変化➀

 翌朝、悉乃が寄宿舎の食堂に行くと、何やら様子がおかしいことに気づかないわけにはいかなかった。

「ごきげんよう」

 クラスメイトに声をかけるも、曖昧に会釈をするようにして去っていく。

 皆、遠巻きになって腫物を見るように悉乃を見ていた。

 彼女たちの会話に耳を傾けてみると、

「まさか、男爵位の浅岡家にね」

「よく今まで平然と私たちと同じみたいな顔して過ごしてこられたわね」

 そういう、囁き声が聞こえた。

 気のせいだ。空耳だ。そう思いながらなんとか朝食を食べ終えた悉乃は学用品を取りにいったん自室へ戻った。

 そこで、やはり気のせいではなかったのだと思い知った。

 自室のドアには、何枚もの貼り紙がされていた。「嘘つき」「スリ女」「卑しい女」「出ていけ」などなど。

 部屋に入ると、今にも泣きだしそうな顔をしたキヨがベッドに座っていた。

「悉乃さん……」

「キヨさん……」

「ねえ、本当なの?あなたが昔スリをやっていたって。あの時、悉乃さんが名前や事情を話した警察官、倉橋さんのお父様だったみたいなの。それで、皆が噂していて……」

 嗚呼、気のせいではなかった。バレてしまったのだ。

 ――よりによって、あの警官が、倉橋さんの父親だったなんて。でも、だからって、即日娘に話すなんて、どうかしてるわ。

 だが、それも無理からぬことかもしれない、と悉乃は思い直した。

 倉橋という女生徒は、何かにつけて悉乃を目の敵にしていた。なんでも、戊辰戦争の時に祖父同士が敵味方に分かれていたのだという。

 いわゆる「御一新」はおよそ五十年も前の話だが、当時の敵対心が未だに残っている年配の人や、その思いを厳格に受け継ぐ家系も多い。悉乃も、家では「敵藩の者とは付き合うな」などと時々言われていた。

 ――ばかばかしい。今はもう明治も四十年を過ぎているのよ。おじいさまの顔すら知らないのに、とんだ言いがかりだわ。

 悉乃は、小さく溜息をついてキヨを見た。キヨは、悉乃の手を取った。

「嘘よね?昨日あなたがスリ犯を捕まえたものだから、倉橋さんがそれに尾ひれをつけているだけなのよね?」

 キヨの目は、「嘘だと言って欲しい」と語っていた。少なくとも、悉乃にはそう見えた。真実を知ったら、キヨはどう思うだろうか?それを知っても、友達でいてくれるだろうか?

 どちらにせよ、キヨに黙り続けている罪悪感に耐え切れないと悉乃は結論づけた。

「今まで、黙っていてごめんなさい。昔、スリをやっていたのは本当。でも、今はすっかり足を洗っているわ。浅岡の家に引き取られてからは、スリなんかしなくたって食べ物には困らなかったもの」

 キヨはただただ驚きの眼差しで悉乃を見つめるだけだった。何も言わなかった。

 何か言ってくれるかと思っていた。理由とか、今までの苦労とか、そういうのを聞き出してくれると思っていた。それでもなお、「私は悉乃さんの味方よ」と言ってくれると思っていた。

 だが、今の今で、そこまで求められるはずもない。わかっていたが、求めてしまう自分が、答えてくれないキヨが、悉乃はどうしようもなく嫌になってしまった。

 ――キヨさんは、私とは違う。

 彼女の、その生粋のお嬢様だけが放つ気品や清らかさを、悉乃はこれ以上見ていられなかった。

「先に授業に行くわ」

 悉乃は教科書の入った鞄をさっと手に取ると、そのまま部屋を出てしまった。困ったような顔をしたキヨを置いて。


 

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