第20話 秘密(4) ケーキ(下)


「すごく本格的だね。」


 少年は手をつないでいる女性にいう。少年はショッピングモールの裏にある、関係者立ち入り禁止と書かれた部屋に連れてこられていた。目の前には様々な形をした機械が置かれており、その前で緑色のヘルメットや服を装着した男たちが何やら議論を繰り広げている。彼等の正面にある液晶画面には、ショッピングモールのあらゆる場所が映し出されている。


「あ、これ監視カメラの映像?」

「ええ。そうよ。ここから私たちの仲間に命令を出して、作戦を実行しているの。」

「ふーん。」


 少年が身を乗り出してその機材を見つめていると、低く、どこかドスの聞いた声が聞こえてきた。


「結子、報告しろ。」

「はっ」


その声に短髪の女性は敬礼すると、隣のガラス張りの部屋へと移動していった。少年にはその話す内容は聞こえなかったが、彼はドスの聞いた声の持ち主を見て驚いた。

 それは女だった。その仕草や口調から連れてきた女性より年は上だろうが、その容姿はほとんど20代と変わらない。真っ赤なシャツに緑色のジャケットを、ビシッと決めた、蜂のような切れ目をした女性である。


「おおー、すごい!かっこいい人がいるー!」





「――そうか、分かった。お前は引き続き少年を保護しておけ。対象の尾行は宗次にやらせる。」

「現状はどうなっていますか、赤坂隊長」


 大原結子は目の前で煙草を吹かす上司に尋ねる。赤坂と呼ばれた女性は細い指に煙草を挟み、口から白い煙を吐き出す。


「良くないな。能力至上主義テロ組織『黒箱』からの爆破予告があってから5時間、『箱』はまだ見つかっていない。『黒箱』の仲間であるあの着物の女を尾行してはいるものの、爆弾なんてみつかりゃしない。持っている様子も見えないし、そもそも、何か目的があって歩いているのか怪しいくらいだ。もし設置されているのだとして、あたしら第9隊の情報網と索敵能力をもってしても、どこにあるのか皆目見当もつかないってのは不気味だ。しかも、だ。処理技術を持っている第10隊、大島隊の到着が遅れている。何やってんだか、あのタヌキジジイ。」


赤坂は煙草を力任せに灰皿に押し付ける。


「それは困りましたね。我々第9隊は諜報活動が主としての任務です。爆破処理となると……」

「ああ。おまけに客を避難させたら爆破すると言ってきやがった。だからとにかく相手に気付かれる前に爆弾だけでもみつけちまわんと――おい、晃崇あきたか!見つかったか!?」

「「いいえ、見つかりません。一応『変装』して店内くまなく調べましたが、裏手も含めて『箱』どころか怪しい人物もいませんでした。」」

「ちっ、そうか。お前が探しても見つからないとなると、いよいよ厄介だな。」


彼女はマイクを切り、机に拳をたたきつける。


「くそっ!人員がまるで足らん。『黒い箱』に爆弾を詰めているってのが奴らの手口だが、どうやって吉野隊との40人で『黒い箱』を探せというんだ。草薙のやつ、何が防衛線を張る、だ。戦いより人命だろうが。」


 赤坂は見るからに不機嫌そうだった。赤毛の頭髪を無造作にかきむしり、新たな煙草に火をつける。


「まあ、とりあえず少年を保護できたのは良かったな。」

「あの……どうしてあの少年を保護したんですか?何か問題が?」

「ん?ああ。問題があるのはあの少年じゃなくて、少年の両親のほうだ。これを見ろ。」


 赤坂は一枚の写真を結子に見せる。丸いテーブルに座る三人の大人。そのうちの眼鏡をかけた中年の男を見て結子の表情は一気に険しくなる。


「これは――糸川秀則!?」


彼女は少年のいる方をチラリとみ、声が聞こえていないことを確認すると、再び写真に視線を戻した。


「糸川秀則、確か『召喚能力』を持ったソーサラーですね。かなり精度の高い獣系召喚体を使役し、何人もの人命を奪っている。」

「そうだ。しかもこいつは『黒箱』の幹部メンバーの中でも一番気に食わない野郎だ。殺人件数はリーダーの黒岩豪鬼や他の幹部と比べりゃ少ないが、その動機が“金”ばかりだ。銀行強盗、密輸に臓器売買、悪質極まりない。なーにが“能力至上主義”だ。やっていることはコソ泥と変わっちゃいない。

 でだ、こいつがあの少年の両親と30分前に接触したのを、偶然カメラがとらえた。今は吉野隊が追っているが、フードコートという開けた場所で堂々と何やら密談中だ。このカメラには端っこしか写っていないがな。」


 結子は写真を机の上に置いて少年の方を向いてつぶやく。


「いったい、あの子の両親と『黒箱』に、どんなつながりが――え?」


 結子の顔が一気に青ざめた。赤坂は結子のその表情をみて、何が起きたのかを瞬時に察した。彼女は乱暴にガラスの扉を開け、部屋にいる部下に怒鳴りつけた。


「おい、あの少年はどこにいった!」



「あるよね。まだあるよね?」


 少年は焦っていた。トイレに行くと言ってだましてしまったことは悪いと思ったが、それ以上に彼にとって問題だったのは、持っていたはずのケーキが部屋についたときにはなかったことだった。おそらく、結子という女性が来る前にゲームを見ていたせいで、床に置いたままになっているに違いないと少年はふんでいた。


「せっかくお父さんとお母さんが好きなケーキが買えたのに!誰かに踏まれてないよね、どこにも行ってないよね?」


 部屋に連れていかれる時に通った道は職員専用と書かれた通路で、勝手知ったる店の中とは随分ちがっていた。だから彼は元来た道が分からずに、とにかく一番近場にある出入り口からモール内に出たのだった。そこはどうやらおもちゃ屋から一番遠い食品売り場のようで、彼はそれに気が付くと、今までで出したこともないスピードで店の中を一直線に駆けだした。


「あっ!」


 少年は息切れをしながら、ケーキの箱を持ち上げる。


「はぁ、はぁ、あった。よかったぁ。これでお母さんとお父さんと食べられる。もうケーキを床になんかおかないぞ。それに、よく考えたら汚れちゃうもんね。よくお母さんに食べ物を粗末にするなって怒られたなぁ。約束はちゃんと守ら――」


 少年は、あまりのショックにケーキを落としそうになる。

彼は慌ててケーキを片手でしっかりと持ち直し、そして空いた手で体のあちこちを触る。少年はそれが自分の気のせいではないことを認識すると、顔から血の気が引くのを感じた。


(さっきまで首にかけていたペンダントが、なくなっている。)


 きっと走っている間に首から落ちてしまったのだろう。あれだけ無我夢中で走ったのだ、気が付かなくても無理はない。だが、少年にとってそれは、ケーキがないことよりも重大なミスだった。


「やばいやばいやばい。どうしようどうしよう。どこやったの?焦らずに歩いていきなさいって言われたのに!」


 少年は走ってきた道を小走りに戻る。

座席の下、植木鉢の横、お店の棚の下など、調べられそうなところはほとんど探した。だが、一向に見つかる気配がない。少年は今にも泣きそうな顔をしていた。


「どこいっちゃったんだろう。えええ、やばいやばい。――あっ!そういえば。」


 少年はあることに気が付く。

少年は職員専用入口から出てきた。その名前の入り口は他にもあって、時々扉が開け放たれていたり、扉の下に大きな隙間があるものもあった。


「あそこにあるのかも!」



「少年はまだ見つからんのか!」


 赤坂が部下に怒鳴りつける。


「だめです、モニターにもいません。先ほどまでおもちゃ屋さんにいたことは確かですが……」

「ええい、結子、そっちはどうなっている!?」


赤坂がマイクを通じて結子に連絡を取る。だが、帰ってくるのは空しい内容の返事だけだった。


「「だめです!見つかりません!」」

「探し出せ!この私の前で少年を犠牲にさせたらただじゃ済まんぞ!」

「隊長!」


 一人の部下が、血相を変えて部屋に飛び込んできた。


「なんだ、植田。この上さらに私の機嫌を損ねる情報はやめてくれよ。」

「そ、それが……吉野隊が糸川秀則を見失ったとの報告が……」


赤坂はそれを聞くと鬼のような形相を見せ、誰もいなくなったカメラの画面を睨み付ける。


「――あんのクッソ野郎!」





 少年は、静かな通路を歩いている。

ペンダントをどこまで吹き飛ばしたのか皆目見当もつかなかったために、少年は職員通路を歩いて、出入り口を見つけてはその付近を捜していた。


「はぁ、どこに行っちゃったんだろう。やっぱ焦るんじゃなかったなぁ。落ち着かないといけないよなぁ。」


 少年は力なくケーキの箱をもって歩く。

薄暗い職員廊下はところどころ電球が切れ、そのまま少年を飲み込んでしまいそうな影を落としていた。


「……あ!」


 少年の前方に何か光るものが落ちている。

少年はその落ちているものに飛びつくかのように走った。


「あったぁ!」


 少年は服の裾で汚れを落とし、表面に傷がないか確認する。手の中で深紅の石が淡い光を放っている。


「よかったぁ、この扉の前にあったんだ。もうなくさないぞ!」


少年は再び首にそのペンダントを巻く。母親は随分と時間がかかっていたが、少年はすんなりとはめることが出来た。そのことに少年は、安堵を覚えた。


「壊れて取りつけれなくなっていたなんて言ったら、絶対怒られるよね~」


 少年は光る石が首から下がっているのを見ると、とたんにある症状に襲われた。


「そろそろお昼かぁ。おなか減ったよなぁ。……あ、ここフードコートのところなのかな。いいにおいがする。」


少年はフードコートから漂う食欲をそそる臭いをかぐ。

 と、彼は同時に顔をしかめた。


「ん?なんか臭い。」


フードコートからやってくるラーメンやカレーの臭いに交じって、何か別の、普段フードコートではかがない臭いがある。しかも、その臭いはフードコートではなく、今いる職員通路の奥から臭ってきている。


「うへ、なんか鉄臭い。どこからきてるの、この臭い?」


少年は、その臭いの元を確かめるべく、ゆっくりと奥へと足を進める。一歩歩みを進めるにつれ、次第にその臭いが濃くなっていく。そして、ちょうどその臭いの正体が何か判別できるようになったときには、少年の目の前に、そのもの自体が露わになっていた。


「え――」


 理解できない状況が眼前に広がっていた。

獅子だ。

金色に輝く毛並みを持った、軽トラックをゆうに超える大きさの獅子が、通路をふさいでいる。その目は暗闇の中ですらはっきりとわかるほど爛々と輝き、その大きな牙は真っ赤に染まっていた。そして、その獅子の前足には、見慣れたはずの服が引っかかっている。


「お――とう――さん――?」


 蚊が鳴くようなか細い声で、少年は動かなくなっている父親に声をかける。母親の姿はどこにもない。いや、いるのかいないのか、判断がつかなかった。


「おや~?こんなところに迷子かな~?」


 道で迷った子供に声をかけるにしては不自然に高揚した声が、廊下に響く。


「どうしたんだい、坊や。迷子かーい?」


獅子の後ろから、丸いメガネをかけた中肉中背の男が現れた。男は眼鏡についた血をハンカチで吹きながら、少年に歩み寄ってくる。青い小さな布が、ドロリとした赤いもので染められていくその様を見て、少年は震える声で言った。


「その、ハンカチ――」

「ん?ああ、このハンカチ?いやぁっちょっとここに転がっている人に借りてね。そりゃそうだろ?この人の血で汚れたんだもの。ほら、大人は自分の行動に責任を持たなきゃいけないだろう?このヨゴレは、この人のせいだから、この人の持ち物で拭くのは当然のことじゃないか。」

「あ――あ――」


 少年は、息ができなかった。

涙も出ない。足も動かない。

考えるよりも先に、脳が最大級の警報を鳴らしている。

『逃げろ』と。


「おや?そのペンダント?」


 男に言われて、少年はペンダントを握りしめる。

男はやっと探していた物が見つかったと、喜んで見せた。

だが、その喜びは先ほどの少年の安堵とは対照的に、どこか楽しんでいるような喜びだった。


「それだよそれ!いやぁ、君、吉岡夫妻の息子さんかな?実はね、僕から盗んだ品物を返してくれって君の両親に頼んだんだけどね。“そんなものは知りませんっ”って言われちゃってさ~、あったまきちゃって、この僕の『獅子王』で、」



  殺しちゃった



 少年は言葉にならない叫びを放ちながら走り出した。何が、なんで、どうして、どうなって、いくつもの疑問視が雪崩のように頭を駆け巡る。だが、体は思考よりも命の優先を選んでいた。本能的な死への恐怖。そこから逃れるために、少年は一目散に逃げだした。


「あっちゃぁ、こりゃもう店前にでちゃったよね~『獅子王』で追いかけるのは無理だなぁ。」


 男はため息をついて肩を落とす。足元に広がる血の池を平気で踏みつけ、左腕に取りつけた端末を起動させる。すると、左腕の端末から赤い光が浮き上がり、その場に人の像を結んだ。


「あー、あー、『セカンド』」

「『アトランティス』」


 太く、低い声がその像から発せられた。糸川はその人物の返事を聞くと、そのぼさぼさの頭を掻きながら話し始める。


「あー、えーと、ボス?ブツは見つかったけど、子供が持ってっちゃったよ。どうする?今この場で取り返すのは無理だねぇ。特殊部隊の連中もうようよしてるから。」

「「糸川、アレがどれだけ貴重なものか分かっているのか?」」

「もちろん、それは僕が一番よくわかっていますよ。ですが、アレの研究データは取れる分は取りましたよ?」

「「何も分からないってデータがな。」」


フードを目深にかぶったその男の目元は見えない。しかし、糸川は自分がにらみつけられている、ということを察した。低く冷酷な響きを持ったその声は、通信機越しでも糸川の背筋を冷たくさせる。


「わ、分かっていますよ。この5年間どれだけ研究しても何も分からなかったのは確かです。それがひとえに私の力不足だということも。」


糸川は力不足をみとめ、フードの男に謝罪する。

フードの男は少しうなっていたが、やがて糸川に命令を下した。


「「特殊部隊の手にわたることは避けたい。たとえ、。分かるな。言っている意味が。」」

「ええ。分かりますとも。それでは、当初の予告通りに事を済ませておさらばします。では、後程。」


彼はそういって通信を切った。そして来ていたガウンのポケットから、もう一つの端末を取り出す。


「さーて、派手にいこうじゃないかぁ。くくく。あの赤坂の屈辱にゆがむ顔が目に浮かぶ~!」





 宗次は、驚愕した。着物の女を尾行していたら、突然前から泣き叫んで走ってくる少年が現れたのだ。


「なっ!隊長、前方に少年発見。泣き叫びながら走ってきますが、これは一体――?」



「あら、さっきの男の子じゃない?どうしたの?」


 少年はケーキ屋の女性の声も聞こえず、ただ走った。

立ち止まれば、必ず後ろからあの獅子がやってくる。父親と母親を殺したあの獅子が。

 悲しみと絶望を通り越し、ただ叫んで逃げるしかできなくなった彼は、前方など見えているはずもなかった。いろいろな人とぶつかりながら、それでもケーキの箱とペンダントを握りしめて走った。

そして、一人の女性と正面衝突した。

少年ははじき返され、仰向けに倒れる。

そして、それと同時にケーキがつぶれる音がした。


「あ……ケーキが……」


 箱からはみ出た生クリームが、ドロリと床に落ちる。それを見ると、途端に少年は胸の中が苦しくなった。


手をつなぐ、父親が見えた。

誕生日カードを見せる、母親が見えた。


何が悲しくて、何が苦しいのか、少年は言葉にできなかった。だが、その潰れたケーキを見た瞬間に、全てを失ったのだということだけは、はっきりとわかった。


「おい、少年!」


 宗次は少年の元へ駆け出す。

何が起きたのか分からないが、先ほどの隊長の報告を聞く限り、この状況は『最悪』の事態だと宗次は認識した。


(一刻も早く、この『黒箱』の一味である女の前から遠ざけなければ、何が起こるか分からない。)


 そう、宗次が思った瞬間だった。

宗次はこの時、人生で初めて自分の目を疑った。今自分の目の前で起きていることが、全く理解できなかった。


 その様子は、モニター越しに赤坂も見ていた。

直立する蜘蛛柄の女。泣き崩れる少年と、彼に駆け寄ろうとする宗次。危険ではあるが、女をとらえることを赤坂は決意し、客を非難させる方針を決断した。その、まさに瞬間であった。



「――な、んだ――あれは――」



 何もかもがゆっくりだった。


女が、着物の帯を解く。

花びらが落ちるように、音もなく床に落ちた紺色の帯。

花が咲くように白と紫の着物がはだけ、女の体が露わになる。


だが、そこにあったのは腕と顔と同じ、白い肌ではなかった。


色は黒。

店の蛍光灯に照らされて、まるで甲殻虫のような光沢を放っている。


形は四角。

肺に、胸に、背に、わき腹に、へそに、腰に、小さな無数の箱が、女の体に突き刺さっている。


人間の体に無造作に釘を打ち込んだようなその姿は、見るも怖気が走る異様な光景だった。



「黒い、箱――」



赤坂は煙草を落とす。そしてそれが机の上に落ちる前に、



全てが真っ白な光で包まれた。


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