第5話親切な貴公子
「助けて下さり、ありがとうございます!」
イケメンにいさんに礼を言った後、再び顔を見た。
本当に端正な顔立ちをしている。
髪は栗色で背に流し、顔に掛からないように横から頭上で一つに束ねていた。
時代劇でよく見る武官の髪型だ。
衣服は紺色の絹地。光沢が美しい。
帯には見事な紫水晶製の
(観光地の案内の職員さんかしら?随分と装いに力を入れてるわね。こんなイケメンを配置しちゃって。でも…… 確かあそこから落ちたわよね?私)
自分が落ちてきた崖を見上げる。
多分、あの崖の上から落ちただろうと思う。
恐らく手すりの老朽化が原因だ。
不思議なのが、落ちるまでの間がすご~く長かったし、人生で初めてスカイダイビングも経験した。
(あれは夢…… 本当に私は生きているのかな!?)
いろいろ考えていると、急にあの時、一緒に落ちたはずの虎のことが気になり出した。
「虎はどうなりましたか?」
この問いに、イケメンにいさんは意外なことを言った。
「いや、礼を言わねばならぬのはこちらの方だ。そなたのおかげで私はこうして無事でいる。虎が心配か?あの虎ならほれ!あの通り対岸に泳ぎ着いておる。虎も命懸けだったのだろう。疲れておるようだ。多分、あの様子ではわざわざここまで来れまい」
イケメンにいさんは対岸を指差し、虎との経緯を簡単に話してくれた。
虎と対決だなんて、なんだか古代ローマの剣闘士の話みたい。
虎は対岸からこちらを見つめていた。
目が合うと大きなあくびをし、ゆっくり腰を上げ、暗く生い茂った木々の間へ消えて行った。
美しい縞模様の堂々とした背中に向かって手を振る
「バイバイ。もう人の側に来ちゃ駄目だよ!敷物にされるからねー!」
その様子を見て感心するイケメン兄さん。
「変わった女だな…… だが、肝が座っておる!大した者だ!」
「いえ、私はそんな大した者じゃありません。あの虎は私を襲いませんでした。多分、必死だったんです。私と同じで……」
立ち上がろうとすると右足の甲に痛みが走った。
「くっ!痛い……」
どれ見せてみろ、と足首を触るイケメンにいさん。
心の中でキャーと悲鳴をあげるが足元を見て愕然とした。
「あれ?靴はどこに!?」
辺りを見渡すが何処にもなかった。
「うん?
そんなに、時間が過ぎたのだろうか?
まだ昼前にもなっていないと思っていたので不思議に思っていたが、一応太陽の位置を確認した。
太陽は真上にあるはずなのに。
いつの間にか南から西に移動している。
「げっ、もうこんな時間!?」
「ああ、だからそう言ったではないか。ところで寒くはないか?」
イケメンにいさんは、近くに落ちている木の枝や枯れ草を要領良く掻き集めて火を焚いてくれた。
暖かい炎。濡れて冷たくなった身体に活気が戻るのを感じる。
さっきは死ぬか生きるかの瀬戸際だったから持ち物どころじゃなかったが、今は考える余裕が出来て、なくしたのは靴だけではない事に気付いた。
(鞄もなくしちゃった…… きっと、崖から落ちた時に落としたんだろうな……)
一気に気持ちが沈んだ。
人生死ぬ以外はどうでもいい事ばっかりだと思っていた癖に。
喉元過ぎればなんとやらだ。
(あの中には携帯、化粧ポーチ、買 ったばかりの電子辞書、筆記用具も入ってたのに。きっと川に流されたな。靴もなくしたし……)
がっかりして
しばらく経ってから、艶のある小さな葉を摘んで帰って来たと思うと、手の平で揉み合わせ、それで擦り傷を手当てをしてくれた。
チドメグサ。懐かしい記憶が蘇る。
(幼い頃、転んで怪我をした時、一緒に遊んでくれた近所に住む年長のおにいさんに塗ってもらったっけ……)
しばしの間、思い出にひたる。
「これで応急処置は終わりだ」
イケメンにいさんの声で、我に返った。
「あ、ありがとうございます。薬草に詳しいんですね」
「まあな…… 武官ゆえ生傷が絶えん。薬草の知識は、もしもの時に役立つ。そんなことよりそなたは何故、こんな所に来たのだ?」
(そうだった!見合い相手、どこ行った!?それに履いていたお気に入りの靴も鞄も失うし…… もう!なんなの?今日は!)
気に入っていた靴と鞄を一辺に失い、ショックで泣きそうなりながらも、連れの男性を見なかったかどうか聞いてみる。
ところが、イケメン兄さんは自分達の他は誰も見ていないと言う。
それどころか、
「なんだと!?女をこんな所に連れて来るとはその男、どうかしておる!恐らく虎に気付き自分だけ逃げたのであろう…… 腰抜けめっ!」
と、怒るイケメンにいさん。
「そうですよね!こんな山ん中まで、のこのこ付いて行った私にも落ち度がありますが、女をこんな所にほったらかしにするなんて極悪です!帰ったら倍返しにしてやらないと私の気が済みません!!」
怒ると元気が湧いて来た。
怒りが原動力になることもあるのだ。
「よし。元気が出てきたなら、ここを離れるぞ。と、言ってもそなたの足に無理は禁物。私がそなたをおぶって行くゆえ早く背に乗れ」
イケメンにいさんはしゃがんで待機した。
まるで少女漫画に出て来そうな、嬉しいシチュエーションに恥ずかしさのあまり戸惑った。
「でも、まだ服が乾いてないし……」
これ以上、迷惑をかけるのはなんだか気が引ける。
「何をしている。早くせぬか!」
少し強めの口調で促されたので、ここは素直に従うことにする。
すみません、と遠慮がちに背中におぶさった。
「気にするな。私とて濡れておる」
見た目も麗しく、人としても立派な青年。
本当に申し訳ないと思う気持ちでいっぱいだ。
そして気になるのが、重いと思われていないだろうか?
どちらかと言うと、そっちの方が心配なくらいだ。
しかし、イケメンにいさんはこっちの心配をよそに、テクテク歩いて行った。
背も高く、細身だと思ったら意外にも筋肉質だった。
会話は殆ど交わさないが、この沈黙は嫌いではない。
ただ気になるのが、この青年が使う言葉遣いだ。
まるで時代劇の身分が高い人のようだ。
イケメンにいさんは歩いている途中で、何度か立ち止まっては辺りを見渡し、その都度指笛を吹いている。
何かの合図らしいが、犬でも連れていたのだろうか?
しばらくすると、何かこっちに向かってやって来るのが見えた。
最初は犬かと思っていたが、もっとバカでかい。
パカパカと蹄の良い音を響かせ、砂煙を巻き上げながら、こちらに向かって走って来るではないか。
「馬…… え!?馬なんですか!?」
驚きの余り、素っ頓狂な声を上げてしまった。
それに対し、イケメンにいさんは「当然だろう」とクールに返す。
美しい栗毛の馬。
馬はイケメンにいさんの前まで来ると、おとなしく止まり、ブルルルと鼻を鳴らした。
イケメン兄さんは、一旦、背中でヒェーと騒いでいるのを降ろすと、今度は馬に乗せるのを手伝った。
「鞍の前に乗れ。そなたは小柄なので負担にならないだろう…… 馬に乗ったことはあるな?」
その物言いは、まさか乗ったことないって言うんじゃないよな?と言っている風に聞こえた。
そう思われるのがちょっと悔しく思ったので、「乗ったことはあります」と答えた後、少しだけ、と付け加えた。
実際のところ、乗馬は本当に経験しているので嘘ではない。
「よろしい。では行こう」
イケメンにいさんは羨ましいくらい軽々と鞍にまたがった。
「まだ名を告げていなかったな。私の名はトクトアと言う。そなたは?」
イケメンにいさんの名前に驚いた。
(聞いたことある!でも、まさか……)
「め、珍しいお名前ですね……」
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