第22話 カラダ


 叫びにすらならない異様な喘ぎ声が、部屋に響く。

少年は天井を仰ぎながら、必至で目を押さえつける。下を向くだけで目が落ちそうな気がしてならない。



目玉が、落ちる。

目の前が、真っ暗になる。

また目が創られる。

また目玉が落ちる。


「ぅあ――ぐ――」


 何度となく繰り返されるその闇は、少年にとって死を感じた時のものよりもはるかに恐ろしいものだった。

少年は、何故か目玉が落ちても死ななかった。

それどころか、痛みすら感じなかった。

自分の体に何が起きているのか分からない。

理解できないことが、何よりも恐ろしかった。


「だれか―たすけ――」


 恐怖で声がかすれていく。

少年は誰もいない部屋の中で、蚊の羽音のように小さな声を上げた。

 彼は手を伸ばした。

何かにしがみつかなければ、この恐ろしい闇の中に引きずり込まれる。そう感じた少年は、とにかく実態有る何かをつかみ取ろうとした。だが、手を伸ばした瞬間、体が大きく崩れた。

 立ち上がれない。

そして、体から落ちる寸前の目で、もっとおぞましいものをとらえてしまった。


今度は、腕が、落ちた。


肩から、まるでノリがはがれた紙のように、ポロリと腕が落ちた。


「あ――ひ――」


 少年は発狂した。

もう何を言っているのかどう体を動かしているのかも認識していない。

ただ、この状況から逃れたい一心で、ひたすらに体を動かした。

だが、動かせば動かすほど、体は言うことを効かなかった。体を動かすたび、手が、足が、目が、耳が、鼻が、顎が、ポロリと落ちる。

そしてそれらはまた再び形成されていく。

 それでも少年は助けを求めて叫んだ。この体を直してほしいと。

痛みはない。どこが『おかしい』のかなど検討もつかない。

それでも、自分の体の中の何かが『悪い』状態であることは察していた。

だから、どうかこの体を直してほしいと、懇願した。

この恐怖から逃れられるなら、何でもすると、この世すべてに向かって叫んだ。


だが、その叫びは無残にも聞き届けられなかった。



「な、なんだこれは!?」


 駆けつけた白衣を着た男たちは、目の前の阿鼻叫喚に絶句する。ベッドの上で、次々と体を崩壊させる異形の生き物がいる。涙とともに目玉をその虚から流し、腕を振り回すとその腕が体から離れていく。ソレが口を開けると、顎は焼けたチーズのように伸びて床に落ちる。ソレは何か叫んでいるようだが、そうなっては言葉になどなりはしない。

 さらにおぞましいことに、ソレの体は母体から離れるたびに、再び草木が枝を伸ばすように形成されていく。そうなればソレは再び動き、再び叫びだす。そうして形成されきった手や足は、またさらにソレの体から切り離されてベッドの上に、床に、ごろごろと落ちていった。

 それは、無限に続く地獄絵図。およそ人とも思えぬ得体のしれぬものが見せる、この世ならざる地獄だった。

 それを見ていた1人の男が踵を返して部屋から飛び出し、廊下に内容物を吐き出した。


「――化け物か!」


 残っていた白衣の集団は、腰から拳銃を抜き出してソレに発砲する。だが、動揺しきった彼らの弾丸は、一発たりとも対象にあてることが出来なかった。


「ひっ」


弾が尽き果て身を守るすべがなくなったと判断した白衣の集団は、皆来た道を戻ろうと勢いよく振り返る。

 だが、その逃走は一人の男の声で棄却された。


「うろたえるな。」


 幽玄な、太く低い言葉が、部屋に響く。目の前に立つ大柄な男を見ると、白衣の男たちは助かったとばかりに声を上げた。


「大島隊長!」


白髪に長く白いひげを生やした老人が、自分の部下に告げる。


「これしきのことでうろたえるな、我が能力者特殊部隊第10隊は科学チームだ。これまでも幾度となく異形のダイバーズに遭い対峙してきたではないか。」


彼は部下を押しのけ、体がばらばらになっては再生している異形の生き物の前にまっすぐ近づいていく。


「隊長、危険です!おさがりください!」

「黙っておれ、腰抜けども。」


大島は部下を怒鳴りつけると、その異形の前に立つ。彼は目の前にあるモノを一通り眺めた後、右手の拳を握りしめ、そして


「フンッ」


ソレの頭部を殴りつけた。すると、異形のモノは暴れるのをやめ、ぐったりとベットの上に倒れこんだ。

 大島はその倒れこんだ異形を見下ろす。彼は次の一撃を加えるべきか否か見定めていた。

だが異形のモノはピクリとも動かず、ただその体が一度再生すると、再び崩れていくことはなかった。その様子を見届け、大島は拳を下ろす。


「お前たち、ここに落ちている手や足、目や顎を調べろ。早急にだ。」

「え?は?あの、いったい何がどうなって――」

「さっさとせんか!のろまども!」

「はっ、はい!」


大島の一喝で、部下たちは慌てて手袋をはめて周囲に散らばる手足を拾い始める。


「いいか、30分以内にソレを調べ上げろ。30分経つと霧散して消えてしまう可能性があるからな。」

「霧散してって――まさかコレは!」


部下が驚いてトレーに入れた目玉を見る。


「ああ、それはおそらく――創造体だ。」




「どうだった。」


 大島は、明りのついていない小さな部屋で、報告に来た部下に尋ねる。だが、その視線は窓越しに見えている少年をしっかりととらえていた。彼がいる部屋の窓は、少年のいる部屋から見ると大きな鏡にしか見えない。彼は報告が来るまで、その部屋でずっと少年の様子をうかがっていたのだ。


「ええ、大島隊長がおっしゃっていたように、アレは全て創造体でした。創造体の保存時間は、空間型ダイバーズのもつ平均的な保存時間である30分とほぼ同じです。ただ、調べる時間が短かったのでなんとも言えませんが、随分とオドの疑似細胞化が不完全のように思われました。」

「やはりな。創造体はダイバーズの脳で思い描いたイメージがどれだけ現実に近いかで、その完成度が決まってくる。イメージする力が弱いと創造体は完成しない。アレはもともと子どもであり、なおかつ発狂していたからな。自分の体をイメージできていない。だから、ああして体にくっつかない。それによく見てみれば、水晶体のない眼球や、指が一本多い手足もあった。それを見れば大体予想はつくものだ。」


大島はそれくらいのことはやれて当然と言うように言い放つと、白いひげを撫でる。


「あの、隊長、いったいアレは何なんです?」


 部下が青い顔をしながら大島に尋ねた。大島は小さく首を振ってから答えた。


「儂も分からぬ。あのショッピングモール爆破事件のとき、爆心地の近くにいた少年だということしかな。事件のあと、周囲にいた人間は第9隊所属の山田宗次とあの少年以外、全員死亡した。」

「たしかに、建物を半分吹き飛ばしたあの爆発なら――そう、なりますよね。」


部下の男は痛々しそうに顔をゆがませる。それを見ると、大島は大きくため息をついた。


「はぁ、お前、何もわかっとらん。」

「え?」


部下は何のことを言われているのか分かっていないという顔をする。それを見た大島は、再び視線を少年に戻してその理由を言う。


「あのな、少年は爆発した、のすぐ近くにいたんだ。宗次はエネルギーシールドを直前に展開させていたから、骨折程度で済んだ。だが、あの少年は身を守るすべなどなかったはずだ。なのになぜ、生きている?」

「――!」


 大島は、少年を凝視する。


「儂は、少年が病院に運び込まれたと聞いておかしいと思った。だから、一般の病院に運び込まれた負傷者を、全員軍の病院に入れるように指示を出しておいた。そして、アレだけをこの地下の特別治療室に入れて、経過を見ているのだ。」


大島はその巨躯をねじりながら部下に耳打ちする。


「――いいか、上杉。少年について調べ上げろ。そして、爆発前後の映像記録も調査し、何があったか突き止めろ。あんなダイバーズ、いや、能力は見たことがない。腕を阿修羅像のように増やすようなダイバーズは存在するが、自動的に『自分の体を構築する』能力など聞いたことがない。何の能力なのかを知る必要がある。アレは世界の能力情勢をひっくり返す存在になるやも知れぬ。」


そういうと、大島は少し間をおいてから言った。



「そしてもう一つ、いったい、体のどこまでが創造体で構成されているのかも――な。」



彼の口元が、暗がりの中で歪んでいた。

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ヒューマンカインド/Brightness of life 猫山英風 @h_nekoyama

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