をなくさせようとしたのかは分からない。

 しかし彼は、抜群の統率力と独自のカリスマ性でモンゴルを統一する。後にユーラシアを横断、東ヨーロッパを制するモンゴル帝国の礎を築くのである。

 彼の帝国は、 実に世界の四分の一を制したのである。

 これは大変な異業というか偉業だ。

 

 冒険の為に大遠征をして、死ぬ間際になっても後継者を指名せず、

 『一番強い奴に任せる』と言って亡くなった無責任な歴山大王アレクサンドロスとは違い、その後も帝国を運営出来る後継者に恵まれた。

 

 彼の息子と孫は事業を受け継ぎ、ポーランドまで進軍し、寄せ集めのヨーロッパ連合軍を蹴散らした。

 このまま行けば、ヨーロッパも支配下に!?と誰もが思ったその時だ。

 だが、これも天の配剤か?時の皇帝オゴディ・ハーンが亡くなったのである。

 モンゴルの軍勢は、世継ぎを決めるクリルタイの為、せっかく分捕った国をほっぽり出して慌ただしく帰って行った。

 斯くして、嵐の如くやって来た蒙古兵は、嵐の如く去って行き、ヨーロッパの人々は神に感謝をしたのであった。

 さて、モンゴル帝国の話はこれくらいにして話を戻そう。


 この大都に、かの有名な冒険家マルコ・ポーロ、旅行家イブン・バットゥータ。

 宣教師ではジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノ、法王使節ジョヴァンニ・デ・マリニョーリが訪れている。

 マリニョーリは1342年、恵宗(順帝)に謁見、4年後にイタリアへ帰国している。

 マルコ・ポーロに関しては、本当は大都にまで行っていなかったのでは!?と、歴史家達が言ったとか言わなかったとか。

 だけど信じたい。冒険家はみんなの憧れと尊敬と賞賛を集める存在なのだと。マルコ・ポーロは来ている、と。


 大都の城壁を前にしてシュエホアは驚いていた。

 石や煉瓦で積み上げた所もあれば、所々土塁のように、ただ土を盛り上げました的な感じの箇所もあったのだ。

 長い年月、風雨にさらされた土塁には、草木が自然と生えている所もあった。

 ひょっとしたら経済状況は余り良くないのかも知れない。

 元遊牧民ゆえ、良い意味でいい加減で拘りがないのなら別に問題はないが……

 しかし、近くで見る限り全貌が見えないということは、やっぱり凄い事だ。

 想像するといい、ゾウの足元にやって来たネズミの気分を。


「圧倒されますね!!」


(これって本物!?張りぼてじゃなくて?)


 あんぐりと口が空いたままになる。今日は本当によく驚く日だった。とても神経がもたない。

 そして城門をくぐると更に驚いた。

 そこには、全く見たことがない街並みがあった。

  見知った景色や建物などひとつもない。


(撮影所でもない、ドッキリでもない…… 誰か説明して欲しいわ!なんで私はここにいるの!?まさか!タイムワープした?そんな非現実的なことあるはずない!)


 信じられない現実に思わず頭を抱えると、今度は自分で自分の頬をつねってみた。


「痛い…… 本物だわ!!」


(私は、元の時代に来てしまったんだ!!)


 

 その様子を、必ずしも感動からしている行動ではないと、分析するトクトアは凄い。

 普通の人なら気味悪く思うだろう。

 後に、彼はこの比類なき頭脳と、物事に動じない冷静さで、この国のトップである丞相じょうしょうの地位に登りつめる。


「そなた…… 大都は初めてか?何処から来たのだ?」


 そう言えば、自分はこの奇妙な娘のことをまだ詳しくは知らない。

 トクトアは、昔から人にあまり興味を持たない方だったが、今回は違った。

 どうもこの娘には、まだ腑に落ちない所がある。

 世の中には説明出来ないことが沢山ある。

 今まで自分が目にしたものしか信じなかった彼は、目の前の彼女に興味を持った。

 それは、山のような書物の中から見つけた『一冊』と同じ類いのものだったが……


(服装は、漢服でもなし…… 西域の服に似ている感じもする。装飾品は真珠だが、 使っている金鎖が細かい。それにこの髪の色、濡れ髪の時は気付かなかったが赤毛だな、良い香りがするが嗅いだことがない香料の匂いがする……)


 このトクトアの、人の心を見透すような目にシュエホアは戸惑う。

 まさか、本当は北京郊外です、とは答えられない。

 家まで送って行く、と言われたら?


「蘇州から来ました!」と、きっぱり言い切った。

 蘇州には母方の実家があり、小さい頃を過ごしていたことがある。

 でも、言ってしまったことでやっぱり後悔する。

 理由は南人なんじんと差別を受けるからである。

 元の時代は上位がモンゴル人、色目人、 漢人、南人と階級が分けられていた。

 特に南人は被支配階級とされ、租税、刑罰、任官、禁令その他で不利益を受けていた。長江の流域は江南と呼ばれ、(ただし、時代によって明確な線は不明)

 南宋滅亡からの遺民達がそれにあたる。


(自分達が食べる穀物のほとんどはあの地で作られているのに……でも、私は誇り思っているわ!)


 蘇州は〈東洋のヴェネツィア〉と呼ばれ、ここを訪れたマルコ・ポーロも絶賛した美しい都市。

 又、『天に極楽あれば、地に蘇州と杭州ある』『蘇湖熟すれば、天下足る』と称された、肥沃で、恵み豊かな素晴らしい土地でもある。

 因みにヴェネツィアよりも、古い歴史が自慢だ。

 余裕を見せるように彼に向かって微笑んでみせるが、トクトアの表情からは蔑視の色は見えなかった。

 後で知ったのだが、トクトアの師である儒学者の呉 直方。

 この師は江南が故郷ということだ。


「蘇州だと?平江路と呼ばれているが、そんな遠くから来たのか!移動手段はなんだ?」


「はい、車で来ました」とうっかり答える痛恨のミスをおかしたが、

 相手は、「馬車か!?時間と金がかかるであろうに」と以外にもあっさり納得してくれた。

 確かに馬車も車の一種に違いない。


(良かった…… 誤魔化せた)


 ホッと胸を撫で下ろした。


(でも油断は禁物だ。必ず辻褄が合う会話にしなければ)


 街の中心に近付くと、何処から漂って来るのか、頭がくらくらするような甘い香の薫りがした。


 色彩豊かな民族衣装を着た女性。


 白いターバンにカフタン姿のおじさん達の開くペルシャ絨毯の露店。


 その隣ではヨーロッパから来た、旅芸人風の男がリュートを奏でいる。


 右からコーランを唱える声が聞こえ、左からは般若心経が聞こえる。


 前からは茶色っぽいフードを着た修道士達が歩いて来る。伝道活動中だろう。


 遠くにはチベット式の白い巨大な仏塔と、基督教教会が建っているのが見えた。

 多種多様の民族と文化が集まった大都は、国際的な帝都だったのだと感動した。


「凄い。こんな凄い都市だったんですね!」


 物事にいちいち驚くこの娘の様子に、トクトアは微笑みながら見ていた。

 表情豊かな娘だと。


「気に入ったか?ならば、しばらく滞在すれば良い」


「そうですね……」


 いろんなことがあり過ぎて笑顔で返すのが精一杯だった。

 そうしたいのはやまやまだが、問題はどうやって現代に帰れるのか?

 その方法を見つけてからだ。


(いいえ、見つけたら直ぐにでも帰らなければ!)


 辺りに夕日が差し込めてきたようだ。

 自分達の影が、細く長くなっている。視線を少しずらす。

 皇宮が南の位置にあるのが見えた。

 赤い夕日に照らされた壮麗な宮殿群。

 明代に入ると永楽帝により、元が残した遺物は徹底的に破壊された。


「栄枯盛衰……」


 そっと小さく呟いた。

 未来ならもう、見ることは出来ない幻の都だから。

 

 

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