第19話 秘密(2) ケーキ(中)


 少年は様々なゲームを見比べてみてはうなっていた。一度もゲーム機というものに触れたことがなかったために、どれが『いいもの』なのか分からなかったのだ。


智也ともや華子はなこがやっている、モンスターを狩るゲームは面白そうなんだけどなぁ。でもあれ、血が出てきて痛そうなんだよなぁ。ちょっとモンスターかわいそうだからなぁ。」


少年は、肉食恐竜のような姿をしたモンスターが、大きく口を開けているゲームを棚に戻す。


「やっぱりわからないなぁ。どうせならお父さんとお母さんもやれるゲームがいいなぁ」


少年にはいったいどれがそういったゲームなのか、とんと見当がつかなかった。彼は一つ一つゲームソフトを手に取って、歩きながら説明文を確認する。

 故に、少年は進行方向に誰かがいることに気が付かなかった。


「わっ。」


少年はぶつかった衝撃でしりもちをつく。慌ててケーキの箱をもって箱がゆがんでいないか確かめると、ぶつかった相手を見て謝罪した。


「ごめんなさ――」


 そこまで言って、少年は最後の文字を飲み込んだ。そこにいたのは、1人の女だった。紫色の蜘蛛の巣が描かれた、白い着物を着た女。少年から見ても、その女は美しいと思う容姿をしていた。足元まで伸びた紫色の長い髪。ほっそりとした体はテレビで見る女優やモデルのようだった。綺麗に整えられたピンク色の爪が、真っ白な指先で桜の花びらのように輝いている。

 だが、少年は美しいと思うと同時に、不気味さも覚えていた。容姿端麗であること間違いなしだったが、その女の顔は“死んでいた”。少年がそう思っただけで、他に言いようがあるのかもしれないが、少年はそれが一番うまくその女を表わした言葉だと思った。

 ぶつかったのに、その女は少年に気付いていないようだった。力のなく滑るように歩くその様は、どこか機械的でぼうっとしていた。どこを見るのでもなく、そもそも見えているのかも怪しい活気のない暗い視線。死んだ魚のような目とは、こういう目なのではないかと少年は思う。


「幽霊……じゃないよね。」


女が過ぎ去っていくのを見ながら、少年はそう口にした。そう思うほどに、その女の存在は異様でかすかだった。


「ま、いいや。ゲームげー」


 少年は女が見えなくなると、またゲームを探そうと視線を戻す。

と、また目の前に人が立っていることに気が付いた。今度はぶつからないように、ケーキを大事そうに抱きかかえる。


「おお、ごめんよ坊や。」


 長身の男は彼に謝罪の言葉を述べてから、先ほどの女が去っていった方を見つめた。


「対象、現在おもちゃ通りを通過。少年と衝突したようですが以前変化なし。どうぞ。」


 随分と変な男の人だと少年は思った。長身の男は、右手を右の耳にあてて独り言をしゃべっている。

 まるでスパイのようだと、少年はくりりとした無邪気な瞳を男に向ける。こんなショッピングモールでスパイごっこをして遊んでいる大人を、少年は見たことがなかった。確かに見た目は父親よりずっと若いが、それでも自分より大きな人間がここで遊んでいるとは知らなかった。

 右目の下に黒子があるその男に、少年は興味を抱いた。


「ねえねえ、お兄さん何しているの?スパイごっこ?」


 少年の言葉に、若い男はしゃがみこんで答える。


「ああ。そうだよ。実はね、今お兄ちゃんは友達とある女の人を追いかけているんだ。その女の人に見つからなかったら僕らの勝ち。見つかっちゃったら僕らの負けっていうルールなんだ。だから、黙っていてくれるかい?」


泣き黒子を持った男はウインクしながら人差し指を口の前に立てる。


「いいよ。でも面白いね。お兄さんみたいなおっきな人でもやっぱり遊ぶんだね。スパイって憧れるもんね!」

「ははは。そうだね。僕の妹も君と同い年くらいなんだけど、妹といつもこうやって遊んでいるよ。あ、ごめんね。友達から連絡がきちゃったから。――はい、こちら宗次。」



男はそういうと顔から笑みを消して、命の危険に飛び込むような険しい顔をした。

 少年はその様子をまじまじと見つめる。

どこからどう見ても本物のスパイのようだった。徹底的に遊びを磨き上げたら自分もここまでなりきれるのではないかと、少年は思う。


(よし、ゲームはスパイゲームで決まりだ。お父さんもお母さんもこういうのは好きだし、って言っていたから、きっと楽しめる。)


 彼がそう意志を固めた時、予想外の言葉が男から発せられた。


「……はい。大原結子がこちらに?何故です?……は?少年を?」


男は少年を一瞥する。驚いている少年と男の目が合うと、男はすぐに視線を外した。


(え?何かやっちゃった?もしかして、あの女の人にばれちゃった?負けちゃったのだろうか?)


 少年は少し焦った。

友人とよくやっていたスパイごっこにおいて、相手チームに自分たちの存在がばれるのは致命的だと知っていたからだ。


「――承知しました、赤坂隊長。」


 男は通話を切るようなしぐさをしてから、少年の前にしゃがみこむ。


「ねぇ、坊や。ちょっといいかな?」


随分と気合いが入っているなと少年は思う。


「なに?もしかしてばれちゃったの?」

「あはは。いや、そうと決まったわけじゃないよ。ただ、ちょっとお兄さんのお手伝いをしてほしいんだ。」

「え?いいの?僕スパイごっこ割と弱いよ?なんか、『よく見える』友達がいるんだ。その子にいっつも居場所がばれて――」

「ははは。大丈夫だよ。一緒に探しに行ったり、あの女の人を尾行したりするわけではないんだ。」

「じゃあ、どうするの?」

「これからね、お兄さんのお友達の、女の人がやってくる。その人は僕らの味方だ。その女の人と一緒に、このお店の奥にある部屋に行って、僕の仲間に伝えてほしいんだ。」


少年は少し考えてから聞いた。


「なんていうの?」

「作戦は続行中、を救出した、と伝えてほしいんだ。」

「え?誰かつかまっているの?縄張り的な?」

「そうそう。それで実はね、ちゃんと助け出すには、自分の陣地のえらい人に報告する必要があるんだ。そうすれば作戦は完了なんだ。」


 泣き黒子の男は時計を確認する。どうやら時間がないらしい。


「やってくれるかな?」


 口元は笑っていたが、その目は笑っていなかった。普通、こんな怪しいことを見ず知らずの人から言われたら、逃げなくてはいけないと少年は学校で習っていた。けれど、男が悪い人間には見えなかったのと、その目の力強さがあまりに父親に似ていたために、ついに少年はそれを断れなかった。


「――うん、いいよ。それに――友達って大切なものだものね!助けなくっちゃ!」


それを聞くと、泣き黒子の男は心底ほっとした様子で立ち上がる。


「よし、それじゃあ、お兄さんの友達がくるまで少し待とうか。」

「あれ、すぐにあの女の人追いかけるのかと思ってた。」

「うん?いや、仲間の引継ぎを見届けるのも、一流のエージェントというものだよ。坊や。」


泣き黒子の男はそういって笑っていたが、見る限り、本当はさっきの幽霊のような女を追いかけたい様子だった。かなり切迫した状態なのだろう。こういう時はすぐに行動したくなるものだと、少年はいつかの遊びを思い出す。

 そんな少年の目の隅に、1つのゲームが映りこんできた。黒いスーツに身を包んだ男女が5人、真黒なサングラスをかけてこっちを見ている。少年はそれを両手で取ると、その顔にさわやかな笑みを浮かべた。


(ああ、これがきっとスパイゲームだ。ひゅーまん・いん・ぶらっく……たいじんげーむ?あ、これならお父さんもお母さんもできそうだなぁ。よし、これにしよう。)


 少年がそのゲームを確認している時だった。


「宗次君、ごめん待たせた。」


短髪の女性が慌てた様子で二人の下にやってきた。


「ああ。大丈夫だ、結子。それじゃぁ、この子を頼むぞ。」


男はそういって一度少年に笑顔を送ってから、駆け足で去っていった。


「さて、君が宗次君に見込まれたエージェントね!私達と同じ優秀なエージェントになれるのかなぁ?」


 短髪の女性は右手をピストルの形にして構えて見せる。


「うーん。どうだろう。僕弱いからさ。あんまり役に立たないかもよ?」

「えー、そんなことないよ~。僕、とっても強そうだよ?もし危ない目にあったら、かよわいお姉さんを助けてほしいな~」


彼女は両手を合わせ、どこかの絵画にあるような乙女の姿をして見せる。だが、運動部のウェアを着ているその姿から受けた印象は、少年から見てもバリバリのスポーツマンにしか見えなかった。


「随分強そうな乙女だね。」

「ええー、ひどーい。」


女性はわざとらしくタコのように口をすぼめて見せたが、すぐに“真面目”な表情に戻って少年に言った。


「さて、それじゃあ行こうか。私達の本部へ!」


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