第18話 秘密(2) ケーキ(上)


―2084年 10月1日 東京 某ショッピングモール―


 雨が降っていた。傘を差しても全身がずぶぬれになるほどの豪雨。

その中を意気揚々と駆ける少年が、一人いた。


「ねえねえ、お父さん、お母さん、早く行かないと売り切れちゃうよ!」

「はいはい、分かったから、傘をささないと濡れちゃうわよ。」

「へいきへいき!」


少年はそういうと、スキップ交じりに駐車場を走る。


「ほら、カゴは持ったし、早く買いに行こう。お父さんもお母さんも、ちょっと遅いよ。」

「あはは。ごめんごめん。このあいだ、足をくじいちゃったからね。走れないんだ、父さんは。」


少年の父親は力なく笑って、母親らしき人と傘を差しながら少年の元へやってきた。


「それにしても、今日はいつになく元気ね、勝輝。」

「えー、そうかな。」

「そりゃそうだよ、お母さん。なんたって今日は勝輝の12歳の誕生日だからな。」


父親の発言に、少年はむすっと頬を膨らませて言う。


「そうだね、3年ぶりにこの日に家族みんなそろったよね。」


 その言葉に、両親はしばらく黙っていたが、しばらくするといつものお決まりの言葉が返ってきた。


「お父さんもお母さんもね、お仕事が忙しいの。だから――」


こういう時はいつも決まって母親が少年と同じ目線にしゃがみこんでいうのだった。「だから我慢しなさい」と。だが、その日だけは、違っていた。


「――だから、ごめんね。今日は、一日勝輝と一緒にいるわ。許してくれる?」

「――うん……?」


 母親はどこか悲しげな顔をしていた。いつも厳しい父母が、急にそんなことをいうものだから、少年は許さない、などとは言えなかった。いや、どちらかというと、驚いてそのままの勢いで返事をしてしまった、という方が正しいのかもしれない。


「それじゃ、勝輝の許しも得たところで、ケーキを買いに行こうか。」


 父親は彼の左手を握って店の中に入っていく。


「ちょっ、お父さん、僕もうそんな子供じゃないよ。」

「いいじゃないか、今日くらい。」

「うー、今日だからこそ嫌なんだけどな~」


少年は小さく頬を膨らませる。けれど、その声は春の日差しのように明るく、太陽のような笑顔だった。


「あ、じゃあ空いている右手はお母さんがいただくわね。」

「えー、お母さんまで?」


 親子三人は一列になってショッピングモールを歩いていた。きっと他の客からすれば迷惑な行為だったのかもしれないが、周りの人たちはそれを注意する様子もなく、むしろ温かい目で見ていた。配っていた風船を1つ、わざわざ持ってきてくれる店員もいたほどである。それほどに、その親子の様子は幸せそうであった。

 お目当てのケーキ屋につくと、母親が言った。


「さて、勝輝。何が食べたい?」


 少年の目の前には、色鮮やかなケーキがずらりと並んでいる。

どれもこれも、見ただけでよだれがでてくる。少年はどれを選ぶか決めあぐねていた。せっかく両親がそろっているのだ。少年は一番おいしいケーキを選びたかった。


「うーん。どれもおいしそうだから決められないよ~。お母さんとお父さんは何が食べたいの?」

「お父さんとお母さんのことは気にしなくていいのよ?」

「そうだぞぉ。誕生日ケーキなんだから、好きなやつを選びなさい。」


二人はそういって笑うだけで、好みは何も言わなかった。だから、少年はしばらく理科の問題を解くような顔で、口をへの字に曲げて悩んでいた。


「お客様、こちらのケーキはいかがでしょうか。」


 少年が悩んでいると、店の奥からパティシェと思しき女性が出てきて一つのケーキを指さした。

 そのケーキはとてもシンプルだった。生クリームで覆われたホールの上に、可愛らしい苺が6つ乗っている。その苺はどれもみずみずしく、その深紅の輝きを見ただけで口の中が甘くなる。滑らかな生クリームは、まるで雪が降り積もったように柔らかそうだった。


「勝輝、それがいいの?」

「おっ、いいねぇ。父さんも母さんも、苺はすきだぞ。」


父親のその言葉を聞いて、少年は女性に言う。


「うん。これにする!」

「はい、かしこまりました。」


女性はにこやかに微笑むとガラスケースからケーキ取り出し、包装を始める。そして数分と立たないうちに、ケーキの入った箱は勝輝の腕の中におさめられていた。


「あれ?こんなカードは頼んでいませんよ?」


 母親が驚いた顔をして女性に渡されたカードを見せる。

少年からは何が書いてあるのかは分からなかったが、赤い紙に金色の模様が描かれていることは見て取れた。


「これはサービスですよ。息子さんのお誕生日なのでしょう?お誕生日カードくらいならつけても文句を言われないわ。」


女性は人差し指を口に当ててにっこりと笑う。


「まぁ、すみません。ありがとうございます。」

「いえいえ。全然たいしたことじゃありませんよ。とても仲の良いご家族だなぁと思ったら、こっちもお祝いしたくなっちゃっただけですから。」


女性はそういうと、少年の前にしゃがんでいう。


「私も君と同じくらいの年の娘がいるんだけど、仕事が忙しくて誕生日にもなかなかあってあげられないの。君は今日めいいっぱい、お父さんとお母さんと遊んでおいで。」

「うん。」


少年は少し恥ずかしそうに答えた。

 両親はその女性と他愛もない話をしていたようだったが、しばらくすると少年が次に行こうと急かしてくるので、両親はお礼を言いながらそのケーキ屋を後にした。


「あの人の娘さん、食いしん坊なんですって。勝輝と同じね~」

「僕食いしん坊じゃないよ~」

「そうかぁ?こないだだって父さんの葡萄、食べちゃっただろ。」

「だってあれ、おいしかったんだもん。」

「あははは、なんだそりゃ。」


 家族はにこやかに笑いながら店を歩いていた。

どこにでもあるような、普通の家族。ただ、彼らは他の家族とは違って一段とその時間を楽しんでいるようだった。両親も、少年も、とても明るい笑顔をしていた。

 そう、不意に、両親が立ち止まるまでは。


「どうしたの?おもちゃ屋さんもっと向こうじゃなかったっけ?」


少年が両親の顔を見上げる。両親の顔はさっきまで笑顔だったのに、何か悪いモノを見つけた時のようにひどく怖い顔をしていた。


「……どうしたの?」


少年は母親の握る手が少し震えていることに気が付いた。いつも家で気丈にふるまう母親が、こんなに震えているのを見たことがなかった。


「勝輝。」


 父親がしゃがんで勝輝の腕を強くつかむ。


「ちょっと父さんたち、さっきのお店に忘れ物しちゃったから、先におもちゃ屋さんに行っいてくれるかい?」

「えー。何忘れたの?一緒にもどろう――」

「行けるな?」


少年が言い終わる前に、父親は強く言い放つ。少年は一瞬、叱られているのかと思ったが、父親の目はそれとは違った。もっとまっすぐ、何かを伝えようとしている目だった。そして同時に、頼むから断らないでほしいという切望めいたものを、少年は感じ取っていた。だから、少年はソレから目をそらしてノーとは言えなかった。


「……うん。」

「そうか。じゃあ好きなものを選んでおきなさい。どんなものでもいいぞ!」

「なんでもいいの!?」


少年の顔に、笑顔が戻る。


「ああ、何でもいいぞ。」

「いつもこれだめあれだめって言うのに?今日はない?ゲームでもいい?」

「ああ、大丈夫だ。ただし、一つしか買えないからじっくり考えて選ぶんだぞ。」

「うん。分かった。」


少年の言葉を聞いた父親は少年の腕をはなし、場所はわかるかと聞いた。少年はもちろんと答え、走り出す。


「勝輝、ちょっと待って。」

「ん?なぁに、お母さん。」


母親が少年を呼び止めて近寄ってくる。


「これ、もっていてくれる?」


母親は首から下げていたペンダントを少年に見せる。

 それは宝石のように美しく、財宝のように怪しげだった。金色の五芒星が描かれた金具の中心に、ウズラの卵ほどの赤い石が取り付けられている。


「なんで?これ、すっごく大事なものだっていってなかったけ?」


少年は思ったことを率直に聞いた。


「ええ、これはとても大切なものよ。誰にもとられたりしたらダメ。だからね、忘れ物をしちゃうお母さんが持っていたら、どこかにやってしまうかもしれないでしょう?だから、勝輝に持っていてほしいの?あなた、とてもしっかりした子だから、これを守ってくれるわよね?」

「うん。いいよ。」


 少年は聞いてはいけないことを聞いてしまったと思った。母親が、あまりにも無理をして笑顔を作っていたから、きっと困らせたに違いないと思っていた。だから、断る理由などなかった。


「じゃあ、これを首にかけてと……」


 母親は少年に抱き着くようにしてペンダントを首に巻く。相当結びにくいのか、しばらく母親はその状態で動こうとしなかった。


「お母さん、苦しい。」

「あらら。ごめんね。もう大丈夫、これでいいわ。」


母親は少年から離れると微笑んでいう。


「そうそう、さっきみたいに箱を振り回したら、ケーキが崩れちゃうわよ。」

「あ、それは嫌だ。」

「じゃあ、焦らずに歩いて行きなさい。いい、決して無茶だけはしないようにね。体が一番なんだから。」

「そんな、お店で無茶なんてしないよ。お母さん。」


少年は頬を膨らませて言う。それを見た母親はそれなら安心ね、と言って立ち上がる。


「じゃあ、先行って選んでるからねー!」


 少年はそういって小走りに店に向かっていった。せっかく誕生日プレゼントを自由に選ばせてもらえるのだ。少年にとってこれほどワクワクするものはそうそうなかった。

 だから、二人の声が遠くで聞こえても、少年は振り返らなかった。



「気を付けてね」


蚊の鳴くような、細く悲しい声。

それが少年が聞いた、両親の最後の言葉だった。


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