最終話 ひまわりのタルト(END)
「ただいま!……あれ?大路先輩だけですか?黒木先輩は?」
元気よく帰ってきたひまわりちゃんは、黒木がいないことに首を傾げ、僕の顔を見て息を飲んだ。
「ひまわりちゃん、ごめんねこんな日に。ちょっと喧嘩しちゃった」
無理矢理に笑いながら、ことさらに明るい声で僕は言った。けれど、もうそんなものではごまかしきれない程に僕は泣いていた。
「……黒木先輩を連れ戻してきます」
ひまわりちゃんは真剣味を帯びた口調でそう言うと、来た扉に向かって踵を返す。
「行かないで!」
駆け出そうとするひまわりちゃんの手を僕は掴んだ。
「先輩?」
「あんなやつのところに行かないで。僕のそばにいて。……僕は君が好きだ」
とうとう、抑えきれなくなったわがままな思いが口を突いて出た。
ひまわりちゃんは僅かにうつむいて、けれど顔を上げると前に向き直った。そして、僕の手を強く握り返して再び走り出した。僕も、引きずられるようにして走る。どこへ向かうのかわからないけれど、ひまわりちゃんは行き先を知っているようだった。
「内斗先輩!」
「日向……」
ひまわりちゃんが向かったのは小さな公園だった。そして、たしかにそこに黒木はいた。二つあるぶらんこの奥の方に座り、こぐともなく小さく揺れている。ひまわりちゃんは僕の手を引きながら、もう数歩ぶらんこに近づいた。
「先輩、仲直りしてください。何があったのか知らないですけど、先輩達は一緒にいないとダメなんです」
黒木にひまわりちゃんがそう言う。黒木は少し見上げるようにして僕たちを眺めた。
「黒木、ごめん……僕は」
「日向。何を誤解してるかは知らないが、俺たちは喧嘩なんぞしていない」
そう言って黒木は僕の謝罪を遮った。それから腿から埃を払ってぶらんこから立ち上がる。
「え…?じゃあなんで店から出て行ったりしたんですか?」
「驚いて、混乱した。だから、ひとりで考えるための場所が必要だった。それだけだ」
ひまわりちゃんの質問に黒木はそう答えた。それから、確かめるように僕の顔を見つめた。
「なあ、大路が言ったんだが、お前が俺のことが好きだっていうのは本当か?」
ひまわりちゃんを振り返りながら、黒木はその問いを投げる。流れ弾が僕の心臓を貫く。ぐちゃぐちゃになった頭で、すがるような思いでひまわりちゃんの顔を見ると、ひまわりちゃんは不思議な、穏やかな笑みを浮かべていた。
「……その話をするには、ここは暗すぎるし寒すぎます。私たちには、いるべき場所がありますよね?」
「いるべき場所?」
黒木が聞き返す。ひまわりちゃんは、胸を張って答えた。
「決まってるじゃないですか、えとわーるです!」
僕たち2人が待つテーブルに、ひまわりちゃんがあのタルトを持ってきた。
「大路先輩が私に言ったんです。『大切な人を想って作るといい』って。だから、私が作った中で一番よく出来たのを取っておいたんです。一番大切な人と、一緒に食べるために」
そう言って、ひまわりちゃんはテーブルにタルトを置く。それから右手にナイフを握って、中心から切り分けた。タルトを切るには結構コツがいるのだけど、ずいぶん上手くなったものだ。それからもう一回、二回。
「だから食べましょう!3人で!」
ひまわりちゃんは、あの花のような笑顔でそう言った。
「え?」
「は?」
予想外の事態に、僕たち2人は顔を寄せ合った。
「黒木、想定外だ。重症だよこれは」
「ああ。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。ことここに至って『love』と『like』の違いもわからないとは」
「なに目の前で失礼なこと言ってるんですか!それくらい分かりますよ!」
声のボリュームを落としていても流石に聴こえていたらしく、ひまわりちゃんは怒って抗議の声を上げる。
「え?でもこれ」
「私は、大路先輩と内斗先輩のことが大好きです!男性として!あい、らぶ、ゆーです!」
その言葉を聞いて、僕は噴き出した。黒木は額を押さえた。
「おまえなぁ」
「駄目ですか?誰か新しい人を好きになったら、それまで好きだった想いは消さなきゃいけないんですか?そんな器用なことできません。私は、諦められません!私は内斗先輩も大路先輩も好きなんです!」
呆れたように言う黒木に、ひまわりちゃんは猛然と反論する。黒木は全身を使って大きなため息をついた。
「俺はともかく王子に堂々の二股宣言とか、怖いもの知らずにもほどがあるだろ」
「そうかい?僕は一向に構わないけど」
僕の言葉に黒木はものすごい勢いで首を回してこちらを向いた。僕は抑えられない笑いをこぼしながらつづける。
「不思議だね。さっきまで死ぬほどの嫉妬に駆られてたのに、今では、僕が大好きな人が僕が大好きな人を大好きなことが、なんだか愉快でたまらないんだ」
「じゃあ、先輩……!」
ひまわりちゃんの目が、期待で輝く。
「うん。僕たちの恋人になってください。……嗚呼ひまわりちゃん!大切なことを忘れていたよ!」
「なんですか、先輩?」
突然に芝居がかった僕の言葉に、2人ともが怪訝な顔をする。僕は笑いを噛み殺しながらいつも以上に大仰に言った。
「黒木の気持ちをまだ聞いていないじゃあないか!もしかしたら、黒木にフられてしまうかもしれないよ」
「なっ!?」
突然のキラーパスに仰け反る黒木。ひまわりちゃんはなるほどとばかりにうなずいて、大げさな手振りを交えてこたえた。
「ほんとうです!どうしましょう」
「大丈夫!そうなった時は“恋人”の僕が慰めてあげるから。……黒木、どうなんだい?君はひまわりちゃんのこと、どう思っているんだい?」
2人分の視線を集めて、黒木はたじろいだ。当然その顔は真っ赤である。
「おまっ!そういうオージはどうなんだよ!」
「僕はもう告白したよ」
「はい、大路先輩は『僕は君が好きだ』って言ってくれましたよ。感動的でした」
衝撃の事実に黒木の動揺は更に大きくなる。
「なっ!?いつ!」
「さっきです。内斗先輩を探しに行く前に」
「うー!」
着実に追い詰められ、頭を抱える黒木をひまわりちゃんはまっすぐに見つめる。そして、黒木はついに観念して顔を上げた。
「わかったよ、しょうがないな。……俺はアオイが好きだ。大好きだ。この気持ちはオージにだって負けちゃいない。だから、俺たちの恋人になってくれ」
「はい、よろしくお願いします」
そう言ってひまわりちゃんは笑った。ひだまりのような、夏空のような笑顔だった。
「ああ、これからもよろしくね。アオイちゃん」
僕はそうこたえた。ここが物語の結末で、そして、始まりだ。うなずいたアオイちゃんの顔が、ワンテンポ遅れて一気に赤く染まる。
「ひゃっ、えっ?大路先輩いまなんて!?」
「オイこらアオイ、俺の時と全然リアクションが違うぞ!」
「だ、だって先輩ずっと私のことひまわりちゃんとしか呼んでくれなかったから!」
大騒ぎする2人をよそに、僕はタルトに手を伸ばす。
「ほら、早く食べないとタルトが溶けちゃうよ」
笑いながらそう言って、僕はタルトを口に運んだ。甘くて、すっぱくて、ちょっと苦い。ああ
「恋の味がする」
王子様シンドローム サヨナキドリ @sayonaki
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