(3)


***


「ほんま、なんで理学部なん?」

「趣味と実益は違う。物理学科で宇宙論がしたい」


 宇宙で実益……? 


 私たちは、烏丸通沿いにある、旧北國銀行の一階にあるカフェで休憩している。

 ここは、大正時代からの、直方体の端にグリーンのトンガリ屋根がある建築で、辰野さんの事務所による物。当然のように、赤レンガ。


「火星のウイルスを取って培養してばらまいたり?」

「うーんそれは化学ばけがくの仕事ちゃうかなあ」


 たぶん、その返答は少しズレている。


 一階のフロアの天井は高くて、白い壁と白いテーブルクロス、そして木目の床が合わさり、大人びた雰囲気。

 銀行としての役目を終えた後、現在この建物は雑貨屋やカフェ等に転用されている。建築には、こういう残し方もあるのだ。


 君はカフェラテ、私はブラック。


 女っぽいところがあるよな、とはずっと思っていた。だからこそ、最初から警戒心も無く仲良くなれたのかもしれないけど。

 たとえば表情も変えずにファミレスでイチゴパフェを頼んだりするのは、なかなかの強者の証拠で、かつちょっぴり安心できる。


「ここ出たら、そっちの番」

「何が?」

「テーマは赤い物」


 またあの炎天下に飛び出すのか、と辟易する。「赤ならここにあるやーん、あ・か・い・い・と」という浮かんだばかりのしょうもない言い訳は、アイスコーヒーの闇の中にでも溶かしてしまえ。


 烏丸通を行く救急車の音。白と赤の車が出す警報。


「じゃあ、救急車を追いかけよっか」

「野次馬はあんまり良くないな」


 サイレンの音程が下がっていく。音のドップラー効果。


「赤方偏移でも追いかける?」

「遠ざかっていく星か、素敵やん」


 この冗談には乗っかってくれた。

 光のドップラー効果。地球から遠ざかる銀河が見せる赤い光。私たちの走るスピードなんかじゃ一生追いつけない輝き。もちろん、これも、君から教えてもらった事象。

 君は、そんな世界を追いかけようとしている。途方もなくて、想像もつかないね。


***


 結局、私たちは再び外の熱気に出迎えてもらう。

 夕方だから、少しだけ蒸し暑さは薄らいでいるけど。


 私は東の方へ向けて自転車をこぎ始める。烏丸通を南下して、四条通へ左折する。

 人も車も多くて少し危ない。進むペースはさっきほど速くないけど、君はちゃんと合わせて後ろについてきてくれている。


 四条河原町にはマクドナルドがあるけど、京都だからシックな暖色に塗られている。景観条例があるから、華美な配色の建物は禁止されている。

 そうか、と改めて思った。京都は赤が少ない街だ。


「血塗られた歴史ならいっぱいあるのにな」

「刀傷の跡があるのって、三条大橋やっけ」


 そんな会話をしながら、私たちは四条大橋を渡っていく。北側の一つ向こうには、その三条大橋が小さく見える。

 橋の下を見ると、いつの間にか、川床が始まっている。暑い時期には、納涼が付き物。


 ここから東は歩道が狭い。車道を通るのも怖い。自転車を押して、人混みの中をてくてく歩いていく。

 庇の下とは言え、風を感じなくなると、途端に暑さが舞い戻ってくる。店の前からの冷房の風が心地良くて、時々立ち止まりそうになる。


 そうこうしているうちに、目的地に着いた。


「はい、私の赤色」


 八坂神社の朱塗りの門が、道を隔てて向こう側に堂々とそびえ立つ。


「定番やな」

「ええやん別に」


 好きなんだから、仕方がない。

 君が近代建築を好きなように、私は寺社巡りを好んでいる。


 私は文学部生。日本史を専攻予定。歴史を愛して、古都に来た。

 私が生まれ育ったのは、大阪の堺市。古墳、古刹、古い商家。独自の歴史が息づき、現代まで続いてきた街だ。小学六年生のとき、習いたての日本史を好きになったのは、きっと偶然じゃない。


 近代以降の建築が好きな君。明治より前の歴史が好きな自分。

 人類の過去を見つけ出したい自分。宇宙の過去を解き明かしたい君。

 どこか似ているようで、やっぱり断絶がある。


「でも、ええチョイスやんちょうど。祇園祭の時期やないかな」

「そうやね」


 祇園祭は、もう京都の七月を彩り始めている。今日も何かの行事らしく、人がたくさんいる。

 山鉾巡業ももうすぐだ。今度のバイト、この八坂神社から出発やねん、と君は言う。学生バイトとして、行列の一員に加わるらしい。私は混み合う沿道から君の白装束を写真に収める予定だ。


 自転車をこそっと置き、手を繋いで階段を登る。


「あれ、バイトの日、晩ごはんってどうするん?」

「差し入れあるらしい。赤飯って聞いた、嬉しいなあ」


 赤飯くらいスーパーで買えるやん、と玉砂利を鳴らしながら私は笑う。ちょっと高そうやん、と君は言う。

 私は赤飯がそんなに好きじゃないから、作る、とは言えなかった。


 高校生の頃から、私たちは大阪の同じ家で暮らしてきた。

 でも、やっぱり生まれた土地は違う。味わってきた食べ物も、身につけてきた生活習慣も、違う。


 時々、そうして気付かされてしまう。

 私たちには、直接の血縁が無いということの意味に。


 そのおかげで恋人どうしになれた、というのは、それもそう。

 だけど、いや、限界まで近い関係だからこそ、絶対に埋められない距離について想いを馳せてしまう。

 異なるDNAを、体を巡る真っ赤な血液の違いを、考えてしまう。


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