“死”と“誕生”

第17話 秘密(1)


 豪雨。その言葉がふさわしい雨だった。重く垂れた雲から、延々と特大の雨粒が落ちている。その様子を窓越しに見ながら、ひとりの老人が独り言のようにつぶやく。


「これは今日のロケットの打ち上げは延期だなぁ。」


彼は手に持っていたコーヒーを一口飲むと、君もそう思わないか、と同じ部屋にいる青年に声をかける。


「そうですね。火星探査のための物資輸送は大事ですが、これほどの雨であればロケットの打ち上げは無理でしょうね。」

「ははは。そんな興味なさそうな顔をしなさんな。今は2091年だよ?月面基地が出来て、今度は火星の探査・基地計画が進められようとしている時代だ。私が小さい頃じゃまだ夢のような話だったんだよ。それが現実になる時代が来たのさ。人類の飽くなき探求。ううん!実に心躍る話じゃないか!」


老人は子供のような無邪気な笑顔を作る。


「飯塚先生、それより、要件は?」

「ああ、そうだね。いやあ、勝輝君の大学生活の様子を聞きたくてね!」

「そんな理由で、わざわざ東京にあるこの能力者研究機関に呼び出したんですか?」


 勝輝は小さくため息をつく。飯塚修二という老人はいつも陽気な人ではあるが、少し自由すぎると彼は思っていた。飯塚は、よく何でもない理由で勝輝に会いに来る。またその逆で、今回のように彼の下に呼び出すことも多々あった。勝輝にとってその内容は、どれも必ず会って話さなければならないようなものではなかった。だが、飯塚はメールや電話などでのやり取りではなく、直接会うことを強く望んだ。勝輝には正直何故そんな行為をするのか全く分からなかったが、彼と会うことはそこまで否定的にとらえてはいなかった。


「いやいや。大事な理由だとも。君が能力者総合大学に入学することを勧めたのは僕だからね。勧めた身としては君がどんな生活を送っているかは気になるところだとも。それに僕は君の主治医だよ~?君が入学してもう一週間だ。新居は快適かどうかとか、学校環境はどうかとか、いろいろ気になるじゃないか。」


 飯塚は白衣の襟をわざとらしく正して見せる。勝輝はそれを見ると、またいつもの事かと思いながら答えた。


「新居の方は問題ありません。必要な物は飯塚先生がそろえていただきましたし、不便なところは1つもありません。日本軍能力者機関の関係者専用に作られたマンションですから、セキュリティの面でも問題ないと思います。」

「ふむふむ。まぁ、ホントなら軍に関係のないところの方がよいとは思ったのだが、不便がないのならまぁいいかな……。

 そういえば、私が送った金魚たちは元気かね?ほら、ここにいる金魚たちの兄弟なんだ。」


 飯塚は部屋の隅に置かれた大きめの水槽を指さす。数匹の金魚が悠遊と水草の間を舞い、その赤銅の尾ひれを星のように煌めかせている。

 それを尻目に、勝輝は肩をすくめる。


「ええ。元気ですよ。部屋に案内されたときに金魚がいたのは驚きましたが……」

「ははは。サプライズというやつだよ。何、毎朝ちょろっと餌をやるだけでいい。今じゃ水槽内のクリーニングも自動化されて楽になったもんだからねぇ。簡単に世話できるから問題はないだろう?」


飯塚は数度うなずくように上下に頭を動かした。


「それは問題ないのですが、毎朝目が覚めてベッドから起き上がると、あの金魚たちが泳いでいる姿が視界に入ってくるので、落ち着かないですね。」

「おやおや、そんなベッドの近くにいるのかい?それは餌やりを忘れることはなさそうだね!ははは。」


 そして飯塚は、にこやかな笑顔のまま尋ねる。


「それで、大学の方はどうだい?」


 その言葉に、途端に勝輝の顔が曇る。


「いえ――その、どうとは?」

「そりゃあ、学校の雰囲気は快適かとか、先生はどんな人がいるのかとか、あと――

“友達”はできたのか――とかだね。」


飯塚は相変わらず笑顔で話していたが、その目の奥は少し不安げな様子であった。


「雰囲気は――よくわかりません。俺は大学の雰囲気が一般にどういうものなのかは分かりませんので。ただ、建物自体に不快な雰囲気は感じません。欠点を言うなら、近隣の緑と近代的な建物が若干調和していないことくらいです。」


彼はその先を聞かれるのを嫌がっていたが、飯塚はそれを知りつつ彼に尋ねた。


「――そうか。学校の雰囲気は、私が見た時も随分活気ある明るい大学と感じたんだが――どうやらそこは変わっていなさそうだね。では、友達はできたかい?」

「そ、れ――は。まぁ。どうでしょうね。」


 勝輝は曖昧な返事をしてそのまま黙ってしまった。

飯塚は持っていたコーヒーを一口飲み、新たなカップを取り出すと、そこにコーヒーを注いだ。そして彼はにっこりとほほ笑みながら、それを勝輝に手渡した。

 勝輝は無言でそれを受け取ると、波打つコーヒーに視線を落とす。黒い渦が、暗示をかけるように手の平の中で回っている。


「ふーむ。どう、というのはどういうことなのだろうか?どれ、なんか面白い人とかはいなかったのかな?」

「面白い人、ですか?」

「まぁ、“面白い!”とまではいかなくとも、この人変わってるなーとか、人を笑わせるのがうまいやつだなとか、まじめだなとか、そういう人物はいなかったかい?」


飯塚の言葉を聞いて、勝輝は口を紡ぐ。


「お、その顔は誰かいた顔だな!誰かね、誰かね?」

「ええと――」


 子供の用に聞いてくる老人に彼は少し苦笑した。

この老人はいつもこんな顔をして自分の話を聞く。まるで絵本を読み聞かせてもらっている幼子のように目を輝かせている。勝輝はその顔を見ると、観念したかのように話し始めた。



「ははは。面白い子たちばかりじゃないか。狐耳の陽子ちゃんは確かに不思議ちゃんだな。優華ちゃんは猫のような子だよね。すこしからかうのが好きな小悪魔タイプ?なのかな?陽子ちゃんととても気が合いそうだ。

――そして、典子ちゃんか。彼女はおばあさんに似て几帳面で努力家なタイプだからねぇ。なかなか周囲に溶け込めないところがあるけど、それは許してやりなさい。

 そして、なんといっても彼だね。彼は今時の大学生としては最も珍しい青年だろうね。純粋で素直。それでいて大男。いや、いいね。小説から抜け出たような子だ。それにしても、ベアーズ・アームとはまた面白いあだ名を付けられたものだね、その勇人君という子は。」

「もともと高校でつけられていた名前のようですが、随分と気に入っている様子でした。俺にいつも能力を見せたがるんですよ。なんであんなことをするんだか。」


 勝輝の表情を見て、飯塚は安心したように微笑み、彼に言った。


「ふふん。彼は君から聞いた分だと随分と素直で明るい子だ。この先きっと君にとってよい友人になるだろう。大切にしなさい。」

「『友人』――ですか――」


 勝輝の顔に影が落ちる。そして彼は大きく深呼吸をしてから飯塚に言う。


「『友人』には――なれません。」


勝輝の言葉を聞くと、飯塚は目をゆっくりと閉じてから聞く。


「おやおや、なぜかね?」


 飯塚は、勝輝が何故そう思っているのか分かっていた。それでいて、その理由を勝輝自身に語らせようとしている。


(彼はいつもそうだ。)


 勝輝は心の中でつぶやく。飯塚は勝輝を呼び出すたび、基本的には彼に語らせる。彼が語った言葉をまとめることはあるが、基本的に勝輝自身から語らせようとしている。最初は大分慣れなかったが、勝輝は彼と会って1年と3か月、すっかりこの誘導尋問のような会話にも慣れてしまった。

 それでも、その言葉を言うのは勝輝はためらった。そして、そうされるたびに、彼は軍服を一着ずつ脱がされている気分を覚えていた。「友人なんて、幻想だ」という言葉を彼は飲み込み、彼は別の言葉で答えた。


「それは――俺が、彼らを、信じていないからです。」

「なぜ、彼らを信じていないのかな?」


 飯塚は勝輝に尋ねる。その言葉は、勝輝の心をまっすぐ貫いてくる。どんなに言いつくろっても遮れない真っ白な光が、勝輝の心を露わにしようとする。


「それは――あ、か、彼女が、大原典子がいるから――です。」


その言葉を聞くと飯塚は背もたれに深くもたれかかり、少し声を高めて言う。


「ほう。それは何故かね?」


勝輝は、すっかり本心を見透かされたような感覚を覚えた。


「つい一昨日、俺が――特秘能力者であると、知られてしまったからです。」

「ほほう。それは、何があったのか説明してくれるかな?」


落ち着いた声で飯塚は尋ねる。

この声は、、そういう声だと、勝輝は感じた。


「それは――」



「なるほどねぇ。『サイセツ』であることを見抜かれた上に、確かに、亡くなった山田宗次隊長の妹さんだったね、優華ちゃんという子は。」


飯塚は目をつぶって言う。


「たしかに、それは大変だろうね。君はあの新硫黄島の戦いに参加。まだ彼女たちはそれに気づいていないようだけれど、そうでなくとも彼女たちはこれからも君に接触を測るだろうね。だが、君の素性を他人に言いふらすような子ではないと思うよ?特に典子ちゃんは。

 特秘能力者『ククリヒメ』。彼女は素性を知られていることで大変な思いをしてきた子だ。だからこそ、君の素性をむやみに人にバラすようなことはしないだろう。

 なあに、『アマテラス』の主治医でもある僕が言うんだ。間違いないよ。」


 勝輝は視線を飯塚から外した。決して、そんなふうには思えなかったからだ。あの女は山田と仇をとるために、自身の秘密である『ネツァク』という能力を晒した。簡単に秘密を明かす奴が、他人の秘密を守るとは思えない。必要とあらば、きっと自分のことを他人に話すだろうと、勝輝は考えていた。

 飯塚は勝輝の姿をチラリと見てからコーヒーを一口飲み、言った。


「君が友達を作れない理由は、君が彼らを信用できないからだという。だが、それは決して典子ちゃんがいるからではないね。」

「――」


勝輝は答えなかったが、飯塚はさらに続ける。


「君は全員を恐れている。典子ちゃんだけではない。仇討ちをしようとしている優華ちゃんだけでもない。勇人君や、陽子ちゃんも同様に恐れている。そして、きっと彼ら以外の学科のメンバー全員も。だから、友達をつくれないと思っているんだ。

 では、それは何故だろうか。」


なおも、勝輝は答えなかった。硬く口を閉ざし、揺れるコーヒーを見つめている。

 飯塚は立ち上がり、再び窓際に歩み寄る。そして、雨の降る街中を見ながら言う。


「それは、君の秘密、を知られるのが怖いからだ。」


勝輝は背筋に冷たいものを感じる。決して逃げられない現実が、過去が、自分の体にまとわりついてくるのを感じていた。

 飯塚は窓に映る青年をちらりと見る。


「そういえば、あの事件の日も、こんな雨の日だったねぇ。」


 その言葉を聞いて、勝輝は視線を窓の外に移した。

夜のように暗い雲が、全てを覆い尽くしている。


(ああ、確かにそうだ。

あの日も――そしても、こんな雨の日だった。


黒い雲が、自分を見下ろしていた。

轟々と泣く、冷たい雨が降っていた。)



彼は思い出す。決して逃げられない現実を。



そうだ、俺は――二度、死んでいる。


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