第21話 秘密(5) 目覚め
少年は何も感じなかった。
痛みすら感じない。音も聞こえない。自分の体も認識できない。
ただ、闇がそこにあるだけだった。
目が空いているのかいないのかも分からないが、そこに闇があることだけははっきりとわかった。
ああ、自分は死んだのだ。
何がどうなってこの闇の中にいるのかは分からないが、これがきっと死というものだと少年は思う。
目を閉じれば、さらに深い闇へと落ちていく予感があった。
その闇はベッドよりも柔らかく、底がなく、冷たさも温かさもない。
自我が消えていく感覚を、少年は感じ取っていた。
『きっと、この先に、お父さんとお母さんが――』
“遅かったか――”
突然、闇がしゃべった。
誰かがいるようには思えなかった。ただあるのは漆黒の闇。
だから、少年は虚ろな意識の中で、闇がしゃべっているのだと思った。
“――助けたいのか?”
闇は誰かと話をしているようだった。
“そうか――ならば、俺は力を使おう――”
そして闇は、何故か少年に一言謝罪した。
“許せ、少年。俺はお前を――
――実験台にする”
少年の意識は、そこで消えた。
◇
2084年 10月4日
赤毛の女が、病院の喫煙室で煙草を吸っている。都会の中心から大きく外れた郊外にある病院は、日本軍専用の医療施設だった。それゆえ周囲に高層ビルはなく、5階の喫煙室の窓からは町の半分が見渡せた。彼女は遠くの高層ビルの間から顔をのぞかせている、焼け焦げた建物を眺めていた。
「赤坂隊長、お体に触りますよ。」
「結子か。」
結子は静かに戸を閉めると、赤坂の一歩後ろに立つ。
赤坂はコートの内ポケットから煙草のケースを取り出すと、振り向かずに結子にそれを差し出した。
「私は吸いませんよ。」
「なんだ。宗次といい、付き合い悪いぞ。」
「付き合いも何も、私はまだ20じゃありませんよ。」
「ああ、そうだったな。」
赤坂はそう言って白い息を深く吐き出す。苦みのある臭いが、喫煙室の中を満たしていく。
「宗次君の容体は、どうですか?」
赤坂は結子の言葉を聞くと視線を移し、駐車場に入っていく車を目で追いながら答えた。
「とりあえず山場は超えたそうだ。意識はまだ戻っていないが、じきに目も覚めるそうだ。あの爆発で五体満足とは、さすがは『俊足能力』といったところだな。まぁ、携帯型エネルギーシールドがあってこそだったんだろうが。」
「そうですか。」
結子は大きく安堵の溜息をもらす。そのため息を聞いて、赤坂は重々しく口を開いた。
「――私の失態だ。随分と時間と労力を費やしたにも関わらず、爆弾を爆発させちまった。民間人への被害は甚大。おまけにお前たち部下を危険な目に合わせた。これは確実にクビだな。」
「そんな!今回は確かに民間人に被害が出てしまいましたが、隊長はそれでも最善を尽くしました。人員不足に大島隊の到着の遅れや、吉野隊の追跡失敗も重なりました。……確かに、大島隊長は赤坂隊長を大分批難していましたが、遅れたあの人にあれほどまでいう資格はありません!それに、我々がもっとしっかり動けていれば、アレを爆破させてしまうようなことはなかったはずです。決して隊長の責任では――」
「いや、これは私の責任さ。例え他の隊が何かミスをしていたとしても、今回の作戦の総指揮は私がやっていた。全ての責任は私にある。」
「しかし――」
「くどいぞ、大原結子。」
赤坂は煙草を握りつぶしながら結子をにらみつける。
結子はそれを見て、それ以上何も言えなかった。赤坂は自分にも他人にも厳しい人物だった。例え自分が何を言ったとしても、この人は動かないと結子はわかっていた。
「私よりも、お前の方こそ大丈夫なのか?」
「いえ、私は、けがは――」
「身体じゃない。心の方だよ。」
赤坂の言葉に、結子は胸に手を当てる。
「優華――だったか?宗次の妹の。お前、優華に随分と言われていただろう。」
直接見られている訳でもないのに、結子は赤坂の後姿から目をそらした。
宗次が病院に担ぎ込まれた時、彼の妹である山田優華が血相を変えて病院に飛び込んできた。そして結子に泣きながら叫んだのだ。
「『あなたなんか家族じゃない』か。随分と堪える言葉だ。お前の家は、宗次のとことは家族ぐるみの付き合いだったんだろ?」
「はい。彼女は――、警察官だった彼女の両親が殉職して、今、血のつながった家族は宗次君しかいません。身寄りがなくなった二人を、彼らの父親と友人だった母が引き取りました。もともと家族同士でいろいろと遊びに行ったりしていたこともあって、いままで家族同然に暮らしていたのですが――」
結子の目にうっすらと涙が浮かぶ。彼女が特殊部隊に宗次とともに入隊したとき、彼の妹はひどく心配した。きっと殉職した両親と重ねたのだろうと、結子は思った。だから、結子は優華と約束をしていた。宗次は、『家族』は、必ず自分が守ると。
――約束したじゃない。守ってくれるって。なんで守ってくれなかったの。家族は守るって言っていたじゃない。守ってくれないなんて――あなたは、あなたなんか家族じゃない――
彼女の言葉が、耳にこだまする。
結子は彼女にそういわれてから2日間、優華に会うことも、宗次の見舞いにもいかなかった。守れなかったことを、どういったところで理解されるはずもなく、言い訳にしかならない。とにかく今は時間が必要だと思い、結子は彼女と距離をとっていた。
赤坂は煙草をガラ入れに入れると、結子の肩に優しく手を置いた。
「今日はいい。優華のもとに行ってこい。今、宗次の部屋にいる。」
「ですが――」
「昨日も一昨日も会っていないのだろう?お前、このままだと一生優華に嫌われたままになるぞ。家族なんだろ?
家族なら――、こういう時、一緒にいてやるべきだ。」
「……」
口を閉ざす結子の隣を通り過ぎ、赤坂は戸を開ける。そして喫煙所から出る前に、彼女は足を止めた。
「私は以前失敗した。私は根っからの仕事人間でね。どうしても、私情より仕事を優先してしまう性分なんだ。
――私の夫の話は知っているだろう?同じ特殊部隊だった夫が、5年前の2079年、北海道襲撃事件で瀕死の重傷を負った。病院に担ぎ込まれた時既に危険な状態だった。あいつは――私に会いたがったそうだが、私は任務を優先した。だから、夫の死に際に私はいなかった。
そして、私は夫を殺した犯人を追った。そのために、葬儀も出なかった。だから、息子や夫の親戚には、今も随分と嫌われているよ。」
赤坂は小さくため息をつき、振り向かずに結子に言う。
「だが、お前は違う。お前の人生はまだ長い。嫌われるには若すぎる。
こういう失敗した生き方は、絶対にするなよ。」
病院の奥へと去っていく赤坂を見つめながら、結子はつぶやいた。
「――隊長だって、まだ31じゃないですか。」
彼女の背中は強く、そして寂しげであった。
◇
「私だ。……ああ、宗次の心配はとりあえずしなくていい。今から本部へ行く。それと、私は辞表を提出するつもりだ。後のことはお前に任せるよ、晃崇。」
「「そ、そんな!隊長、待ってください!」」
「大丈夫だ、お前ならしっかりやれるさ。それじゃぁな。」
赤坂は薄暗い階段をゆっくりと下りながら、腕に付けているホログラムの通話を切る。
「さて、これからどうすっか……」
彼女は、自分が隊長としてこの仕事をやっていくだけの力が、自分にはないのだと感じていた。決して大島に言われたからではなく、彼女自身、『リーダーとしての指揮能力の低さ』というものを『この事件の結果』からひしひしと感じ取っていた。
このけじめは、今すぐ自分でつけなければならない。このまま実力のない自分が上に立ち続けていたら、何人の部下を失うか分かったものではない。
だが、それと同時に辞職したあとのことを考えると、胸が張り裂けそうになる。夫を殺した犯人はまだ捕まっていない。夫の葬儀にも出ずに求めた仇討ちを果たせないまま辞職するのは、彼女にとって断腸の思いだった。
「――ん?だれだ、この雨の中窓を開けた奴は。」
赤坂は、階段の踊り場にある窓が少し開けられていることに気が付いた。小さな隙間から、涙を流すように雨が入ってきている。
「ったく、仕方ないな。」
赤坂は小さくため息をつく。普段なら気にも留めないものだが、その時はそういう気分ではなかった。
そして、彼女が窓を占めようと手を伸ばした、その瞬間だった。
自分の背後に、何かいる。
全身に悪寒が走る。
それは異様な死の気配を放っていた。殺意とは違う。殺そうという、突き刺すような殺気は感じなかった。ただ凍えるような冷たさが肌を通して心臓に伝わってくる。まるで、『死』そのものが立っている。そういう感覚だった。
“赤坂
背後の『死』は、彼女の名前を告げる。彼女は必至で震えを抑えながら『死』に尋ねた。
「――お前は誰だ。」
“俺は敵ではない”
「変なことを言うな。いきなり背後に現れて死の臭いをまき散らすような奴、私の仲間にはいないが?それとも私の死ってやつがお迎えに来たのか?」
“ほほう。
俺のこの『死の気配』の中でそのようなことが言えるとは、
さすがは特殊部隊隊長だ。”
『死』は夜の闇よりも深みのある声で言葉を発する。
赤坂は窓から手を放し、能力を使う準備を整えた。ここは軍の施設。相手が敵だとは思いたくなかったが、明らかに異常なその状況は、赤坂の警戒心を跳ね上げるのに十分すぎた。
「意味の分かんないこと言うなよ。で、なんで私のことを知っている。それと、どうやって現れた。ダイバーズの原則3を考えれば、エーテルの存在しない壁や床を超えて能力は発現しない。だから、透過系能力や瞬間移動のような能力は、一切この世に存在しないはずだが?」
“時間を稼いで攻撃するつもりか?
よせよせ。
時間と労力の無駄だ。
俺はお前の敵ではない”
彼女はその言葉終わらぬうちに、手元に拳銃を
が。
その拳銃は音もなく、色もなく、ただ、掻き消えた。存在自体が、消しゴムで消した絵のように、一瞬にして消えてしまっていた。それは彼女が能力を使っていなかったのではないか、と思うほどに早かった。『死』は一切動く気配を感じさせずに、何らかの能力を発動させていたのだ。
「な――」
赤坂は能力を掻き消されたことにも驚いたが、それ以上に目の前に現れた『死』を見て言葉を失った。その姿は明らかに、人から大きくかけ離れていた。黒い布で覆われた体に、漆黒の髑髏の顔を持つ異様な佇まい。髑髏にある大きな2つの虚には、真っ赤に光る眼が2つ。足はなく、その体は揺らめきながら宙に浮いている。とても人間には思えないその風貌からは、男なのか女なのか、若人なのか老人なのかもはっきりとは分からない。
“さすがは日本で5番目の複合創造形成能力者だ。
拳銃ですら、一瞬で創りあげるとはな。
特秘能力者でないのが惜しいな”
赤坂は一歩後ろに退き、右手に
「貴様、いったい何者だ?」
震える拳銃を抑えながら、彼女は『死』に問う。彼女の問いに、低く凍てつくような声でそれは答える。
“俺はお前の敵ではない存在だ。
だが、今は味方でもない。
俺は諜報部隊隊長であるお前に、確認をしにきただけだ”
「確認――だと?」
“ここに患者を運びこませたのは、お前の判断か?”
「――は?」
赤坂は、拍子抜けしたような声を出したが、一瞬で気を引き締めて警戒をさらに強める。相手が何を考えているのかまるで分からない。
「患者?何の話だ?」
赤坂は警戒を緩めずに『死』に問いかける。だが、『死』は答えない。赤く光る眼を赤坂にじっと向けるだけで、しばらく何も反応を示さなかった。
無限と思えるほどの時間が過ぎたころ、ようやく『死』は見えない口を開いた。
“いや。違うな。お前ではない。”
その言葉が彼女の耳に入った瞬間、赤坂の目の前から『死』の姿が消えた。瞬きをする間もなく姿が消えたことに、赤坂は目を見開き、周囲をぐるりと見渡す。
「お、おい、ちょっと待て!貴様、どこへ行った!」
赤坂が誰もいなくなった階段で叫ぶ。まだ、『死』の気配だけは残っている。この場にいることは間違いなかった。
「透明化能力――!?いや、そんなものはこの世にない!『変色能力』か!?貴様いったい何者だ!」
薄暗い階段にその『死』の声が響く。
“いい判断だな、赤坂美桜。
だが、お前の知る能力ではない。
この俺は、お前のこれまで知るモノではない。
知りたければその頭脳と知恵を絞ってたどり着け
ああ、そうだ。
お前に確認をした詫びをしてやろう“
「姿を現せ!死神が!」
『死』が、遠くへ去っていくのを赤坂は感じる。
“俺はお前を気に入っている。
だから忠告と助言を送ろう、赤坂美桜
誰も、信じるな
部下も、仲間も、全て敵だと思え
結子も宗次も、疑え
特殊部隊には、今や黒いシミがある
裏切り者が、特殊部隊に潜んでいる“
「な――に――」
信じられない一言に、赤坂は動揺する。思考が追い付かない。
だが、その声はそんな彼女を気にかけることもなく、言葉を残して消えていった。
“探し出せ、裏切り者を。
突き止めろ、『黒箱』の正体を。
そうしたら――
お前の夫を殺した相手に、たどり着くだろう”
◇
少年は、光を見た。
白くて淡い、光を放つ球体。太陽のような温かさは感じない、機械的な冷たい光だった。朦朧とする意識の中で、少年は他にも見えるものがあることに気が付く。
天井だ。
コンクリートを固めたような灰色の天井。雨空よりも暗くて重そうなその天井は、今にも少年の上に崩れ落ちそうに見えた。
視界の端に、奇妙な機械が見える。ボタンを押したときのような軽い音を出しながら、小さな波が画面に表示されている。その表示に合わせ、数字が小さく変動する。その隣には、何かの液体が入った袋が銀色の金具に止められ、まるで洗濯物を干すかのようにずらりとぶら下げられている。
と、少年の視界に、人の顔が写った。若い男だ。
その男は少年を見ると、血相を変えて大声で誰かを呼びながら、部屋から飛び出していった。
びょう――いん――?
少年はぼうっとする意識の中で、今自分がいる場所がどこなのかを推測する。
ああ、生きているのか――
少年は思う。確か、自分は死にかけていたはずだ。だが、いまここに病院と思しき施設にいるのであれば、きっと自分は生きているのだろうと。
自分の生を認識したとたんに、少年は思い出し始めた。
黒い箱が突き刺さった女が、爆発したこと。
走っていて、その女にぶつかったこと。
ケーキが、崩れたこと。
そして、母親と、父親が、死んだことを。
少年の目に、涙があふれる。
もう二度と、両親には会えないと。
もう二度と、家族で誕生日を祝うことはないのだと。
少年は、涙が枯れるまで泣き続けた。
仰向けになったまま、ただ泣き続けた。
泣いてどうとなるわけでもないことは、分かっていた。
だが、それでも少年は泣き続けた。
行き場のない悲しみを、ただ声に出して吐き出し続けた。
涙が出なくなった後、彼は体を起こそうとした。涙で濡れた、頬をぬぐおうとした。
彼はベッドの手すりをもって起き上がり、両手で涙を拭いた。体に管が何本も刺さっていて動きにくいが、腕を動かせばなんとかその行動は可能だと、少年は理解した。
そして、涙をふき終わった後に、何かがおかしいことに気が付いた。
「あ――れ――」
何も見えない。
さっきまでちゃんと天井も機械も手も見えていたのに、瞼を閉じた瞬間何も見えなくなった。
少年は何度か瞬きを試みる。瞼をまだ閉じているだけなのかと彼は思った。しかし、瞬きをしている感覚があるにも関わらず、光を感じることが出来ない。
そして少年はしばらくきつく目を閉じてから、瞼を再び開ける。すると、
「うわっまぶしい」
光が、差し込んできた。
少しまぶしすぎるくらいの光だ。それでちゃんと自分は目が見えていることが分かったからか、彼は少し安心したようにつぶやく。
「なんだ、やっぱり見えて――ん?なにこれ?」
彼は、服の上に落ちているモノをみつけた。
何か、丸いものが2つ、落ちている。
ゴルフ球ほどの大きさの白い球。
持ち上げると、それはかなりの弾力があった。
「なにこれ――」
それを持ち上げ、手の中でくるりと回す。
その瞬間に、少年は自分でも発したことのない奇声を上げながら、その球を放り投げた。
目だ。
眼球が、服の上に落ちている。
「なんで、目玉なんか――」
そうつぶやいた瞬間に、彼の背中に冷たいものが走る。
また、目が見えない。
今度は右目だけだ。
「まさか――」
少年は、恐る恐る左目の視線を下におろしていく。
「まさか、まさかまさかまさかまさか」
少年は、服の上に、新しい白い球体が落ちているのを見つける。
彼は、それを震える手でつまみ上げた。
「あ――あ――あ――」
少年は、視界がぐらついていくのを感じる。
ぐらつく。ぐらつく。ぐらつく。ぐらつく。
そして
目玉が、落ちた。
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