第16話 そして彼女の笑顔から遠慮の色は消えた。
「だいたいお前、本当に全校生徒の前で演説できるのか? やめるなら今のうちだぞ?」
「いや、だからもうやるって決めたって言ってんの。ちゃんと責任取ってあんたが応援演説やりなさいよ。ほら、早くサインして」
「分かったよ……」
週が明けた月曜日の昼休みが始まって早々、亮が書類に渋々ながらサインをさせられる。
まあ、中野さんも責任取ってもらわないとって言ってたし、俺はそうなるだろうとは分かっていたけど、きっと亮はまさか自分が巻き込まれることになるなんて思ってもいなかっただろう。
「あっ、悪い、俺今日はちょっと生徒会の用事があるからそっちで飯食べるわ」
時計を見ると約束の時間だったので、弁当箱を開け始めた亮に言って俺は立ち上がる。
「ん? そうなのか? じゃあ藤宮も?」
「ううん、私はもう昨日茜ちゃんにサインしてもらったから。そうくんは今から彼女をほったらかしにして生徒会室で女の子と二人で仲良くご飯を食べるの」
亮からの質問にかおりはあからさまにむすっとして、俺を一瞥しながら答えた。
そう。俺は、今後のことを話したいと佐藤に呼び出されているのだ。
「……かおり、だからそんなに言うんだったら一緒に行こうって言ってるじゃん」
「行きたいけど、でも彼氏に気がある女子には余裕を見せておきたいの!」
「は、はあ……。まあちょっくら行ってくるよ」
女心は難しい。
俺とて彼女に嫌な思いをさせてしまうのには抵抗もある。でも今回に限っては生徒会で決まってしまったことだし致し方ない。
そもそも佐藤が俺に気が合ってちょっかいを出してきている、だなんてこと自体が本当なのかも疑わしい。こちら側の、というかかおりの一方的な意識過剰かもしれないし。
とりあえず時間に遅れてもいけないので、俺は教室を出て生徒会室へと向かう。
二年の教室がある三階からは階段でひとつ下って、二階に下りたすぐ目の前に生徒会室はある。
「あっ、水瀬くん」
別にノックするわけでもなく、扉を横に引いて部屋に入ると、文庫本を読んでいたらしい佐藤がすっと視線を上げた。
狭い部屋の端でこじんまりと佇む彼女は、空気に溶けて部屋と一体化しているようにさえ思える。
「ごめんね、待たせた?」
俺は部屋の時計で今が待ち合わせ時間ちょうどぴったりなのを確認して、すかさず一言目を発する。
「ううん。とりあえず、ご飯でも食べながら話そうか」
彼女は小さな声でそう言って、それから遠慮がちに笑って、俺を席に座るよう促した。
「ごめんね、わざわざ昼休みに」
「ん? あぁ、大丈夫だよ」
「私、選挙のことぜんぜん分からないからさ……」
「ちゃんと茜から聞いてきたから心配ご無用だよ」
佐藤とは向かいの席に座って、弁当箱を開ける。
昨日、佐藤から茜のときの選挙がどんなだったのか昼休みに色々と聞きたいというメッセージが届いて、そのことは茜から前もって聞いておいたし、去年の演説の原稿だってコピーをとらせてもらってある。
「まあ、茜はかおりの応援責任者だし、同じ程度の情報だとは思うけどさ」
「それでもすごい助かるよ。それよりも私は、全校生徒の前で演説するっていうのが心配。私、あがり症だから……」
確かに、普段の話し方や立ち振る舞いひとつとっても、中野さんより佐藤の方がよっぽどそういうことが苦手そうな印象を受ける。
でもまあ――。
「心配なら何回でも演説の練習をして、それを自信にするしかないよ。きちんとした準備をしとけば確実に失敗は減るし、もしも失敗しても後悔は残らないと思うからさ。そのための練習だったらいくらでも協力するよ」
苦手なことに挑戦しようという心意気は、とても大切だ。
一度失敗して、それから立ち直れなくなってしまう人も中にはいるけれど、挑戦することさえできれば克服の機会はいくらでもある。
これは俺の勝手な想像だけれど、これはきっと彼女にとって初めての挑戦だと、そう思う。
だったら、できる限りのサポートはしてあげたいじゃないか。
「水瀬くん、ありがとう。よろしくね」
そう言った彼女の笑顔からは、遠慮な色はきれいさっぱり消え去っていた。
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